「オノマトペ」とは聞き慣れない言葉かもしれません。言葉(音声)で、ものやこころの状態を表した「言葉による絵」ともいわれる表現方法です。
水が「サラサラと」ながれている
このような、「音を言葉に置き換える」「擬態語」と
月が「煌々(こうこう)と」輝いている
涙が「ぽろぽろと」こぼれる
といった、「音のないものを音で表現する」「擬声語」に大きく分けられます。
また、例えば、「アジャパー!」「ガチョーン!」「ビローン!」などのギャグもオノマトペの一種です。北斗の拳の「あべし」「ひでぶ」などもそうでしょう。
落語に「寿限無」という話がありますが、あのおもしろさは、親が子供に着けた名前のナンセンスな長さというよりも、「パイポパイポ パイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」といった「音」(おん)のおもしろさだと思います。
子供はたいていそうでしょうが、大人たちも、この落語の話の筋自体よりも、この延々と続く音のおもしろさ=無意味さに笑うのは何故でしょう?
(寿限無の)「パイポパイポ パイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイ」や「ガチョーン!」など、「意味不明だからおもしろい」ということはどういうことでしょう?何故無意味だとおもしろいのでしょうか?
元ジャイアンツの長嶋茂雄氏が、プレイの指導をしたり、インタビューの受け答えの際にオノマトペを多用していたことが思い出されますが、長嶋さんは「オノマトペ」を多用することで、「動物的」な「感性・勘」を保ち続けていたのでしょうか?
言葉でありながら意味を持たないことばたち。
ふと、田村隆一の詩の一節を思い出しました
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
ではわたしたちは「ことば」=「いみ」から逃れることはできないのか?
様々な「オノマトペ」について、或いは「言葉と意味」についてなど、みなさんのお考えをお聞かせください。
No.12ベストアンサー
- 回答日時:
№10です。
春の小川は 酒飲みですね。そうとうな飲んべえの
合コン好きですね。書き忘れました。
♪ 春の小川は さらさら 行くよ
♪ 岸のすみれやれんげの花に
♪ すがたやさしく色うつくしく
♪ 酒よ 酒よと
♪ ささやきながら。
orz
ぷぷぷ!!(笑)
ダジャレですか?いやあ、一服の清涼剤、見知らぬ駅のカフェのようです。
ところで、「しゃぼん玉」という歌の2番て知りませんでした。
しゃぼん玉 消えた
飛ばずに 消えた
生まれて すぐに
こわれて 消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉 飛ばそ
一番は、永六輔さんが、小沢昭一さんが、「屋根まで」を「屋根も一緒に」だと思っていたようだと言っていましたが・・・(笑)
No.56
- 回答日時:
お礼をありがとうございます。
★(№51お礼欄) ~~~~~~~~~~
△ (中井久夫:「わたしの日本語雑記」)
「哲学を発展させはしなかったが、間投詞から出たものが中心的な思想を
表してきた文化がある。それは日本文化である。
「あはれ」は「ああ」という感動、詠嘆の間投詞である。Ah-nessとでも
いうべきものが「もものあはれ」を真ん中において「あはれ今年の秋もい
くめり」の無常観から「あはれともいうべき人」ともなり、褒め言葉の
「あっぱれ」までの大きな広がりを作った。
「あはれ」だけで日本文化を尽くせるというわけではないが、間投詞が言
葉を超えた情感を表すものとしてこれだけの広がりと深みとに達している
ことは驚くべきことではないだろうか?」
~~~~~~~~~~~~~~
☆ ≪間投詞≫ということですが・そして文法上の整理としてその通りなの
ですが もしわたしたちの内発的な自己表出といった観点から見ると そ
れも心に響いた何かを声音にして表わす擬声語であろうと見られます。
(あ) あは! ( Ah! )
(い) あは‐れ ( Ah-ness ) 〔わ⇒われ;か⇒かれ;た⇒たれ〕
(う) あはれ⇒あっぱれ(天晴れ; Bravo! )//あはれ(哀れ・憐れ)
(え) あはれ‐む(憐れむ)
(お) もののあはれ( Ahness of things )
☆ この AoT は あたかもその世界のありさまとして IoTのごとき内容
を擁している。
そこから ひとつに ≪もののあはれを知る≫となればそれは 自分の世界
観のことを言うことになる。
ただし ≪あはれ≫でその世界を示したということは 内容の分析をしてい
ないだけではなく 内容自体についても何も認識したことになっていない。
したがって・もうひとつに われわれの先人たちは この移ろい行く経験
事物のことを捉えるよりは その背後のこと・経験を超えたところのこと
について思いをめぐらしていた。
したがって もののあはれを知ると言えば ひとつに――具体的なものご
とを言わないからには―― 言わばそこでエポケー(判断中断)するかた
ちを採っている。
この世の揉め事やそれに伴なう悩みや苦しみについて おまえさん ちょ
っと待てと言って心の奥の院におもむきそこで静かにしている。
と同時に あらゆる自然およびさらに言わば超自然の場を心に思い巡らせ
ている。
これが 人生哲学であると同時に 一般的な神論であり 個別におのおの
の神観と成っている。キツネやワニが神の権現であったとしても。山や木
や岩そのものが神ではないのだから。
かくのごとく≪哲学を発展させている≫と思われます。
梵我一如にちなんで言うとすれば 霊霊一如なる≪わが固有の時≫であるの
ではないか。マクロコスモスとミクロコスモスとの。
こころなき
身にも
あはれは
知られけり
鴫立つ沢の
秋の
夕暮れ
*
★(№51お礼欄) 上記の「スキャット」やタモリの「インチキ外国語」
やラップ(?)のような具体的な広がりに興味があります。
☆ の方面には いかんせん ほぼお手上げ状態です。とほほ。(←オノ
マトペ)。
こんにちは。
「神論」についてはよくわかりませんが、もののあはれ=無常観ということ、「ああ」ということばで個別の事象に対してのエポケーの状態になっているということは言えると思います。
世界観・・・といった「知的な解釈」ではなく、己もまた、あはれとみなされる、ごくちっぽけな存在であるという無意識の感覚・自覚、つまり彼(世界)も、我も、まったく同様に「あはれなるもの」であるという情感ではないかと。
その点で、ぶらじゅろーぬさんのご意見には賛成ですが、そこから、個別の事象に目を向けない。「ああ」の地点でとどまっているとうことでの「哲学の停滞」はあるかと思います。けれど個人的には、そこは言語化し得ない、或いはする必要のない領域で、ah nessはAh nessのままでよいのかと思います。
>マクロコスモスとミクロコスモスとの
一体の状態でよいのではないか?という立場です。
ご回答をありがとうございます。
No.55
- 回答日時:
おはようございます。
>それをあなたは昨日突然知ったのですか?
いえ、初めてのやり取りの時にわかりました。
何故言い出したかといえば、あなたのような思想は今急速に拡散していて
本気で「まずい」と思うからです。
日本でも平安末期に厭世思想が蔓延して、自殺者が激増したときがあると
いうことです。
「それを言っちゃあおしめーよ」なんて言わないことが世の常ですが、私
は時として言うことにしています。理想主義者なんて、うっとおしい存在
ですね。逆の立場だったら、私なら大喧嘩しているでしょう。
あなたが繊細な人だとは思っていましたが、これほど傷つくとは意外でし
た。あなたが悪いんではなくて、あなたが傷ついてまでも手放そうとしな
い、その思想が悪いと思います。
できうる限り、「論理的」に説明させてもらいました。
No.54
- 回答日時:
だいぶ回答が増えましたね。
ちゃおぽるぽさんの提起された現代美術の話題なんかも、深いですねー。
そうだなあ、、、美術というのはたぶん、〈記憶〉〈喪〉を抱えるようなモニュメント性とか、〈存在〉を抱えるような現時性また同時代性とかの、〈時間〉に足を掛けてしまうから、消える、飛び去る要素が体験側にあると思うんですよね。
そのなかで、体験する知覚を文言でつなぎとめないと消えちゃうという、その状況での、再確認、再認の積極的な産物がオノマトペではないかと、端的には思うわけです。
知覚の痕跡と再認のあいだみたいなところに、いつまでもいつまでも留まっていよう、みたいな、自己愛の表出なのではなかろうか。
とくに今日では声以上に文字になる機会が圧倒的に多いので視覚記号化していますし、もふもふ、ぷるぷる、ズブズブ、とろとろ、といったように触知的な状態を表す言葉も多いです。文言にしなければ知覚と体験の一瞬の邂逅なのでしょうが、まあ、あきらめが悪いんでしょうよ。
補足を読みました。
バッハは理知的かどうかはともかく論理的だとわたしは書いたのですが、世の中、作るほうには論理でも、聞くほう見るほうにはあからさまな論理でないというものはたくさんありますでしょう。
大伽藍に腰をおろして高い天井を見上げるのも、外国語でお婆が朗々と昔話をしてくれているのも、その点同じではありませんか?
そういう論理的な作りのない、たとえば見せて下さったスキャットですが、
とりわけよく分かるのは、やはり、過ぎゆく時間を触知的な痕跡にして再認しながら遊ぼう、という、聴き手も作り手もいっしょになって時間遊びをしているといえるのではないか、ということです。
こんばんは。
地味なトピックでしたが、いろいろなご意見を伺うことが出来ました。といっても、オノマトペは相変わらず謎に包まれています。
「美術」と時間のと関係については、むしろ、「人間存在」と、置き換えてみたいですね。
"The Song Is Ended, but the Melody Lingers On" 「歌は消えてもメロディーは残る」
歌=歌詞は世につれ世は歌につれ。現時制または同時代性に縛られているのは、人間存在であり、歌であって、
音楽=メロディは時を超えている。「オノマトペ」は未だ「意味」に捕らわれていない「音」であり音の連鎖、メロディに近いと言えます。意味に捕らわれるということが、時間や時代に繋がれているとみることができないでしょうか。
補足に関してはおっしゃり通りです。鑑賞者は論理性を意識するわけではありませんからね(苦笑)
ただ、論理的ならざる者が「論理性」に惹かれる不思議を思っただけです。
エラとメル・トーメのスキャットは見事ですね。
スキャットやオノマトペは意味がない分だけ「テクスチャー」があるのでしょう。「音の手触り」「耳の手触り」とでもいうのか。あれはもう音を体感している。歌詞という「意味」のない分、体感度が高いと言えるでしょう。あたまでわからなければ身体で感じるしかありませんからね。
おそい時間いにご回答をありがとうございます。
No.53
- 回答日時:
私はたいてい言葉が足りないことが多いので少し説明させてもらいます。
あなたは「ニヒリスト」ですよね。「滅びればいい」とか「人間が信用できない」
と発言されているので、よもや否定はされないと思いますが。
私は「理想主義」です。言ってみると「どんなに大変でも、頑張ってなんとかする
べきだ」という思想です。
一方、「ニヒリズム」は社会がどんなになっても、自分は諦めて何もしないことを
決め込んでいるということです。全く何もしないというより、好きなことをするん
でしょうが。
私は思想としては、「ニヒリズム」というものを「全く嘆かわしいもの」という評
価をしています。これは評価です。悪口ではないですよね?
その思想ゆえに、人格を低く見るということはありませんし、他の分野では対話は
できます。
しかし、根本思想の違いがあるので、「本気の議論」はできないだろうと思ってい
るということです。
突き詰めれば、だいたいそこにゆきつくと考えるからです。
現実社会の中で、こんなことを言うことはまずないでしょう。しかし、ここは哲学
カテですから、思うところあって、言いました。
まあ、このことは、誰でも少なからず思っていることで、「言わない」だけだと思
いますよ。
誰も言わないから認識できない根本的なことって、社会の中に多くあると思ってい
ます。
こんばんは。
これ以上傷口を広げるようなことをするつもりはありませんが、
仰る通り、そしておそらくわたしと頻繁にやり取りしている方々みなさんご存知のように、
わたしはニヒリストでありペシミストであり、懐疑主義者です。
それをあなたは昨日突然知ったのですか?
>私は「理想主義」です。言ってみると「どんなに大変でも、頑張ってなんとかするべきだ」という思想です。
>一方、「ニヒリズム」は社会がどんなになっても、自分は諦めて何もしないことを決め込んでいるということです。全く何もしないというより、好きなことをするんでしょうが。
>私は思想としては、「ニヒリズム」というものを「全く嘆かわしいもの」という評価をしています。これは評価です。悪口ではないですよね?
多分に悪意に満ちた批評ですね。
これは既に「水と油」というレベルの問題ではありませんね。これ以上こちらから申し上げることはありません。
失礼します。
No.52
- 回答日時:
#50のお礼欄を読んで。
私の文章に誤解させるような表現があったことを気付かせてくれた草の根さんに感謝します。私の文の、
テクニックの巧妙さや緻密さが作品の良し悪しを決めているのではないことに関して
の部分は、
テクニックの巧妙さや緻密さが作品のみが良し悪しを決めているのではないことに関して
と言うつもりだったのです。
ありがとうございます。
>テクニックの巧妙さや緻密さが作品のみが良し悪しを決めているのではないことに関して
「テクニックの巧妙さや緻密さのみが作品の良し悪しを決めているのではないことに関して」ですね。
アートの定義や美とはなにかについてはまたいろいろとお話ししたいと思います。
今回は、補足にも書いたように、「未知のモノ」に対するスタンスは猪突さんとわたしとの間に大差はないということ、「答え」よりも「問いかけ」を重んじること、そして、閉じられていると見える扉でもこじ開けてみたいと思うこと(笑)などで共通点が見出せたならそれで充分だと思います。
No.51
- 回答日時:
★(№49お礼欄) ~~~~~~~~~~
「オノマトペへの蔑み」とはどういうことでしょう?
どうもわたしは自覚しないところで、ニャンポコさんやぶらじゅ
ろーぬさんに全く意図してもいない印象を与えているようです。
~~~~~~~~~~~~~
☆ いやぁ 一般論としてありますよ。(ありましたよ)。
▲ (ヰキぺ:擬声語) ~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%AC%E5%A3%B0 …
§ 4 日本語の擬声語
日本では日本語が事実上の国語とされてきたが、擬声語は金田一
春彦による研究が知られているものの言語学において長らく研究
対象とはされてこなかった分野である。
日本が模範とした欧米の言語学は実際的な使用面よりも抽象的な
理論形成を主眼においたこと、そもそも擬声語は言語体系の中心
を離れた周辺的なもの、要するにだらしなく子供っぽいものと見
なされたことがその理由である。
~~~~~~~~~~~~~~
☆ 日本人が 論理的に話が出来ないのは 擬音語をあまりにも
多用するからだという理屈です。
ぐらす_るーつさんは どうなんでしょうか?
ここまででは 中立の立ち場であるようにわたしには見えて来ま
したが。
オノマトペ蔑視派は 欧米語を崇拝したてまつっていますから
その欧米語の語彙の成り立ちも 日本語と同じようにオノマトペ
からの形成が見られますよという論陣をわたしは張って来ました。
といったところですが。
こんばんは。
ああ、そうでしたか、わたしはオノマトペへの一般的評価ということではなく、ぶらじゅろーぬさんが、
「わたしが」オノマトペを蔑視していると言われているのかと勘違いしていました。失礼しました。
>ぐらす_るーつさんは どうなんでしょうか?
ここまででは 中立の立ち場であるようにわたしには見えて来ましたが。
オノマトペの全容は容易に摑めませんが、オノマトペ的感性が論理性を阻んでいるという直線的な考え方には賛成しかねます。オノマトペはオノマトペとしての意味も価値もあり、非・論理性がどこまで民俗学的な領域であるのか?あるいは社会性や文化に端を発しているのかはわかりませんが、仰る通り「中立」といった感じでしょうか。
精神科医であり、翻訳家でもある中井久夫さんが、オノマトペではなく、「あの~」というような「間投詞」について面白い考察をしています。
「哲学を発展させはしなかったが、間投詞から出たものが中心的な思想を表してきた文化がある。それは日本文化である。「あはれ」は「ああ」という感動、詠嘆の間投詞である。Ah-nessとでもいうべきものが「もものあはれ」を真ん中において「あはれ今年の秋もいくめり」の無常観から「あはれともいうべき人」ともなり、褒め言葉の「あっぱれ」までの大きな広がりを作った。
「あはれ」だけで日本文化を尽くせるというわけではないが、間投詞が言葉を超えた情感を表すものとしてこれだけの広がりと深みとに達していることは驚くべきことではないだろうか?」
「わたしの日本語雑記」より
とはいえ、あまり学問としての関心は薄いです。関心の方向はむしろその使われ方にあります。
上記の「スキャット」やタモリの「インチキ外国語」やラップ(?)のような具体的な広がりに興味があります。
ご回答をありがとうございます。
No.50
- 回答日時:
#19の回答関連で。
>けれども芸術でも文藝でも、技術的に優れているものが必ずしも愛されるものではない。「テクニックとしてはこれに勝るものはないだろうが、好き嫌いでいえばこれだ」という風になるはずです。仮にそうでなく、アートの客観的位階なるものが存在するとしたら、アートとはなんでしょう?
この文章の中で、
>「テクニックとしてはこれに勝るものはないだろうが、好き嫌いでいえばこれだ」という風になるはずです。
と言う部分は、私なら次の文章に書き変えます:
「テクニックとしてはこれに勝るものはないだろうが、良し悪しでいえばこれだ」という風になるはずです。
好き嫌いではない次元がアートにはあるのです。
テクニックの巧妙さや緻密さが作品の良し悪しを決めているのではないことに関して、私のブログ、
http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1152160 …
の中のジョージ・スーダーシャン教授の言葉と、
http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1152095 …
で紹介した20世紀の数学の巨匠のノーバート・ウィーナーとジョン・フォン・ノイマンの対比を参考にしてください。
こんにちは。
以下のわたしの意見は、技巧的な能力の高さと鑑賞者の好みとは別のものだろうというものでした。
G:「テクニックとしてはこれに勝るものはないだろうが、好き嫌いでいえばこれだ」という風になるはずです。
それに対して猪突さんのご意見、
>と言う部分は、私なら次の文章に書き変えます:
>「テクニックとしてはこれに勝るものはないだろうが、良し悪しでいえばこれだ」という風になるはずです。
>好き嫌いではない次元がアートにはあるのです。
これは「テクニカルな側面」または「個人的な好き嫌い」の他に、第三の基準としての作品の「良し悪し」があると言うように聞こえます。
>テクニックの巧妙さや緻密さが作品の良し悪しを決めているのではない
ブログの記事、拝見しました。
>「ワインバーグの仕事は絵画に喩えると、ペンで描かれた細密画みたいなものだ。遠くから見ても絵になっているが、近くによって虫眼鏡で拡大しても、まだ構造が見える。」
>「それに対して、プリゴジンの仕事は、幅の広い絵筆で描かれた油絵みたいなものだ。その絵の良さを堪能するためには、虫眼鏡で拡大してはだめだ。数歩下がって全体像を眺めてみると、そこに驚異的な構造が浮かび上がって来る。」
この部分だけを取り出せば、例えばデューラーのエッチングとターナーの油彩を比較すると、作品(手法・media)の違いによって、鑑賞方法は異なります。どちらの作品ー鑑賞方が、もう一方の作品ー鑑賞に勝るという議論は成り立たないように思えます。
近寄って緻密なディテールの味わいに嘆息を禁じ得ないのも、数歩退いて、全体を捉え、そのダイナミックさに圧倒されるという見方も、どちらも正当な鑑賞法です。そこにあるのはあくまでその作品に対する好み、嗜好だろうと思います。
>「ところが、最近いつも胸ポケットに虫眼鏡を入れて歩いているスケールの小さい物理屋が多すぎる。彼等は人の話を聞くと直ぐに虫眼鏡を取り出して、あそこが間違っている、ここが不完全だと、細かいことにケチを付けて来るが、数歩下がって全体像を観賞する能力がないんだ。」
これはあくまでも、研究に臨む姿勢を比喩的に述べたもので、アートにおける手法の優劣とは関係を見出せません。
補足に続きます。
No.49
- 回答日時:
この暑さに込み入ったお話しです。
★(№45お礼欄) インドーヨーロッパ語と日本語(アジア語?)が
どこかでつながっているのですかね。
言葉が交わる可能性としては貿易とか布教活動による交流でしょうか?
☆ これは そうではなく ヒトの発声機能または言語能力が 生まれ
つきのもの(自然本性)として――現在の諸言語の多様性にかかわらず
――同じような傾向を持っている。ということではないでしょうか。
世界にはほかにも多くの言語がありますので ほんの一部の事例を取り
上げているというかたちですけれど。
★ サーカス(Circus)もなんとなく「くるくる」というイメージがあり
ます。
☆ そうだと見ています。これは かなり込み入っていますので 割愛
しました。
1. まづ英語≪ ring (鳴る)≫は 擬音語だと推定されています
(probably of imitative origin)。
これは別とします。(√りんりん ?)。
▲ http://www.etymonline.com/index.php?term=ring&al …
2. 英語≪ ring (輪)≫なる語があります。リンク先は上記と同じで
すが かんたんに捉えて:
▲ PIE(=Proto-Indo‐European): *(s)kregh-( 回る( turn)・曲
げる(bend))
☆ から来ているらしい。(アステリスク( * )は 推定形・再構形
のシルシです)。じっさい古英語( Old English )は≪ hring ≫だった
らしい。
3. つまり / -n- /が入っているのは 単なる鼻音化。(s) または k
が h へと変化している。
4. 要するに――推測ですが―― √くるくる または子音だけでの
√K‐R‐K‐Rが √K‐R‐Gとして語根となっている。Kはさらに落ちた。
5. サーカス( circus )は √K‐R‐Kによって作られています。
▲ http://www.etymonline.com/index.php?allowed_in_f …
6. サイクルではなくサークルもありますが サークルは サーカス
に指小辞( diminutive )の -lus が添えられたもののようです。
▲ http://www.etymonline.com/index.php?term=circle& …
7. √くるくる は √ぐるぐる(G‐R‐G‐R) にも通じます。
ここからは ウルトラCのわざで 英:wagon や 独: Wagenなどの
≪くるま≫の語もみちびけると言うと 手品かペテンのごとく響くかも知
れません。
8. ワゴンやワーゲンは 英: way(道)や独: Weg(道)とも姉
妹語のようです。
9. √G‐R‐G‐R は R が二つとも落ちて √G-G へ縮小されこれが
√W‐G となって語を派生したか? と。
☆cf. がいがいわやわや← がやがやわやわや← がやがや≒わやわや
つまり / g / ∽ / w /。 cf. go―went―gone。
☆ もう食傷気味になると思われこのへんで控えます。7からリンク先
も貼っていません。
オノマトペに対する蔑みの気持ちが少しでも薄くなったとしたら 満足
します。
こんにちは。再度のご回答をありがとうございます。
>オノマトペに対する蔑みの気持ちが少しでも薄くなったとしたら 満足します。
「オノマトペへの蔑み」とはどういうことでしょう?
どうもわたしは自覚しないところで、ニャンポコさんやぶらじゅろーぬさんに全く意図してもいない印象を与えているようです。
オノマトペへの関心・感心がなければそもそもこのような質問を立てることはしません。
まあ、知らないところで嫌われているといのは、これまでの人生でも別段珍しいことではありませんけれど(苦笑)
No.48
- 回答日時:
(つづき)
かといって、あなたとの「対話」をしたくないということではないですよ。
これまでも、「議論」をここで見てきましたが、ほとんどが平行線、喧嘩
罵り合いです。人は「ギャフン」とは死んでも言いたくないもののようで
す。(私もそうではないといえませんが)
ある人は、「あなたの思想の根本を論破されたらどうしますか?」という
私の質問に対し「別の理論を考える」と平然と言いました。
だから、議論というものは、信頼関係がなければ不毛のものと断じていま
す。
ここは、「オノマトペ」ですから、また新たな問題について意見を交わす
ことは私としては、やぶさかでないです。
>これまでも、「議論」をここで見てきましたが、ほとんどが平行線、喧嘩
罵り合いです。人は「ギャフン」とは死んでも言いたくないもののようです。(私もそうではないといえませんが)
ある人は、「あなたの思想の根本を論破されたらどうしますか?」という
私の質問に対し「別の理論を考える」と平然と言いました。
他でも書きましたが、最近ここでの過去のやり取りをチラチラとのぞき見しています。わたしはニャンポコさんとは異なった印象を受けました。
先ず「自分に比べて」みな勉強熱心であるということ、反対意見を新たな視点として前向きに受容しようとしている。
>議論というものは、信頼関係がなければ不毛のものと断じています。
わたしは、議論を通じて、侃々諤々の議論の積み重ねで信頼関係は生まれるのではないかと思います。とはいえ、インターネット越しの「信頼」といい「結びつき」といっても、所詮限界があるでしょう。その信頼はあくまでも「ネット上」での「信頼」であるというのが個人的な意見です。とはいえ、ネットでの信頼関係には限界があると感じるのは、そもそもわたし個人のコミュニケーション能力の欠如によるものかもしれませんので、それを一般化するつもりはありません。
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No.30の asisai888さんの回答での指摘、
>Grass_Rootsさんはオノマトペを比喩表現のように捉えているのではないでしょうか
比喩の例を一つ挙げますと蛇のような目という比喩表現あります
Grass_Rootsさんはこの「蛇のような」に相当する部分を言葉が持つ音の響きから受ける印象で表現したものがオノマトペだと解釈してるんじゃないでしょうか
を受けて、
「オノマトペ」は、音による比喩=「音喩」だとした方がわかりやすいかもしれません。
ただ、比喩が修辞学的なもので、一般性を持ちえないという点で、すでに「日常語」として定着している「オノマトペ」との区別がつきにくい。
けれどもおもしろい仮説が好きなわたしとしては、「音による比喩」という表現は気に入っています。
しかし「岩肌」なら「ダイトウブンカダイガク」よりも「コクガクインダイガク」ではないでしょうか?(笑)
雨がっぱさんの回答に、音楽の話が出てきました。
質問とは直接関係のないことですがわたしの大好きなバッハの音楽について、こんな風に書いた人がいます
『バッハの音楽は厳格な形式をとり、複雑な法則にしたがう。簡単なピアノの曲を見ても必ずふたつ以上の楽声があり、その各々が各々の個性と必然性とをもって相呼応し、縦横無尽のあやを織りなしてゆく。その繊細な線や構造が自ら融けあって壮麗な調和を奏でるところ、あたかもゴチック建築の粋を眺める心地がする...』
バッハ(やバロック音楽は「理知的な音楽」であると雨がっぱさんは言われました、
では何故理知的ではないわたしがこれほどまでにバッハや同時代の音楽に魅せられるのか?
デカルトよりも、デカルトを敵視さえした、矛盾に満ちたパスカルを好み、「聖」「正」の孔子よりは「遊」を尊ぶ荘子を好む。理知的なバッハとの親和性が謎です。
など独り思ったことでした。
不思議に思うのは、
日本人が、とにかく滅茶苦茶な日本語、意味のない言葉を喋ってくださいと言われて、おそらく30秒もそんなことはできないだろうということです。
それだけわたしたちは「意味」に縛られているということではないか・・・?
http://www.dailymotion.com/video/x23t25p_ella-fi …
ビデオ、You Tubeでないと開かないのでしょうか?
どれだけ意味から離れることができるか?
確かに印象派の作品などはちょと近くによると、絵具のかたまりが「キャンバスに乗せてあるだけ」という作品がいくらでもあります。それらは遠ざかって、一定の距離を作ることで、はじめて一枚の絵として鑑賞されます。
一歩アートから離れると、わたしも個人的に問い続けることが好きです。果てしなく問い続けることこそ生きる意味であり意義であると思っています。
“The role of the artist is to ask questions, not answer them.”
― Anton Chekhov
その点で、わたしと猪突さんの基本的なスタンスはさほど差はないと感じています。
ご回答をありがとうございます。
オノマトペは、より音楽に近いということですね。それもインストゥルメンタルではなくて、人間の音声でありながら、意味のない(意味の分からない)音・声
「声の手触り」に触れる快感というものがあるのかもしれません。
以下はわたしの好きな裸足のディーヴァ、セザリア・エヴォラの歌ですが、これがポルトガル語であるかどうかはわかりません。まったく音として聴いていて心地いいと感じます。
地味なトピックながら、たくさんの回答を頂きありがとうございました。
ここから派生した「みんなの五七調」も、ちょっとした気晴らしのつもりでしたが予想外の良回答を寄せていただきました。この質問も元をただせば、先の質問、「理解するとはどういうことか?」に頂いた、猪突さんの「寿限無」から始まりました。
こちらではいつもと違う面を見せてくれたぶらじゅろーぬさんをBAとしたいと思います。
沢山の回答を寄せていただき、みなさんにあらためて、お礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。
尚、あほなさんの回答へのお礼に貼りましたタモリの「インチキ外国語」です。興味がありましたらご覧ください。