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なんで、経済大国アメリカと、勝てる見込みがないのに、戦争したんですか詳しい方、お願いします。

A 回答 (7件)

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。


GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、
日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」
また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。


●では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、
戦争を避けられたでしょうか。

私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。

米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。

1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
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したくなくても、中国人が襲い掛かってきたからです。


そのテロ中国を支援していたのがアメリカ・イギリス・ロシア・ドイツ。
みんな日本人を敵だと思ってました。

もちろん、この中国方面の権益も、元はと言えば、中国が嗾けてきたからのもので、その賠償として貰ったものです。
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当時満州を支配していた日本は、中華民国から国際連盟に訴えられ、国際連盟は投票によって中華民国の所有権と部分的な日本の特権だけを認めました。

日本はこれを不服として国際連盟を脱退。この辺りから日本は世界の孤児のようになっていき、日中戦争を開始。中国寄りのアメリカと対立するようになります。

このためドイツ・イタリアと言った同じような世界の孤児とともに行動するようになり、アメリカから資源の提供を止められます。日本は資源を東南アジア各国に(支配により)求めるようになり、大東亜共栄圏構想を打ち上げます。日本は船舶輸送によって資源を確保していたので、軍部はこれを死守すれば10年程度は戦線を維持でき、ある程度の戦果を上げて有利な終戦協定を結ぼうと考えていました。

ところが軍部は補給線よりも戦場を重視し、輸送商船にろくな護衛をつけていなかったため、潜水艦にことごとく沈められ、補給線が壊滅したため、最後は資源不足で太平洋戦争に敗北しました。
勝てる見込みは無いにせよ、最後はどこかの国に仲立ちをしてもらい、終戦しようと思っていたようです。
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ABCD包囲網により政治的にも経済的にも封鎖状態に置かれ、一方対抗手段たる軍事力においても縮減を強要されるに至ったため、この皇国存亡の危機を脱し生存の道を開くには、開戦やむなしと判断したから。

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この回答へのお礼

お、こち亀の兄貴、abcd包囲網懐かしいっすね。ところで、下ネタの質問も、是非、ガチ回答、願います!

お礼日時:2016/09/14 18:08

山本五十六の腹積もりでは、早期に講和に持ち込めると思ったからでしょう。

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軍縮、経済制裁などでアメリカにいじめられたから。


それに軍部の過信❗

何か現在のどこかの国に似ている⁉(笑)
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この回答へのお礼

端的な、意見、誠に、有難うございます。父は、昭和11年11月生まれで、79歳、敗戦時8歳で、東京も、焼け野原だったそうです。B公(B29)の焼夷弾ですね。焼夷弾は、ガソリンのゼリー状の物と、火だそうで、あっという間に、燃え盛る、怖いものの1つだそうです。

憲法9条を守り抜きましょう。安倍内閣のバカヤロー!

お礼日時:2016/09/14 17:37

北の件ですよね? 中国かな?

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この回答へのお礼

よ、こち亀の兄貴、太平洋戦争時の大日本帝国だす。質問、舌足らずで、ソリー、ソリー、ひげ総理です。

お礼日時:2016/09/14 17:11

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