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ある小説に次の一節がありました。

>幼い頃から彼女は兄の顔は、農家の庭先でのべつ見栄を切っている雄鶏に似ていると思っていた。

この「見栄を切っている雄鶏」は、「見栄を張っている雄鶏」の間違いだと思います。雄鶏が見栄を張るとはどういうことでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 「見えを切る」という表現はあります。この場合、「見え」は「見栄」ではなく「見得」です。

    「見得を切る」とは、goo国語辞書によれば、
    1 役者が見得の所作をする。
    2 ことさらに自分の力を誇示するような態度・言動をする。また、いい所を見せようと無理をする。「よし、私が全部引き受けたと―・る」「『それくらいのことは』と社長の前で―・った手前がある」

    とあります。果たして、雄鶏は、農家の庭先でのべつ見得を切っているのでしょうか。

      補足日時:2016/09/19 20:32
  • >作者はこれを歌舞伎役者の見えに例えたのでしょう。

    作者は歌舞伎に造詣が深いのでしょう。だからこそ、歌舞伎の役者の所作を比喩として用いたのでしょう。しかし、その比喩は、幼い子供が歌舞伎を知っているという前提の下で成立します。果たして、幼い子供が歌舞伎を知っているでしょうか。

    多くの子供は歌舞伎を知らないでしょう。歌舞伎を知らない子供が、歌舞伎役者の所作に兄の顔が似ていると思うはずはありません。それは、主人公がロンドンに行ったことがないのに「(主人公は)ロンドンの街並みに似ていると思った」と書くことと同じだと、私は思います。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/09/25 12:18
  • >言い換えれば、「幼い頃から彼女は兄の顔は、農家の庭先で、のべつ、歌舞伎役者の様に見得を切っている、雄鶏に似ていると思っていた。」などと書けば、より判り易いので、「言葉足らず」と言えば言葉足らずですが、そこは著者が、読者の知性に期待しているところでしょうか?

    私が疑問に思うのは、幼い子供が歌舞伎を知っているかということです。 歌舞伎を知らないのに歌舞伎役者の所作に兄の顔が似ていると思うのは不自然ではないかということです。それは、主人公がロンドンに行ったことがない(ロンドンを知らない)のに「ロンドンの街並みに似ていた」と書くことと同じです。

    誰の視点で書いているかということは、小説を書く上での重要なポイントです。視点が定まらない小説は、読者を混乱させます。私は、この本を読んですんなり理解できないところが多々ありました。その原因の一つは視点が定まっていないことにあると、私は思います。

    「雄鶏が見栄を張るとはどういうことでしょう」の補足画像3
    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/09/25 14:14

A 回答 (5件)

動物園かどこかで鶏の動きを観察しているとよくわかるのですが、雄鶏も雌鶏もよく頭を左右に動かします。

作者はこれを歌舞伎役者の見えに例えたのでしょう。
私はこの文を読んで、このお兄さんは時々頭を左右に振るくせがあって、第三者にはそれが気取ったジェスチャーに見えるのだと感じました。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ahkrkrさん。回答ありがとうございます。

>作者はこれを歌舞伎役者の見えに例えたのでしょう。

作者はかなりの年輩者です。私が違和感を覚えるのは、作者は歌舞伎を知っていても、幼い子供は歌舞伎を知らないのではないかということです。歌舞伎を知らない子供が、歌舞伎役者の所作に兄の顔が似ていると思うのは不自然ではないかということです。

お礼日時:2016/09/25 11:48

お礼ありがとうございます。



> 私は、言葉足らずではないかと思うのですが、どうでしょうか。

前後の文章を読まないことには、何とも言えませんが、あくまで文学的表現であって、余り拘らなくて良いかと思いますよ。
「見栄」が「見得」の間違いと読み解いたところで、お終いと言いますか・・。

まず「兄の顔」は、「雄鶏に似ている」のは間違いないところですね。
また、単に「雄鶏」に似ているのではなく、「のべつ見得を切っている雄鶏」と、歌舞伎役者に擬人化された雄鶏に似ているとしています。

ただし、これを擬人法と読み解くには、読者が「見得」を、「歌舞伎役者のポーズである」とを知っていなければならないワケです。

言い換えれば、「幼い頃から彼女は兄の顔は、農家の庭先で、のべつ、歌舞伎役者の様に見得を切っている、雄鶏に似ていると思っていた。」などと書けば、より判り易いので、「言葉足らず」と言えば言葉足らずですが、そこは著者が、読者の知性に期待しているところでしょうか?

更に、そこから先は、読者の想像力に委ねているのかな?とも思われます。
すなわち、兄の容姿に関し、単に雄鶏だけじゃなく、歌舞伎役者の様な凛々しさや、カッコ良さなども持ち合わせているとか。
「見得」と言う部分に注目すれば、「少し偉そう」な印象を持たせる顔立ちなのかも知れませんが。
あるいは、「のべつ」と言う単語からは、容姿のことだけじゃなく、ちょっと落ち着きがなさそうな様子なども想像することも可能です。

そこら辺りは、後の文章で判明してくるのではないかな?と思いますが、いずれにせよ、この文章からは、単に「兄は鶏顔だ」と言っているだけではないくらいを、把握しておけば良いかと思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

key00001さん。再度の回答ありがとうございます。

>「言葉足らず」と言えば言葉足らずですが、そこは著者が、読者の知性に期待しているところでしょうか?

なるほどと思います。

お礼日時:2016/09/25 10:53

私は「雄鶏が見得を切る」の間違いだと思いますが。


根拠は直前の「のべつ」で、意味は、「絶え間なく」「ひっきりなしに」です。

歌舞伎の「見得」は、クビをぐるりと回してポーズを決める、見せ所ですが。
ニワトリって、始終、首をキョロキョロさせますよね?
キョロキョロと言うよりは、「カクッカクッ」と言う感じでしょうか?

その一回一回の挙動を、歌舞伎の「見得」に譬えているのではないですかね?
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この回答へのお礼

key00001さん。回答ありがとうございます。

私もこの質問を投稿した後に、「見栄を切る」は「見得を切る」の間違いだと気付きました。私が理解できないのは、「雄鶏」が見得を切っている姿と「兄」の顔が似ているという点です。私は、言葉足らずではないかと思うのですが、どうでしょうか。

お礼日時:2016/09/21 19:22

雄鳥ですよね?



雌鳥ハーレムを維持しなければならないので、自己顕示、縄張り防衛、他のオスや害獣

の放逐に日々懸命です。そのため、瞬時も、モウケッコウ、とはならないわけです。

常に警戒を怠らない様かと思います。
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この回答へのお礼

daaa-さん。回答ありがとうございます。

鶏も他の動物と同じなのかどうか知りませんが、雄が雌に気に入られようとして目立とうとするのは無理もありません。しかし、兄の顔が見得(「見栄」は間違い)を切っている雄鶏に似ているというのはどういうことでしょうかね。私はさっぱりわかりません。

お礼日時:2016/09/20 12:38

●見栄を切る



(1)おおげさな言葉や態度で、他人に自信のほどを示す。
(2)歌舞伎で、役者が見得のポーズをとる。

●見栄を張る
自分をよく見せようとして外見を飾る。

らしいです


http://www.bell.jp/pancho/k_diary-18/2016_04_28. …
ここに
舞台の役者のように、金地の背景に鶏が歌舞伎の見栄を切る《仙人掌(さぼてん)群鶏図襖絵》
という、実際に雄鶏が見栄を切っているらしい絵が載っています
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この回答へのお礼

_11さん。回答ありがとうございます。

「見栄を切る」ではなく「見得を切る」ではないでしょうか。

お礼日時:2016/09/19 20:18

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