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日本人の気質として、「長文が嫌い」と言うのがあるのではないかと思います。
私としても、回りくどく長ったらしいだけの文章なんざ糞食らえではありますが…。
本を読んで居られるのは、余程の暇人でなければ出来ない行為と言えましょう。
日本での文章の作り方で正義とされているのは、「具体的かつ簡潔的な説明」ではないかと…。
それゆえに、俳句・短歌作りが脚光を浴びているのではないでしょうか。


皆様としては、このテーマについてどのような見解が出来ましょうか?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    この「教えて!goo」に限らず、色々なQ&Aサイトであっても、変に長文ダラダラと書いた回答者が出没したりしますけど、あれは本当に迷惑です。変に行間空けを乱発して長文ぽくしたりする者もいるし、非常に面倒です。そういう回答をするユーザーは除名処分となるべき。

    知識をひけらかしているかのようなものがあって、マジでカチンと来るし。

      補足日時:2024/05/15 08:18
  • 自分からすれば、読書感想文の制度を直ちに撤廃するべきやな。「長文こそ正義」というのを洗脳する為にやってるのであり、教員らも左翼の手先に成り下がってるなら学校制度の撤廃まで考えなアカンかもな!!左翼ほどに、長文を好む屑粕な種族に久しいし。

      補足日時:2024/05/15 16:17

A 回答 (5件)

それは確かに言えますね

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この回答へのお礼

やはり、島国気質というやつなのだろうか…。

お礼日時:2024/05/15 15:05

というか日本人・大和民族というのは元々口数が少ないんじゃないですかね。

黙って黙々と真面目に働くというイメージがあると思うんです。要らんこと言うて和を取り乱したりしない慎み深い民族性みたいな。白人の人たちって話すのが上手というかとにかく誰でも口が達者なとこありますね。何かそういう民族性が大きいと思うんですよね
4 sukopon
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この回答へのお礼

口だけ達者な奴ほど、コロナの神罰が降りかかるべき。だから、白人らの住む欧州圏にて、コロナ汚染となるのである。口が達者な分だけ、悪賢いのである。

お礼日時:2024/05/15 17:39

日本人にそういう気質があるとは思えませんね。

文の長短の受けとめは場合によってそれぞれですね。
例えば高校の授業で芭蕉の「古池や」を読まされた時「何これ」ととてもイラっとした覚えがありますし、「戦争と平和」を飽きもせず読んで重い感動を抱え込んでしまったこともあります。
自分の気質を日本人の気質に敷衍して安住するのはやめましょう。
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「日本人の気質として」ではなく、単なる「個人の気質として」というだけでしょう。

それも「質問者さん個人としての」。

「日本人の気質として」というのであれば、統計を取って「分布」を調べてみないとわかりません。

「俳句・短歌」は、事実や情景や考えを客観的・論理的に記述するものではなく、「そこはかとない心持ち」「移ろいゆく気分」を情緒的に表現するものですから(「余韻」や「表現されてないこと」をたくさん想像・忖度しないといけない)、この場合の例としては適切ではないでしょう。(「表現する側」ではなく「受け手の資質」が重要)
むしろ、海外も含めた「旧ツイッター」(これを「X」といえない現実がまどろっこしい)のような文化を考えるべきでしょう。
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日本語は英語のように、関係代名詞で繋ぐ入れ子構造とか、カンマで区切って別のセンテンスを挿入するということが難しい言語です。



また、助詞で文章を構成できるので、レイアウトが比較的自由で主語(主部)と述語(述部)の関係性を明確にするのが困難である、という特徴もあります。

 この点で有名なのが「象は鼻が長い」問題で、主語が「象は鼻(が)・述語:長い」なのか、主語「象(は)・述部:鼻が長い」なのかはいまだに決着がついていないそうです。

長文にこういう部分があると、意味が何重にもなってしまう場合があります。

なので「日本語として相手に意味を読み取らせたいなら、一つのセンテンスはなるべく完結にするべき」だと私も思っています。

参考までに、上記の文章を全部ひとつにしてみましょうか(読まなくていいです)


日本語は英語のように、関係代名詞で繋ぐ入れ子構造とか、カンマで区切って別のセンテンスを挿入するということが難しく、また、助詞で文章を構成できるので、レイアウトが比較的自由で主語(主部)と述語(述部)の関係性を明確にするのが困難である、という特徴もある言語で、有名な指摘に「象は鼻が長い」問題があり、主語が「象は鼻(が)・述語:長い」なのか、主語「象(は)・述部:鼻が長い」なのかはいまだに決着がついていないらしく、実際の長文にこういう部分があると、意味が何重にもなってしまう場合があるので、「日本語として相手に意味を読み取らせたいなら、一つのセンテンスはなるべく完結にするべき」だと私も思っています。

この文章文法的には破綻していないはずですが、意味を読み取るには区切った文章よりも手間がかかるでしょう。

俳句・短歌については、質問者様のご指摘のように、日本語の機能として現代とマッチしたからだと思いますが、元々七五調の文体は「とにかく長くずらずらと読める(書ける)ようにするため」だったと思います。

実際、平安時代などには連歌が流行っていて、二人もしくは何人かの読み手が相手の歌を受けてずっと続けていく、という遊びが流行っていました。
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