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人間は死というゴールがありそれに向かってみんな後悔しないように生きていますが、
最近死後の世界がだんだんと解明されていき
あると思っている人が少なからずいるとは思うのですが、仮に死後の世界があったとしたら何のためにそこで存在するのですか?
目的がなければみんな頑張れないとおもうのですが。
知ってる人はいないとおもいますが、みんなさんの意見をおねがいします。

質問者からの補足コメント

  • 死後の世界ある、ないの話ではありません。

      補足日時:2016/11/13 21:33

A 回答 (12件中1~10件)

世の中はフラクタルな存在である。


フラクタルとは何か。
簡単に説明するならブロッコリーのことだ。
ブロッコリーは、その一部分を切り取ると、切り取る前と同じ形の縮小サイズとなる。さらにそこから一部分を切り取っても同じである。
もう少し科学的な分野に足を踏み出そう。中性子や陽子で出来た原子核の周りには電子がまわっていて、原子を構成している。地球の周りには月が回っている。太陽の周りには地球やその他の惑星が回っている。太陽系はまた何かを中心として回っていて銀河を構成している。
このように、何かの形が小さい領域から大きい領域まで連続している様子をフラクタルといい、宇宙を見てみるとこの世はフラクタルな存在であることが想像できる。

さて、次は次元を理解しなくてはならない。
0次元とは点のことである。
1次元はベクトルが一つできて線になる。
2次元とは二つのベクトルで表されるので、縦と横の概念ができ、平面となる。
3次元はもう一つの方向にベクトルができ、縦、横、高さという立体になる。
4次元は時間軸というベクトルができ、我々が生きている世界である時空となる。
これも、自然科学的に考えるなら5次元、6次元と続いていくだろうことは想像できる。
恐らく、5次元とは時空が複数存在する世界であろう。あなたが今、右手を上げた時空と右手を上げなかった時空というように、この世界の物体の動きの選択肢分だけ、別の時空が存在しているのだ。
6次元に至っては、複数の時空が更にどのように多様化するのか、もはや人間には認知できないだろう。

我々人間は立体の存在で時間の中を生きている。つまり、4次元の存在なのだ。
4次元の存在は3次元以下をコントロールできる。
つまり、立体の形を変えることができるのだ。子供が砂場で山を作って崩すことができるように。
しかし、4次元の存在は同一次元である時間をコントロールすることはできない。時間を巻き戻したり、未来に行ったりはできないということだ。相対性理論でいうと、光の速さを越えれば時間は巻き戻されるとのことだが、光は相対的な速度で存在する可能性があるあると共に、巻き戻された時点で今の自分はいなくなる。やはり、コントロール外ということだ。
また、4次元の存在である我々は5次元の世界を、つまり時空が複数存在するということで想像はできても、自分が存在している時空以外の時空を認知することはできない。時空間を移動できないということだ。
そこには、死んでしまったあなたの大切なひとが生きている世界がある。
全ての可能性が無限に続くのだから。
でも、この世界とは別物なわけで、我々とは関係ない。
願わくば、そちらの世界ではあなたの大切なひとが幸せに生きていてほしいと願うばかりであるが、恐らく、無数に時空が存在するわけだから、幸せに過ごしている時空も存在するだろう。

思考を研ぎ澄ませよう。自らの次元より下位の次元を動かせるという法則を適用すると、6次元の存在は5次元を動かせる。つまり、複数の時空間で何かを動かすことができるのだ。霊が現れるのは科学的にある意味正しい。6次元の存在が別の時空からこの世界にないものを連れてくることは理論上十分に可能なのだ。
少し戻るが、5次元の存在は現在過去未来を行き来する。つまり、様々な選択肢を作り出すことによって、新たな時空を作り出すことができるのだが、今我々がいる時空は変わらない。そういう意味で神ではないが、未来に行くことで、予言はできる。神の子にはなれるわけだ。
しかし、6次元の存在は我々の生きているこの世に別の時空から何かを動かしてくることができる。これは、我々からすると神以外の何者でもない。
そして、6次元を構成する新しいベクトルは、人智を超えた概念である。
縦、横、高さ、時間、時空の枝分かれ、その次にある概念とはなんだろう。
恐らく、あの世や天国という世界は、このベクトルによって構成されており、人間には認知することができない。

あなたは神を信じますか?
科学的に合理性を持って答えるなら、当然にイエスである。
そして、6次元以上の存在である神は5次元の存在である神の子を我々の世界に遣わせた。
イエスキリストその人に他ならない。
イエスキリストは予言をあて、生き返った。
未来に移動できるからであり、神の子として神という存在を知覚できるのは我々より上の次元である5次元の存在であったからであろう。
他にも、神の子として遣わされた存在はいるかもしれない。一人である理由がないからだ。
様々な宗教が預言者の出現によって成立しているのはこのためかもしれない。
教えや教訓が違うのも当然である。
我々は、自らが信じる神の教えを守り、死後の世界の準備をしなければならない。
恐らく、6次元を構成するベクトルは、物体という実在を超えた精神世界の連続性で構成されているのだろう。我々のような非力な存在にとって、実在以外の存在は、そう表現することしかできない。
子供を愛する親の想い、大切な人を愛する気持ち、困っている人を慈しむ感情。
こういった精神世界が実在から離れて行き来する世界。
これを天国と呼ぶならば、私たちは人を愛し、慈しむ気持ちを常に持ち続けることで、死後の世界に精神的に愛を持って存在し続け、大切な人達と関わり続けることができるだろう。
これが天国と呼ばれる世界なのだ。
反対に、人を憎み、妬む精神の世界は地獄である。

そう、汝の隣人を愛せよ。
常に良き心の状態を保ち、その気持ちを周囲に表現し続けること。
これこそが、我々が天国に行くために、生きている間に大切にすべき唯一の事柄なのである。
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時計で例えると午前、生 午後 休み こんな感じで生まれ代わります。

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いわゆる死後の世界はそこに並行して存在しております。

われわれの本質は霊性です。死によって予め自分で決めた今回のテーマは終わりもとの意識世界に戻ります。意識世界は常に神と同一です。神の目的は愛光徳善を広め向上することです。神の上には更に上位の何重にも神の存在があるのかもしれません。全ては無限で無尽蔵で同時に無です。無というのはゼロではなく、理解できないということです。安心し今の瞬間を感じ楽しみ、よりよくすることです。
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おじさんです。


「最近死後の世界がだんだんと解明されていき」
→解明されてきている、とは聞いたことがありません。
人間は死後の世界に向かって生きているのではなく、生きている世界の中でそれぞれの目的に向かっていきているのでしょう。
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目的とか無くても何となく生きれるかな、死ぬ瞬間は後悔もしないかも(それどころじゃないから)臨死体験もあれも現実では無いかなぁ(脳の中での事だと思う)死後の世界も無いかなぁ人間だけですものね死後の世界って、動物は? おかしいですね。

もしあの世が有ったら賑やかで五月蝿そうですね、揉め事や殴り合いやら何でもあったりして、ある意味怖いかも。
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>目的がなければみんな頑張れないとおもうのですが。



目的はあるのに、頑張れない、そういう質問が沢山投稿されています。
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>人間は死というゴールがありそれに向かってみんな後悔しないように生きていますが、



ほんとですか? ある意味初耳です。とくに「みんなが」というところと、「後悔しない」は「目的」といえるのか、というところ。

現世でも目的はハッキリしていません。あの世も同じでしょう。もしあの世があるとしたら、やはり悩みながら生きるしかないと思います。
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別段目的なんてありませんよ。

死後の世界の目的を尋ねるのは、山や海がそこにある目的を尋ねるのと同じです。我々は空間の4つ目の軸に沿った背丈があり、それゆえ、肉体の消滅後も生き続けます。我々は単にそういう存在であるだけです。
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死後の世界は、この現生の世界に反映されることです。

通常の人間にとって、一番大切なものは、自分の息子・娘・孫。自分の行いによって、その一番だいじなものが、弊害にならないように、頑張ります。
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現世は修行の場と言われてますよね。


で、現世で修行して死後の世界でまた転生する順番を待って(これもある見解だとかなり厳しいんだとか)
またすべてを忘れて現世に修行に来ると。
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