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つい最近、親戚が亡くなりました。
その人は私の実家の近所に住んでおり
私が幼い頃からアルコール中毒で
色々な人に多大な迷惑をかけていました。

何度も我が家に来ては暴れたり
直接怪我を負わされたりしたことはありませんが
刃物を持って母と私を追い掛け回したり
夜中に意味不明の脅迫まがいの電話をかけてきたり
精神的ダメージを負わされました。

いまは父や母はさほど気にしてないようですが
当時幼かった私には、それはそれは怖い体験として
決して忘れることのないトラウマになりました。
30歳を超えた今でも、刃物や電話の音に敏感ですし
その恐怖は体に摺り込まれています。

その人が亡くなりました。

今わたしは結婚をして実家を遠く離れていますが
私の田舎ではお盆には必ず帰省して先祖様や
親戚のお墓に手を合わせる風習が根強くあります。
安らかな気持ちでその人のお墓に手を合わせることは
ぜったいにできないと思うのですが
それでも手を合わせて何か(心の)声をかけた方がいいのでしょうか?
無視はしないほうがいいのでしょうか?

14日に帰省します。よろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

亡くなった方がどんなにしても、もう二度とあなたの目の前に形を成すことはできません。


安らかに、どうぞこのまま、あの世でお過ごしくださいと手を合わせたらいかがでしょう?

絶対できないとおっしゃっていますが、死者を冒涜することは日本では良くないこととされています。

悪い記憶があるかもしれませんが、全て過去のこと。
生きて明日のある貴女は、ご親戚を許してやることができるでしょうから。

無視はしないで、「もう二度と、あんなことはしないでください。私達を悪い思い出で苦しめないでください」とでも声をかけたらどうですか?

貴女の気持ちの整理のために。
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この回答へのお礼

感情が高まっていたのですが少し落ち着きました。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2004/08/12 18:34

似たような話をきいたことがあります。


墓に手をあわせることができるか迷ううちはひどいめには
あっていないのではないですか?

墓に悪さするとそれは犯罪らしいです
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この回答へのお礼

そうなのかもしれません。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2004/08/12 18:36

n-s-tさんがどの程度の部分にまで嫌悪感を感じるかによって対応の仕方が変わってくるので


まずはどこまでなら我慢できるのかを明確に線引きをし
全ての条件を考慮して秤にかけて結論を出す以外にないと思います。

その人のお墓に手を合わせるのが耐え難いのか
その人のために時間を使うこと自体が耐え難いのか
いやなことを我慢している自分自身が耐えられないのか
などなど、嫌悪感の出所も重要なポイントになります。

細かい線引きまでは現状では読み取れないので質問文中にある
「安らかな気持ちでその人のお墓に手を合わせることは
ぜったいにできないと思うのですが」
という部分について考慮した結果を書きます。

親戚一同で墓参りをするのだとして
・手を合わせるという行為が許せないのなら
手を合わせないようにして墓参りを何とかやり過ごす。
・他の親戚の目(世間体)が気になって手を合わさずにはいられないのなら
手を合わせるだけあわせて心の中は安らかな気持ちになる必要までないと思います。
・個人的にはどうでもいいことだと思っていますが
石に向かって手を合わせる場合にその石がいやな人を含む先祖様を象徴しているのなら
心の中で「いやな人意外」に祈りをささげる。

内面や外面での対処法はこれら以外にもいろいろあるとは思いますが
おそらく何かのきっかけでいやな記憶がよみがえることで
嫌悪感を感じておられるのだと思うので、
いやな気分になると言う観点から見ればどのように取り繕っても(他人に対しても時分に対しても…)
結局のところ「いやな記憶のある人」を連想する出来事は
精神的にいやなイメージはぬぐいきれないのかもしれませんね…

慰めにもなりませんが
人間は忘却するという能力もありますので
いつか意にも介さない過去の出来事に成り下がってくれるかもしれません。

直近の「手を合わせる」といったことに対しては何とかアドバイスの余地もありますが
トラウマの克服に関しては私からアドバイスできることはなさそうです。
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この回答へのお礼

私が嫌だと感じているのは「本当は冥福を祈ってあげようという気持ちがないのに形だけ手を合わせる」ということです。
自分の心と逆の行動を取るということです。
色々な意見をいただき気持ちが変わってきています。
人間は忘却するもの。。そうですね。
少しづつ忘れることができるような気がします。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/08/12 18:45

 墓に手を合わさないのは有りだと思いますよ。

その一人だけが入っている墓だったら私も手を合わせないでしょう。

 ただ大勢の方がはいってらっしゃるので、それには合わせると思います。
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この回答へのお礼

その親戚のご先祖様も入っています。
そうですね。そういう考え方もありますよね。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2004/08/12 18:47

死体や墓石はあなたがどんな態度を取ろうと気にしません。

気にする
のは、周囲の生きている親戚や知人です。墓参りは死人との関係です
るのではなく、生きている親戚との関係でするんです。

よって、親戚との関係を良好に保つことが大事であれば、格好だけそ
れらしく振る舞っておきましょう。心の中はバレませんから、「やっ
と死にくさってせいせいした」でも「今日の晩ご飯はどうしよう」で
もオッケーです。もちろん、親戚内の力関係によっては「あんなヤツ
の墓に手を合わせられない」と宣言してもいいでしょうが、年寄りは
そういうの嫌がりますからね。
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この回答へのお礼

時間をずらせば親戚と一緒になることはないので
親戚の目を気にしての相談ではありません。
気が楽になるご意見ありがとうございます。

お礼日時:2004/08/12 18:56

どんな人でも亡くなれば仏として葬られます。


すでに故人は人ではなく仏です。
仏様に手を合わせて、安らかに極楽浄土にいけるよう
お念仏を唱えられますようお願い致します。
今までのことは関係なく・・
その方が貴女のためですよ。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
心が落ち着いた気持ちがしました。

お礼日時:2004/08/12 19:01

 こんにちは。


気持ちはとてもよく分かります。間違えば質問者さんにも危害が及ぶような状態だったのでしょう。

 でもそれは生前のこと、亡くなってしまえば生前はどんな悪人でも仏様ですから、この世では何もすることはできません。
 憎い気持ちはありますが、亡くなった方の魂を鎮めるためにも手を合わせるのは悪いことではありません。

 古来から、虐殺されたり非業の死を遂げた人の魂を鎮めるために、神社やお寺を建てて懇ろに供養したら何も起きなくなったということが少なくありません。

 その亡くなったがどうというのはありませんが、心から手を合わせられる気持ちがなくても、形だけでも手を合わせてお参りするのが良いと思います。形だけでも気持ちは通じますし、ましてやそういう風習の強い地域であれば、手を合わせない者は罰当たりで昔から言う村八分になる恐れもあり、実家の親戚の人にも迷惑が掛かります。

 ずるがしこい考え方かもしれませんが、まずは「郷に入っては郷に従え」と言われる通り、形だけでも手を合わせるのが賢明です。無視はしない方がいいです。

 ことわざについてのサイトを貼っておきます。
参考までにどうぞ。↓

参考URL:http://www.alc.co.jp/jpn/learner/kotowaza/03.html
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この回答へのお礼

説得力のある回答ありがとうございます。
憎しみをぶつけるのではなく故人の魂を鎮めるために
手を合わせてみようかと思いました。

お礼日時:2004/08/12 19:24

 こういうふうに考えてみてはいかがでしょう。


そいつは幼いn-s-tさんを脅かして傷つけた人間だけど
今はもう死んでしまって、n-s-tさんを傷つけることはできなくなった
それを確認するためにお墓にお参りするのだと。
安らかな気持ちでお墓に手を合わせるのではなく
お墓に向かい合うことで安らかな気持ちになれると考えれば
田舎の風習に無理に逆らう理由はないのではありませんか。
嫌々手を合わせる自分に偽善を感じる必要もありませんし。

 お墓に向かい合っているうちに、あんな暴力的な存在だった人間が
今はこんな無力な存在になったんだと思ってみると
時間の流れと人間の無力さということに思いをはせることにもなるでしょう。
もう何もしないんだし、許してやってもいいかなという気持ちが生まれるかもしれません。
許そうという気持ち、それがトラウマからの脱出の一歩です。
長く続く風習には大事な意味があるものですよ。
死んだ嫌な親戚のためではなく自分のためのお墓参りにして下さい。
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この回答へのお礼

todorokiさんのおっしゃる通り、実際そのひとが亡くなったことで
「もうあの人に傷つけられることは無いんだ」と
ホッとしている自分も実はいるのです。
たくさんの色んなご意見をいただいてずいぶん気持ちが動きました。
手を合わせることで楽になれるかもしれません。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/08/12 19:29

こんにちは。



私にはそこまで憎く思う人がいませんが、質問者様の思いが分かるような気がします。

今、質問者様がそのお墓に手を合わせたくなければ、合わせなければいいのではないでしょうか?無理することはないと思います。

しかし、これから質問者様も歳を重ねていかれ、人の生き様、死に様に触れることが多くなっていく中で、手を合わせることが自然にできる日がくるかもしれません。その日が来たら手を合わせて心の言葉を伝えればいいと思います。

若い頃は葬式などの席でお坊さんの話を聞いても「作り話」めいて聞こえていましたが、今は自然に聞き入っている自分がいます。

質問者様は自然体で自分の心に素直にお墓参りを済ませればいいと思います。(今年と来年と同じ気持ちとは限りませんよね)
良いお盆をお過ごしください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そのひとのお墓に手を合わせることが
無理をすること=自分の気持ちに嘘をつくこと
のような気がしてたのです。
だいぶ気持ちや考え方が変わってきました。

お礼日時:2004/08/12 19:33

こんにちは、そうですねそろそろお盆の時期でしょうか、、。


あなたのトラウマ、私にもよく理解できます。私の実父もまだ生きては
いますが私の小さい時から酒が好きで酔っていない時が珍しいほどでした。

当然ながら夜は遅く帰り家族をたたき起こして大騒ぎばかりの毎日で本当に
私も子供なりに恐怖を感じておりました。
まあ、今ではアルコールの力を借りなければ自己主張が出来ない可愛そうな
人だというふうに思ってあふれ出そうな憎しみを抑えています(笑)

さて、あなたの憎い人の場合はすでに故人となりこの世には居ないのです。
あなたの怖い体験はもうそれ以上の怖さを味わうことなく後は時間やあなたの
これからの考え方で薄れさせることが出来るでしょう。
恐怖は逃げたり避けたりすると追い掛けてきます、ここはしっかりと正面から
向き合ってトラウマを中和する努力をされることをお勧めします。
とにかく恐怖の原因は過去となりあなたはこれからを生きていけるのですから、。

そして生前の行いは地獄の閻魔大王がそれ相応の裁きを出してくれると思います。
したがって現世にいる私たちは故人を慈悲の心を持ってその墓前にて両手を
合わせて死後の冥福を祈ることで故人の人間界での行い(善行や悪行)の
全てをいとおしくしてあげようではありませんか。

故人の冥福を祈ること、それこそが現世にいるあなたと死後の世界に逝かれた
故人とを明確に隔てて辛く恐い過去に決別をつける行為かと私は思います。
辛く複雑な心境でしょうがこれからのあなたのために両手を合わせてください。
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この回答へのお礼

近い体験をお持ちの方のご意見をいただけてうれしく思います。
今後のことは閻魔様にお任せすることにして
私は自分のために手を合わせようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/08/12 19:37

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