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室町幕府が鎌倉幕府で行っていた執権をなぜやめたのか教えてください。

A 回答 (2件)

室町時代の「管領」(執事→管領、名称変更)は、足利氏の家臣で足利氏を仕切る立場、細川氏、畠山氏など(複数)が管領になった。


足利氏当主が将軍になると管領の立場はどんどん高まった。(将軍は名目上で実権は管領が持つことになった)
鎌倉幕府滅亡後も室町幕府の「管領」が(鎌倉幕府の例に倣って)「執権」と呼ばれた事例がある。
鎌倉幕府の「執権」(鎌倉殿の家司筆頭)は将軍以上の権力を持っていた(鎌倉幕府の執権も管領と呼ばれることがあった)。
「執権」が鎌倉幕府の事実上の最高責任者となる体制(北条氏一人が独占)となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E9%A0%98

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B7%E6%A8%A9

(鎌倉)執権独占→(室町)複数の管領
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この回答へのお礼

仕組みが難しいですね。 
ありがとうございました。

お礼日時:2017/01/20 22:13

鎌倉幕府では、将軍を差し置いて、執権が


権力を握って、将軍を凌駕してしまった
弊害があったからです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/01/20 22:12

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