アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

一応、死刑賛成という前提で考えます。
死刑賛成者の多くは 被害者遺族の身になって 奪った命は 自分の命を差し出して償うのが当然という考えがあると思います。
しかし、宅間守や加藤智大なんかは 死刑は当然なのに 喩えようのない やるせなさを感じるのではないでしょうか?
宅間は裁判で
「お前らの子供8人は わしが殺して わしが死刑になるために生まれてきたんや。」とか言ったそうです。
遺族としても 宅間を生かしておくのは 言語道断だけど、死刑にしたら 宅間の思い通りになったようで、特に 宅間が言ったように 自分の大事な子供の命が あんな外道の命の 1/8しかないことを認めるようで 非常に悔しい思いをしたと思います。
それに、遺族たちも いざ 宅間の死刑が執行されてみて、区切りはついただろうけど、虚しさを感じ、宅間の最後のセリフが頭に蘇り、自己嫌悪に苛まれたんではないかと察します。
命は命で償うというは、逆から 考えれば 最初から自分の命を差し出すつもりなら 何人殺して構わないということにも なりかねません。
死刑賛成派の論理だと 命はどれも同じ長さで 数本束ねても長さは変わらないということになるかと思いますが、死刑反対派の人からみて、命は命で償うことの最大の不条理は何だと思いますか?

A 回答 (6件)

命で償われても失った命は戻ってきません。



どっちかというと一生苦しみながら生かすほうがいいように思います。

自分がやったことを後悔して病気でも軽いものなら働く。懲役での費用は

囚人が払う。税金からは一銭も出ないという風に
すればいい。

遺族の気持ちからすると自分の命を粗末にするやつの命と殺された命が同一な
わけないです。

何十年も掛かって苦しみながら死んでいくほうがいいと考えます。こういうやつは。

死刑を濫用されないように反対はしますが、心が人間を保つのだけです。

死刑反対は。人間扱いされない苦しみを与え続けるのが妥当と考えます。

命の価値を知らないやつは人間ではありません。死刑より残酷な刑にしたほうがいいと考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>命で償われても失った命は戻ってきません。
中には頭が悪いくせに「そんなの屁理屈だ。」と偉そうに言う人もおりますが、
私なりに考えました。チェスで言えば、自分のクイーンを交換するようなものかもしれません。チェスは将棋と違って 相手の取った駒を再利用できませんからね。

お礼日時:2014/04/17 18:44

受刑について、報復ないし悪事への罰(償い)だというのが前提


になっているようですが、そうではありません。
日本の受刑は、更生が目的です。
「更生が目的なら死刑はおかしい」という話は昔からありますが、
そもそも「更生が目的」なのは、公益のためだからです。
受刑者を食わすのもコストがかかるし、死刑にしても0であるが、
更生して社会に貢献すればプラスな訳です。

その観点からして、死刑の存在によって凶悪犯罪への抑止力に
なるという考えです。
死刑になる宅間が死刑を喜んでいようと、遺族が不満だろうと、
関係のない話です。
死刑反対の方々の主張は、そんな話ではなく、冤罪の場合に
取り返しがつかないからです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>その観点からして、死刑の存在によって凶悪犯罪への抑止力に
なるという考えです。
これは 善人も悪人も命は個人にとって一番大事なものであるという価値観を共有することで
抑止力として意味があるけど、宅間のように自分の命を捨てるような輩には通用しなかったようですね。また、日本では 年間3万人近くが自殺しますが、自殺でもっとも多く用いられる方法は 死刑の方法とも似ています。ということは、単純に考えて 娑婆で生きても 死刑になることよりも辛いことが沢山あるということになるかと思います。

お礼日時:2014/04/18 08:43

>お酒をどのくらい飲んだらいつまでハンドルを握っていけないのか、基準も曖昧なことです。



正常な運転ができない状態で運転するなということはありますね。
それと、我社では二日酔いで仕事はできません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>正常な運転ができない状態で運転するなということはありますね。
それと、我社では二日酔いで仕事はできません。
私のいた会社では もっと厳格でした。宴会はいつも 翌日が休みの日に行われ、みんな 旅館に泊まるのが原則でした。また、車を運転する人は 夜の12時以降は お酒を飲むなと言われてましたし。
でも、私がいたような会社は少数派でしょうけど。

お礼日時:2014/04/17 19:14

無残に子どもを殺された親が、子供の恨みを晴らすために、犯人を殺すことがあることです。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>無残に子どもを殺された親が、子供の恨みを晴らすために、犯人を殺すことがあることです。
死刑に抑止力を期待するなら、復讐を厳しく戒め、こういうケースほど 死刑にすべきでしょうね。

お礼日時:2014/04/17 18:53

刑法には「殺人をしてはならない」とは書いていないのです。


「殺人は懲役○○年または無期または死刑に処す。」と、事後処理しか書いていません。

飲酒運転の罰則が厳しくなっても飲酒運転はゼロにはなりません。
犯罪はモラルではどうにもならないことはわかりますよね。


事件があった場合、民事では「元に戻す」のが基本です。
壊したものは修理し、代替品を用意します。元通りにならなかったぶんはお金になります。

殺人も同じですが、遺族は「元に戻す」を求めて裁判します。
でも、死んだものは戻らない。これが最大の不条理かと。
死刑になっても、アメリカのような終身刑でも、お金をいくら積まれても。

刑が課せられるから犯罪を犯さないということではブレーキに限界が有るのでしょうね。

犯罪抑止にモラルもダメ、刑もダメ、あとは何が有効か。ということでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>飲酒運転の罰則が厳しくなっても飲酒運転はゼロにはなりません。
私が疑問に思っているのは 飲酒運転がいけないというのは 子供でも知ってるんですが、お酒をどのくらい飲んだらいつまでハンドルを握っていけないのか、基準も曖昧なことです。
例えば、会社で宴会があり、2次会、3次会と夜の12時過ぎまで 調子に乗って深酒し、次の日も出勤日だけど 二日酔い、でも、会社は休めないってこと サラリーマンなら往々にしてあるかを思います。
それで、朝起きて、車を運転できる状態なのか、アルコールチェックのあんまり普及してませんからね。

お礼日時:2014/04/17 18:51

個の命は個の命です。



失われた命は他のどの命にも代えることが出来ないと、自分は思っています。

志半ばで失われた命(その方の人生)は、その加害者(人為的なもの等であれば)の命では償えないと思います。

客観的に見ればどの命も“命”でしかないかもしれませんが、その失われた命に寄り添う者から見た命は“最も大切な命”である場合があります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/17 18:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す