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私が「本当に心から信じていれば命だって懸けられるだろう」と言えば、皆さん「命を懸けるなど軽々しく言うものではありません、時代錯誤です」などと反論されます。また「あなたはそう言うけれども本当に信じているの? いのちを懸けてもそう言えるの?」と言えば「言論の自由だろう、お前は言論の自由を否定するのか!」と言われます。

しかしですよ、例えばバンジージャンプは命綱が絶対に切れないだろうと心から信じているから、あんな高いところから皆さん命を賭けて飛び降りているのでしょ? 皆さん命綱が切れないと心から信じているから命を懸けているではありませんか。この事実があるのに何故、皆さんこの事実を否定されるのか。事実判断を皆さんの価値判断で否定することなどできませんよ。事実そうなのですから。

「本当に信じていれば、全財産や命さえも懸けられる」というフレーズは色んな難しい社会的問題を解決できる魔法の言葉なのです。
例えば 従軍慰安婦問題も「本当に韓国政府が従軍慰安婦問題(少女二十万人拉致、性奴隷)があったと心から信じているなら、もし間違っていたら竹島を無条件で返してもらうぞ」と言えばそれで片が付くのです。何故なら韓国政府は本当は慰安婦の証言など信じていないのですからです。

このようにこのフレーズで多くの難問は解決できるのです。皆さんも「本当に、心から信じていれば命さえ懸けられるだろう」という言葉に嫌悪感を示さずにどんどん使いましよう。あらゆる難しい問題もすぐに解決できるのですから。

「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?

A 回答 (26件中1~10件)

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」というこの言葉は普通に使っても何らおかしくはないと思いますが皆さんどう思いますか? 私間違っていますか?



真木さんの今回の論旨の流れにいろいろ突込みどころがあるのですが、外国人を相手にする時には日本人とは違った価値観を彼らが持っていることを理解する必要があると思います。文化が違うのです。文化とは価値観の総称のことです。だから文化が違うとは、価値観が違うということです。

日本は日本海という越すに越されね荒海のおかげで、他の文化とは遮断され、縄文時代から現在に至るまで数千年かけて世界的にも類を見ない特異で独特な文化、すなわち価値観を築き上げてきました。外国で生活してみるとへーって思うことばかり。日本人の考え方ってこの国の人とそんなに違うのかって思い知らされることばかりです。例えば、日本人てこの地球上で性善説を信じている唯一の文化を持った国民なんですよ。そして、話し合えば解ってもらえると信じている人が態勢を占めている。

でも、日本以外の国では陸続きだったために互いに侵略しあい、戦に負ければ男どもは殺され、女どもとその子供は奴隷にされてきた。長い歴史の中でそんなことを繰り返してきた人々に性善説を信じよといっても無理です。

もちろん、日本人の作り上げてきた価値観の中には、外国の一部の世界で作り上げてきた価値観と共通した部分がないわけではなく、その共通項の部分のために、日本人が尊敬されている部分もあります。例えば正直であるとか、約束を守るとか、名誉を重んじ恥づべきことをするなという価値観です。このような価値観は、昔のギリシャや中世の西欧や日本のように、常態が群雄割拠で、いつも小国同士が小競り合いの戦さをしていた歴史を持った国に共通した価値観です。そしてこれは、基本的に武人たちが国を支配してきた世界に生じた価値観です。武人は基本的に理系人間で、技術と合理性を重んじる文化を作り上げてきた。しかしこのような小国による群雄割拠が常態であった地域は世界史的には例外に属しています。

世界史的には、圧倒的に大多数の民族は常態が群雄割拠ではなくて、強大な力を持つ政府による中央集権でした。中央集権国家では、小国同士ような小競り合いもほとんどなく長期にわたって安定して平和が保たれていました。そしてこの安定した中央集権国家の支配者は官僚と呼ばれる文系人間でした。戦さもなく社会が安定しているゆえに官僚が世襲化されるようになる。この世襲化された官僚のことを貴族とも呼んでいました。このような安定した社会の支配層を維持するために必要なのは、技術でも合理性でもなく、前例という伝統を重んじる固定化された価値観です。そのように合理的な根拠もなく支配されている一般民衆の中に、性善説など生じる余地がない。

しかし、安定した社会の内部の発展による富の蓄積や外部の予期せぬ環境の変化によって、この伝統による支配の説得力は徐々に失われて行きます。だから、歴史的に見て腐敗しなかった官僚は存在していません。時代と共に官僚は必ず腐敗します。その腐敗に我慢ができなくなった時に短期間の大混乱が起こって、新たな連中によってまた新しい長期の中央集権の安定期に移行して、そのうちにまた腐敗して短期の混乱が起こって、、、とこれを繰り返してきたのが、上記の古代のギリシャ、西欧、日本という群雄割拠地域を除いた地球上の圧倒的に大多数の民族の歴史です。

上に述べたように、このような文民支配による中央集権制度では、合理性よりも前例に基づいた伝統が重んじられる。もちろん、その伝統は偶然の成り行きで出来てきたために、各民族で全然違っています。そのようなそれぞれ違った根拠で出来上がってきた彼らのそれぞれ違った価値観を、合理的な論拠に基づいて話し合えば解り合えて一つの価値観に統一できるはずがありません。唯一できることは、互いに価値観の違いがあることを認識し、それを認め合って、一方の価値観を相手に押し付けずに、それぞれのやり方に任せることです。

真木さんの言う、死の覚悟を持って、とか、名誉を重んじ恥じた行為をしない、とか、公に尽くす、と言う価値観は古代のギリシャ人や群雄割拠で戦争に明け暮れた西洋人や源平以降戦国時代を経験した日本人には理解できるでしょう。しかし、このような武人支配を長年続けてこず、文系の官僚支配を続けてきたにこの地球上のほとんどの国の人には理解できない価値観だと思います。そのような国とうまくやってゆくためには、日本人独特な価値観を相手に強要するのではなくて、某元防衛省大臣がおっしゃったように「丁寧に無視」しながらお付き合いが最善の方法だと思いあますが、どうでしょうか。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございました。

先生のような賢人と議論できることはこの上ない喜びです。
私は南京虐殺や慰安婦問題をいかにしたら解決できるのかを考えてきました。その結論として嘘や捏造で相手に大きな不利益を与えた時には「責任」を取らせればいいと考えました。

私は「心から信じているならば全財産や命だって懸けられる」と言うフレーズを使って日本共産党を問い詰めたことがあります。日本共産党は慰安婦問題を取り上げ日本は謝罪しろとか賠償すべきと言っていたので腹が立って共産党に電話をしたのです。

「慰安婦問題を本当に信じているなら、もしそれが間違っていたら、共産党の全財産を日本政府に寄付して共産党員全員日本から出て行ってくれると公の場で約束できますか? 心から正しいと信じているならば約束できますよね」と電話をすれば彼らは長く沈黙するのです。数人に電話しましたがやはり答えられず同じように長く沈黙するのです。共産党だって20万拉致、性奴隷など本当は信じてはいないのです。責任を追及すれば彼らは黙るのです。

先生、多くの問題を解決するのは責任を追及すればいいのです。日本を少しでもまともにするには責任の復活です。日本政府が腹を決めればすぐに片が付く問題です。慰安婦を信じているなら両国の国民でTV討論をやろうでもいいのです。とにかく公の場で責任を追及すればいいと思うのです。

私も官僚は腐敗すると知ったのはシナの科挙制度です。敵から責められて敵が強いと見れば一番に相手に寝返るのは官僚だったそうです。宦官でさえ敵と戦ったと言うのに。いわゆる戸塚先生の言われるように小さい時から遊びもあまりせず喧嘩もしなければいろんな本能が生き生きしてこないのです。群れを守ると言う愛国心の本能も壊れているのです。官僚の支配政治を終わらさせなければなりません。官僚に権力を与えてはならないのです。官僚も責任を取りません、だから腐るのです。昔の日本人は権利や自由などの言葉は無くても社会はうまく回っていました。何かあれば腹を切って責任を取ると言う文化があったからです。日本は西洋からの自由や権利、人権などで責任感が喪失したのです、日本の復活は責任感の復活です。
コメントありがとうございました。またよろしくお願いします。

お礼日時:2019/03/03 21:27

( ̄▽ ̄;)まだ続いてる



なら、追記

なぜにくだらないか!

命をかけるって言葉が
くだらないんですね

私の大好きな歌手で
尾崎豊さんが
セブンティーン・マップ
と、言う曲でね

「君の為なら死ねるさ、きっと」

なんて歌ってるんですが

命をかける

大層に聴こえるけど

きっとなんですよね


不確定、若気の至りで命をなんて言い出す歳なんやけど

それは、きっと

不確定であり
絶賛ではないんですよ

何故に不確定か?

命をかけるより

人生をかけてとか
財産をかけてとか

現実味のある事の大切さと
命をかける
なんて、若さを解ってたのかな?

なんてね

命をかける

軽々しい訳ではなく
何の責任も取れない
子供の発想なんですよね

でもそれが人の本質かもしれないが、絶賛しないためにも

きっと

なんてつけてるんですよね

(  ̄▽ ̄)にっこり
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この回答へのお礼

いいですかい、例えば財務省は増税、増税で国民を殺し苦しめてきた。しかし官僚は一切責任を取らない。そういうやつらに対して「増税は正しいと本当に信じているのか、命を懸けても正しいと言えるか!」と追及すればいいんだよ。

要は私が言いたいのは相手に対して大きな不利益を与える言動をするなら命を懸けてやりなさいと言うことなのよ。「明日はいい天気になるな」と言われて「命を懸けてもそう言えるのか」なんて馬鹿らしいことは言わない。しかし相手に大きな不利益を与えるような言動には責任感を持ってやりなさいと言いたいわけ、分かる?

一昔前までは、侮辱されれば決闘だったのよ、侮辱に対して命を懸けたのよ。それは現在も基本的に変わってはいない。相手をものすごく侮辱すれば相手はカーっとなり殺し合いになるかもしれない。またヤクザに対して面と向かって侮辱はしないだろう、なぜなら殺されるかもしれないからだ。つまり相手を侮辱するなら命を懸けて侮辱しろということだ。

中国や韓国がありもしない問題を持ち出して日本を侮辱している、それに対して責任を取らせようぜ、と言っているのさ、わかる?おおかたの問題は責任を持ち出せば解決するのよ。

「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられる」やはりこれは難しい問題を解決できる魔法の言葉なのだよ。まあ、君たちにはわからないだろうがねw (  ̄▽ ̄)もっこり

お礼日時:2019/03/05 19:17

くだらね

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#17、#23です。



>私がお相手いたしますw  17で答えましたよ、どんな素敵な返事が来るのか楽しみですw

『17で答えましたよ』とのことですが、わたしの質問は、

戦争で虐殺が起きたり、慰安婦徴用があるのはむしろ自然だと個人的には思うのですが、そういったことはまったく無かった、というご見解でしょうか?

です。
あなたが#17で書いたのは以下の内容。

※逆にどうしてこうもバカな質問をするのかが不思議です。あるに決まっているでしょう。いいですか、発言すると言うことは必ず責任が伴うのです。あなたの質問を見てこの程度の人は今後無視しようと思いました。あまりにもレベルが低い。相手に質問すると言うことは相手の貴重な時間を使わさせていると言う気持ち、そこまでは言いませんが、相手に対して無駄な時間を使わせることは人権侵害?に当たりますよ。考えてから質問するべきです。※

答えになっていませんよね?
大丈夫ですか?
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#17です。


#18 cyototu さんのご回答に応じて。

>ましてや、戦争という非日常の世界で虐殺や売春が全く無かったのかという質問をする人の魂胆が全くわからないのです。単に、確認したかったから聞いているのだということの意味すらわからない。

「魂胆」という邪推が入っておられるようですから、『意味すらわからない』というのは嘘でしょうね。
まあ、それはどうでも良いですが、あくまで両者間における会話の組立ての問題ですので。
cyototu さんと論議しても構いませんが、質問者さんに失礼になってしまうでしょうから控えておきます。
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この回答へのお礼

>cyototu さんと論議しても構いませんが、質問者さんに失礼になってしまうでしょうから控えておきます。<

その通り、失礼ですから控えてください、私がお相手いたしますw  17で答えましたよ、どんな素敵な返事が来るのか楽しみですw

お礼日時:2019/03/04 19:50

違えば死んでくれるのか?

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この回答へのお礼

>違えば死んでくれるのか?<

死ぬはずないでしょうw  相手が「良し、命を懸けてお互いに勝負をしよう」と言ってきたら私は直ぐに謝りますよ。そうすれば責任は小さくなりますからねw そして相手に対して「あなたはどうしますか?あなたも謝りますか?それとも全財産をかけて慰安婦問題はあったと断言されますか?」と聞きます。そして相手が「俺は慰安婦問題はあったと信じているから全財産をかけてもいい」と言えば、結果的にこちらが勝ちますからこちらはノーリスクで全財産ゲットできますw 賢いでしょうw

お礼日時:2019/03/04 19:59

従軍慰安婦や竹島を出してきた時点で説得力がなくなった。


もう少し違う例えをすれば良いのに…
あなたの考え方は否定しませんが。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 >従軍慰安婦や竹島を出してきた時点で説得力がなくなった。<

だって私は慰安婦問題や南京問題を解決するためにこの言葉を考えたんですからね。それはなければ画竜点睛を欠くですよ。

お礼日時:2019/03/04 19:50

正解でもなく


間違いでもない

ただ
それだけですね
(  ̄▽ ̄)にっこり

はやい話が
どうでもいいかな?

なぜにどうでもいいのに
コメントをするのか?


あなたなら気が付くと
思いますね
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あなたの言いたいことは、人間は信念を持って生きるべきだ、ということでしょうか?



「絶対」という概念を客観的に定義することはできそうにありませんが、信念を強く持った場合
(信じるには強弱・浅深があると思う)、主観的には「絶対」が生まれます。

この「信念」「絶対」という概念は私の哲学的テーマの一つで、まだ満足できる結論を得ていま
せんが、社会問題の解決の当事者たる責任ある立場の人達が、強き信念を持った場合、多くの問
題が解決へ向かう可能性はあると思います。

>「本当に、心から信じていると言うことは、命さえも懸けられると言うことなのだ」

これは正しいと思います。

但し、安易に使えば、イカレポンチだと言われかねないでしょう。
また、これが社会問題を解決する魔法の言葉だ、などという論理は飛躍しすぎですよ。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>あなたの言いたいことは、人間は信念を持って生きるべきだ、ということでしょうか?、<

発言行動には責任を伴うと言うことです。


>「絶対」という概念を客観的に定義することはできそうにありませんが、信念を強く持った場合(信じるには強弱・浅深があると思う)、主観的には「絶対」が生まれます<

あなた的に「人は絶対に死ぬ」と言う言葉は容認できますかできませんか。


>但し、安易に使えば、イカレポンチだと言われかねないでしょう。<

私にも多少の常識はありますからご心配なく。大きな不利益を与えるような発言には責任感を持たなければならないと言うことです。


>これが社会問題を解決する魔法の言葉だ、などという論理は飛躍しすぎですよ。<

命を懸けてそう言えますかw

お礼日時:2019/03/04 19:49

No.16,17関連で



>戦争で虐殺が起きたり、慰安婦徴用があるのはむしろ自然だと個人的には思うのですが、そういったことはまったく無かった、というご見解でしょうか?

なんでいつもこんな質問が出てきてしまうんだろう。私には不可解でなりません。平時にだって、ゴロツキが数人集まって悲惨な殺しをする連中がいることが時々ニュースにあがってくる。性犯罪や売春の話も後を絶たない。ましてや、戦争という非日常の世界で虐殺や売春が全く無かったのかという質問をする人の魂胆が全くわからないのです。単に、確認したかったから聞いているのだということの意味すらわからない。

ここで問題にすべきは、国に残された妻子やあるいは国の利権を守るために血気盛んな若者や壮年が大集団で駆り出された場合に、そのようなゴロツキの存在や性処理をどうするです。単に、その集団の中に虐殺をした者がいたのか、売春や性犯罪をした者がいたのかの問いは意味がないです。

例えば、性処理のやり方は国の文化によって皆違っていた。一番極端なのはソ連のやり方で、軍隊組織としては一切管理せずに、各兵士の現地調達に任せている。また、アメリカの場合にも軍隊組織として公に管理することはせずに、進駐した基地の周りに民間の歓楽街を作らせて、そこで処理させる。もちろん公娼が合法な国に行った場合には、そこの売春宿を使わせる。このやり方の利点は、国の責任を一切頰かぶりできて、国は知らん顔できることです。しかし、相手方の女性には多大な迷惑がかかる。

それに対して、ドイツや日本のやり方は、公娼を認め、それを民間が商売することを許す。だから、売春婦の調達は軍隊ではなくて、民間業者に任せるやり方です。ただし、大切な兵器である兵隊が性病で破壊されてしまわないように、売春婦の健康を国が責任を持って管理するというやり方です。この場合の利点は、女性方の迷惑を最小限に抑えることができる。しかし、現に行われているように、戦争に負けた場合には、この売春政策に関して国が責任を負わされかねない。

私は国が責任を負わされようが負わされまいが、女性方の迷惑を最小限に抑えるドイツと日本の方式の方が、ソ連やアメリカの現地調達法で女性方を悲惨な目に合せるよりも桁違いに優れた方法だと考えます。

また、戦争中に起こる可能性のある虐殺に関しては、当然それが敵味方の宣伝材料に使われてしまうので、その虐殺された数については、敵味方どちらの数も信用しないことにしています。それに関しては、各々の国民の文化や戦争史を私なりに調べて、過去にその国民がどのように戦ったか、あるいは敗走したか、自国民の兵隊をどのように扱ってきたか、その国民が過去に他国を侵略したり、植民地化した時に、その被侵略国民をどのように扱い、統治してきたかを調べて、大量虐殺があったという宣伝の真偽を判断しています。

南京虐殺に関しては、東京裁判で徹底的に検証され、それに基づいて詳細に書かれた、国際法の権威の一人であったパール判事のかの有名な判決文を読んで自分なりに判断しております。それによると、南京大虐殺があったとされる証拠が伝聞の披瀝のみであり、どれ一つとっても裁判所に提出できる要件を満たしていないので、証拠として採用できないとの説得力のある判決を下しています。

また、南京大虐殺に関連したとされる東京日日新聞の「百人斬り競争」に関してもの戦後の裁判でも、その判決は、「百人斬り競争」の記事の内容を信じることは出来ないし、その戦闘戦果ははなはだ疑わしいと考えるのが合理的である、となっています。

さらに東京裁判のだいぶ後になって南京大虐殺があったと言い出したのは、朝日新聞の記者であった本多勝一です。そしてその後、彼はそれは自分が中国に行っているに聞いた伝聞を記事にしたまでで、それが事実かどうかの検証をしていなかったと、彼自身が述べています。
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この回答へのお礼

先生、ご面倒お掛けました。無視しようと思いましたが、代わりに書いていただきありがとうございます。付け足す所もありません。ありがとうございました。

お礼日時:2019/03/04 19:47

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