プロが教えるわが家の防犯対策術!

大河の新撰組を、毎週かかさず見ています。
賛否両論あるようですが、個人的には評価しています。

幕末物のドラマや映画を見て、
長州藩についていつも思う疑問があります。

1. 「薩長同盟」や「薩長土肥」と、当たり前のように言われていますが
  なぜ、長州は薩摩より下におかれているのでしょうか。
  
  維新の原動力では、長州の方がはるかに上だと思うし、
  言葉の響きだけなのででしょうか。
  私には、この言葉の作者が意図的に下にしたように思えます。


2. なぜ、長州藩士は標準語なのでしょうか。

  薩摩や土佐はいつも露骨な方言ですが、恐らくそれが正解です。
  「自国の方言を話す長州藩士」のイメージはありません。
  当時の長州の教育は、方言禁止だったとか...。


よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

1.


薩長同盟が成立した時点では、長州は朝敵として幕府連合軍と戦争状態だったような気がします。
薩長同盟の基本は、「薩摩さん、あんまり長州をいじめないで。幕府が一番の敵なんだから、手を組んだらどう?」ということだったのではないかな?
そういう力関係だと、薩摩の方が上でも仕方ないかも。
でも、「ちょうさつ」だと語呂が悪いからという単純な理由かもしれません。

2.
もともと標準語というのは、江戸弁と薩摩・長州等新政府の有力者たちの言葉が混ざってできたものだったような。
極端になまりの強い薩摩はともかく、長州あたりのなまりだと、割と今の標準語に近かったのかもしれません。


カテゴリーがエンタメなので、適当な思い込みで答えてしまいました。
ごめんなさい。
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この回答へのお礼

カテゴリーをミスってしまいました。
歴史にするべきでしたね。

2.の意見は「長州方言=標準語」。信憑性は疑問ですが
面白い意見なので参考にします。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/08/23 23:13

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