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もうすぐ30歳になります。仕事は派遣で働いています。
今はバンドをやっているので自分の生き甲斐は音楽だと
思っていますがそれが無くなったら自分には何も無いと
思っています。×1なので結婚についても前向きでないし
結婚したとしても子供はあまり好きではないので子供は
相手が相当欲しくない限り必要だと思えません。
そもそも再婚したくなるような相手が現れるとは思えないのです。
大好きな人に精神的な苦痛を与えられていたので
こんなネガティヴな発想しかできない私が30代となり
その先も楽しく生きながらえるにはどうしたらいいでしょうか?
今は友達といても親といても心底幸せな気持ちを得られません。
ここ最近人間嫌いがますます進行しています。

A 回答 (10件)

とても真摯にご自分のことを考えてらっしゃるんですね。

ご質問者様の気持ちが伝わってきそうです。

私は、結論的にはこういうことは一過性なものであって、今は過渡期であるとしか思えないのですが、

>ネガティヴな発想しかできない私
この際、そういう「私」があることも受け入れましょうよ。たまには休息も必要ですよ。

「こんな時もあった。」と笑える日は必ず来ますよ。大丈夫ですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>伝わってきそうです。
この表現にちょっと和んでしまいました(笑)

hanahanativeさんのおっしゃるとおり一過性だと思います。
私にとってはよくあることでした。そう思えないくらい疲れているみたいです。
ポジティヴなときはこんな自分も自分だからって思えるんです。

励ましていただきありがとうございました。元気が出ました。

お礼日時:2004/09/12 21:09

 こんにちは。

(^-^)
 う~~ん、nyaaanさんは随分生真面目というか、妥協を好まない生き方をされる方なんですねえ。それを勿論「悪い」とは申しませんが、残念ながら今のnyaaanさんには少なくともそうした性格、生き方は「裏目」に出てしまっているようです。

 人は人との関わり合いの中で自分の「幸せ」を見出だそうとします。人間は「社会」を離れては「個人」たり得ないのですから、自らの「幸せ」を人との関わり合いの中で見出だそうとするのは極々自然なことです。即ち、人間という生き物は自らの「幸福感」を「社会の目」によって「保証」されたい気持ちを持っているということですね。「人の目に自分はどう映っているのか、幸せそうに見えるのか、それとも不幸せそうに見えるのか。」・・・

 まことに移ろいやすい、幻のような「幸福観」だと私には思えるのですが、しかし一方では個人は社会と関わり合いつつ生きていくわけですから、止むを得ない「幸福観」なのかもしれませんね。

 まず結論から申し上げますが、今の心理状況を打ち破ってもうひとつ新しい世界へ脱け出てこなければnyaaanさんの「幸せ」は逃げ水の如く、「幸せが見えた」と思った瞬間nyaaanさんの心からフッと消え続けるでしょう。何故そうなるのか? 答えは簡単です。今のご自分の心理状況の辛さや惨めさのその原因の多くを他者に帰してしまっているからです。

少々厳しいものの言い方をしてしまいますが、「大好きな人に精神的な苦痛を与えられていた」のは事実かもしれません。しかしだから「こんなネガティヴな発想しかできない私」になったのは明らかなウソです。確かに子供の頃の親からの影響は少なくないでしょう。「親に対する憎悪」も理解できないわけではありません。nyaaanさんの考え方、感じ方をこれまでのnyaaanさんの歩んでこられた人生が形作っているのは紛れもない事実です。その意味では「親に対する憎悪」がnyaaanさんの人生観や幸福感に後々まで影響を与えてしまっていることもまた事実でしょう。

 具体的にそれがどういうことなのかは文面からだけでは推し量れませんが、「親」というのはしかしそもそもそれほど完全な存在でしょうか。或いは子供の理想どおりの「親」たり得ている親がこの世の中に何%ほど存在しているのでしょうか。親との桎梏や葛藤は誰しも経験するものです。しかし自らの桎梏や葛藤が烈しいと感ずる人は、他人のそれが見えなくなってしまうか、極端な話、他人にはそれらが存在しないのではないかと錯覚してしまうのです。

「あなたは幸せだからそれが分からないんですよ」という人間に対しては「何ほざいてるんだ、てめえこそ自らの足で立とうとしていないくせに」と私は、心の中で言い返すことにしています(笑)。世の中には確かに羨ましいほどに親らしい親も存在しますから、ついつい自分の身の上と引き比べてしまうんですね。逆に「よくこれで『人の親』になれたもんだな」と思うような親もいます。恐らくnyaaanさんはご自分の親が後者のような親だと感じていらっしゃるのでしょうね。

 仮に百歩譲ってnyaaanさんの言われるような親だったとしましょう。いつまでも親をグズグズと恨み続けたいのですか? それとも「恨まざるを得ないような心境に陥り続けているのだ」ということなのですか? どうしてもその思いが抜けないというのであれば、この際思い切って親に恨みつらみをぶちまけてみませんか? 

>かといって、その憎しみをまともにぶつけたところで親が苦しんでいる姿を見ても今度は自己嫌悪が襲ってくるので結局は自分の為にならず、ひたすら許せる時を待つだけです。

 nyaaanさんは「自己防衛」のためにこのようにもおっしゃってますが、私に言わせれば単なる「かっこつけ」、「逃げの一手」です。「親がnyaaanさんを苦しめたせいで現在のような心境になる一因を作ったというのなら、どうして格好をつけたり、逃げ回ったりする必要があるんだ? しかも、格好をつけたり逃げ回ったりしているその理由が『自己嫌悪が襲ってくるから結局は自分の為にならず』だって?」ということなのです。

 nyaaanさんには相当厳しいものの言い方になってしまっているようで心苦しいのですが、「本物のnyaaanさんの心」が生き生きと動き出し、躍動し始めるようになるためには本当はこうした「いやな記憶や思い出」との対決が必要になってくるのです。「音楽でそうした感情を吐き出してきた」部分もあるのかもしれませんが、それはある程度抑制された「形」だけのもので、「本当のnyaaanさんの生の感情」はまだ封じ込められ、抑圧されたままなのかもしれない、と私はこれまでのご回答者とnyaaanさんとのやり取りを読んできて思ったのです。

>自分の中の愛と憎しみのバランスをとることが難しくて、そのハザマで発狂しそうになります。

 この一文にしても、nyaaanさんの「優等生」ぶりを感じてしまうのです。「自分だけが抱え込み、苦しめば済むなら私が我慢しよう」と思うことがここで言う私の「優等生」です。優等生は自分の生の感情を押し殺して、自分だけが苦しんで、その結果心を病んでしまうのです。「発狂したけりゃ勝手に発狂しとけ。その代わり、お前は自分のしなければならないことを本当にやったのか?」と私はそうした優等生を見るにつけ、思ってしまうのですね。

 人間は自分が「惨めな感情」に陥ることを恐れます。しかしこの「惨めな感情」と一度は対決しなければ人間らしい生き生きとした感情を取り戻すことができないのも事実なのです。nyaaanさんはいみじくも「私は本能的というより理性的な方です。わかっているのにそうできない自分が嫌になります。」とお礼文のなかでおっしゃっています。ご自分の性向をよく分析できていらっしゃる。人間が「理性的」であることが悪かろうはずもありません。ですが、「中途半端な理性」は実はなにものをも生み出しません。それなら余程「衝動に駆られた本能」の方が何事かを生み出すのです。

中途半端な理性はすぐに「壁」にぶち当たります。その壁を「本能」が壊してくれる時だってあるのです。今まさに生きる方向を見失っているnyaaanさんに必要なのは「生き方の転換」なのかもしれないのです。決してオーバーでも何でもなく、nyaaanさんご自身にとって「重大な人生の転換期」が訪れているのかもしれないのです。そうでなければ今のnyaaanさんの抱えているような「深刻な悩み」は訪れていないとも想像するのです。

 nyaaanさんのご質問文、そしてお礼文から、nyaaanさんご自身が(勝手に)作り上げた様々な「壁」が私には見えてどうしようもありません。そして「nyaaanさん、その壁は突き崩せるよ。少し勇気を出して一歩踏み出すのなら、必ずその壁は崩れ去ってしまうよ」と励ます私がいます。まぁ、これまでの文章はそういう思いで書き綴ってきたのですが・・・(厳しい口調もありましたが・・・(^-^;・・・m(_ _)m)

 実は少し書き足りない気分もあるのですが、今はもう時間がなくなりましたので、このあたりで終わりたいと思います。

 もう少しご自分の「こころ」を解き放ちましょうよ、nyaaanさん。(^-^)
 荷物が重く感じられる時は、それを降ろしてもいい。人に持ってもらってもいい。何も辛抱して自分だけで抱え込む必要はないのですよ。
 理性的に考え続けることに行き詰ったら、それを本能に預けてもいい。人間にとって「本能」とは必ずしも「封じ込め、抑圧すべき対象」というわけではないんですよ。「本能」は「理性の抱え込む病」を癒してくれる名医になるときだってあるのです。
 
 何か私の書いてきたことで説明不足があるようでしたら(説明不足だらけかもしれませんが(^-^;、)補足を下されば書き足したいと思います。

 これからのnyaaanさんが必ずや「まだ見ぬ自分」を発見、創造していけることを信じて。
 (^-^)ノ~~マタネ-☆

この回答への補足

回答頂いた皆様へ

今回ここで質問させていただき、皆さんに回答を頂いた結果、自分が客観的に見ることができました。
結局は30年間も培われてきた性格や思想は急に変えることは困難です。一つ一つ暗く考え込んでもすぐに解決できないことは解決できないなって思います。整体で矯正しても筋肉によって戻ってしまうので地道に直す必要があるのと一緒です。
振り返ったら自分なりに変化を求め、考えてきてこの今の自分なので
今ある苦しさや、パワーが出ない部分はしょうがないと気づきました。
あとは自分がいかに納得する方法で気を紛らわすか、忘れるか、だと思います。

こうして振り返ると自分は自分なりにいつも真剣に考え、辛さを乗り越えてきました。一時的にパワーダウンしているだけだったんですね。少し希望が持ててきました。


私に今一番必要なものは愛情な気がしています。
皆さんありがとうございました。

補足日時:2004/09/17 23:18
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この回答へのお礼

うーん、熱心に回答を頂き大変ありがたいのですが。。。。。
おっしゃる様に私は生真面目で妥協を好まないので本音を申し上げさせていただきます。

masatoshi-mさんの解釈はかなり誤りです。
私は優等生タイプでも、我慢しているのでもありません。
逆に親の期待に答えなかった娘です。

他の方の回答でほぐれた部分がmasatoshi-mさんの回答を読み、また固くなってしまいました。他人の半端な親切心からの間違った理解や助言こそ、逆に相手を傷つけたり、深みにはめたりする事があるのを認識されてください。masatoshi-mさんのその断定的発言は相手によってはとても危険です。私はあなたの不理解に今息苦しさを感じています。

私は以前心療内科に通院していた時期が有り、カウンセリングも受けておりましたが、症状が軽かったのと理路整然と自分の経歴を語っていた為「相性のよさそうなカウンセラーに変わります」と所長から新米に変わることになり初めてのカウンセリングを受けた夜に、最大の発作を起こしたことがあります。(過呼吸、パニック障害)それから心療内科の範疇だった症状が精神科に変わらなければいけないレベルまで悪化していきました。

考えてみたらプロのお医者様がカウンセリングしても平穏が訪れなかった私の心が簡単に救われる事なんて奇跡的かもしれないですね。散々後悔してきたのにそれでも信じてしまう自分が馬鹿だということを今気づきました。

お礼日時:2004/09/17 23:18

愛されたいのであれば愛を与えることが必要です。


しかし持っていなければ与えることはできません。
まず自分を愛することが必要です。

以前自分を愛せたとき、たくさんの愛をもらったけど
続かなかったとの事。

染み付いた自己否定をなくしていく事が先決です。
その根底にあるのは過去の(もしかしたら両親に対する)「憎しみ」でしょうか?
その人達を完全に赦すことはできますか。
心の中でその人達のために祈ってあげる事はできますか。
まず赦す事から始めてみて下さい。
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この回答へのお礼

>その根底にあるのは過去の(もしかしたら両親に対する)「憎しみ」でしょうか?
はい、その通りです。でも一人一人にというよりも世の中の人間に対して抱いていると言う感じです。常に考えてるわけではありませんが人間はこういう生き物だから信用しきれないな、とかそのような認識です。

親に対しても今はそっけない態度程度ですが根底では全く許せていません。
悪気がないことはもちろん、むしろ私の教育のためと思ってそうしたのかもしれませんが結果的に深い心の傷を何度も負わせたことはどうしても消化できません。

かといって、その憎しみをまともにぶつけたところで親が苦しんでいる姿を見ても今度は自己嫌悪が襲ってくるので結局は自分の為にならず、ひたすら許せる時を待つだけです。
結婚して幸せな時期は許せたと思ったんですけどね。。

父親には私は本当はとても優しい人間だと言われました。祖母に対しての配慮などからそう思うようです。確かにそういう部分も持ち合わせているため、自分の中の愛と憎しみのバランスをとることが難しくて、そのハザマで発狂しそうになります。
戦争の犠牲者などのことを考えると人類の平和を願う一方、狭い社会で考えると満員電車に乗ると人類の滅亡を願ってしまいます。

自分の人生をすべて受け入れる為に何をしたらいいのか模索していますがなかなかたどり着けません。
それがとっても苦しいです。

お礼日時:2004/09/12 21:08

愛したい、愛されたい・・・ですよね?



>音楽をやる為に今はこうして生きています。
=言ってる事は立派なのですが、あなたにとって音楽は、虚像、逃避ですか?
逃避の願望があるのに「無理」だと決めている。

音楽が好きだから、今をこうして生きてます。
この言葉の違いで、例えば5年後どんな結果の違いがあるでしょうね。

どんな小さな事でも「達成感」を味わってください。
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この回答へのお礼

愛されたいけど欲しい愛が見つからない。
愛したいけど愛せる相手が見つからないんです。
それが見つかる予感が持てたら強くなれると思います。

逃避はあくまでも逃避ですよ。
実際に逃避する行動を起こしてもまた逃避したくなる現実に
ぶつかるだけだと思います。それがわかっているから無理なんです。

音楽をやることは大好きでそこにだけ自分の存在する意味を感じられます。死ぬまで続けて行きたいけれど、自分にとって一人でやりたいことではないです。他に人が必要だから協調してやる必要があってだからこそ苦しく思うときもあります。

>音楽が好きだから、今をこうして生きてます。
好きでなくなる瞬間もあるんです。メンバーやお客さんがいるからこそ、単純に楽しいだけでなくなることが。。。音楽は絶対的な物ではありませんから。

だから別に居場所や安らげる場所や存在が必要です。
それが見つからない。。

逃げないで今ある現実と自分が戦える様になれる
エネルギーがなくなっていて、パワーを取り戻す方法を
見つけたいと思っているんです。

お礼日時:2004/09/11 13:10

No.2です。



・・・「まだ」1年では・・・?^^;

そんなカンタンに癒えないと思いますが・・・


でも、「不幸グセ」みたいな所は危険というか^^;
「やさしさ・あたたかさ」が「生ぬるい」と
感じてしまう・・・みたいな?

思ったのは「やさしさ」的な事を攻めるのは
「裏切られたら痛いから」
「その前に予防線を張ってしまう」みたいな心理が
あるのかもですね。


本当の意味で「信じる勇気と潔さ」と
「それに値する人」がタイミングよく合致すると
いいと思うんですが・・・

とにかく、30代はゆっくり、
「個人的」な楽しみを充実させる方がいいのかもです。

楽しい毎日の積み重ねが、
より傷を癒すというか、忘れていくというか?

バンドだって「現状維持」で楽しむ程度でいいのでは?
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この回答へのお礼

まだ一年ですか。。一年が早かったです。もう一年かって。
それだけ充実してて順調だったんですけど、
その間の人間関係で失望する事が多かったというか
心を閉ざして行く関係が多かったんですよね。。
色々な人と出会って努力していたつもりの関係がそうなって
行ったのは自分のせいなのかなんなのか。。

>「やさしさ」的な事を攻める
ということは自分としてはそうできるだけの人格を持ってるとか
人を信じられる人生を送ってこられた人が妬ましくて
そうしてしまうんではないかという感じがします。
そういう相手には私の苦しさがわからないと。

辛そうにしてる相手には親身になってしまう自分がいるので
そういう気がします。本当のところはわかりません。

いままでの人生を振り返ると、普通かそれ以下の日々だったので
色々あったけれど楽しい毎日が送れた結婚生活が懐かしいです。

バンドもライブでは自分がお客さんを楽しませる存在なので
エネルギーが切れかかっている今の自分には重荷に
感じてしまう部分があります。

毎日を楽しく感じる為のスイッチはどこなんでしょうね。。

お礼日時:2004/09/11 09:20

周りから、早く結婚(再婚)しろーとか言われているんでしょうか。


30歳だから、結婚して子供も生んで・・・。
結婚したいって考えるのは、そういう相手がいて考える事です。
で、その相手もいらっしゃらないのですから、何もあせる事はないです。
相手が現れないと、幸せになれないというのでしょうか。

>今はバンドをやっているので自分の生き甲斐は音楽だと
思っていますがそれが無くなったら自分には何も無いと
思っています。

生きがいがある事自体、幸せな事なんじゃないんですか。
何か打ち込めるものがあるのは、とてもうらやましいです。
誰かにやめろって言われているんですか。
であれば、これは私の生きがいで、幸せな事なんだって。
はっきり言ってもいいと思います。

>今は友達といても親といても心底幸せな気持ちを得られません。

お心が疲れてしまっているんですね。
今は、時間が解決しますとしか、言いようがないのですが。
おもいっきり、自分の好きな事に打ち込んでみてもいいかもしれません。

30歳・・・になる時の私は、なーんだって感じでした。
30歳と言えば、大人の女!と思っていました。
だけど、なーんにも変わらない。
なーんにもしなければ、なーんにも起きません。
でも、あなたには打ち込める音楽がある。
それだけでも、私は素敵な事だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうなんです。音楽の存在は救いであり、怖くもあるんです。
一人でできるものではないので、今までも苦労してきました。
音楽をやる為に今はこうして生きています。

再婚はそういった事ではないのです。
結婚前は結婚願望は一切ありませんでした。あまり他人を必要とした事が無かったというか。。でも前の旦那に会って人生で初めて本当に満たされていた時期がありました。本当の自分の愛、そしてもらって幸せを感じられる愛。それをまた味わいたいんです。それは友達では無理です。パートナーでないと。。
でも今はそれをまた得られる自信が無いんです。

親に対しても結婚と離婚で許せていたのですが、今になって憎しみが湧いて来てしまい「こんな不完全品を生み育てた」ことを攻めたい衝動に駆られて会わない方がいいと疎遠になっています。

日に日に心が固くなっていき他人を受け入れていけなくなって来ています。30代というか今後の人生を光り輝いているにはどう心を育てて行けばいいんでしょうか。。育ちが他人の優しさを知らない心なので頭で考えなければいけないので難しいです。。

お礼日時:2004/09/10 23:20

こんなアドバイスをする人は少ないかも


しれませんが

いままで経験してきた
良かったことや悪かったこと
嬉しかったことや悲しかったこと
どうでもいいこと
全てを
蹴っ飛ばす。

つまり今まで生きてきた人生全てを捨て去る
勇気はありますか?

そして1から
いや0から人生をやり直す。

かなりの荒業だけど
こういうやり方も一つの方法だと思う。
0からのスタートって
結構清清しいものですよ。

まだ間に合うよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。考え方は面白いと思いますがどんな方法でしょうか?

記憶をなくす事くらいしか思い浮かびません。そうなれたら楽ですよね。。。もう今は29年間の悲しさが染み付いてしまってますから。

バンドが無くなったら海外脱出したいとか逃避願望なんてもありますが現実的に無理です。。

といいますか幸せになる為に自分に無理してやって来た事は沢山あってそのおかげでここまで来れました。
その無理を続けるエネルギーを使い果たしつつあるので新しい事を始めるエネルギーは今はもうないのです。

お礼日時:2004/09/10 22:06

幸せは、感じるものだと思います。


小さな幸せを幸せと感じることができれば、
かなり幸せな人生が送れると思います。

他人から見て幸せそうだと見られることだけが
幸せであるとは限らないと思います。

ちょっと心が疲れているのかもしれません。
三十路直前ということで、
ナーバスになっているのかも。

「結婚=幸せ」でも、「子どもを持つこと=幸せ」でも
ないと思います。
幸せは、人それぞれです。

ちょっと休憩して、
今の環境も、今の自分もなかなかいいな
と思えるようになるといいですね。(^^)
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>小さな幸せを幸せと感じることができれば、
そうなんです。五体満足で毎日食べる物にも困っていない。。やりたい事もできている。幸せな事だと思います。

でも満たされない。。
まだ利益はありませんが今バンドが人から求められて演奏できる様になりました。これはずっと願っていた事です。でもそれを持続して行く事が苦しい。もっと高い目標をもって行ければいいんですけど、野望等を持つことのできないんです。他のメンバーの手前弱っていても頑張り続けなければいけません。休みたくても休めないんです。

三十路ということでの焦り等はあまり無いのですがこんな自分が外見が年老いて行く事について行けるのかや、周りが落ち着いて行く中で孤独感を強めて行く事が心配です。

弱っているんですね。。ここしばらくそんな状態なので、「そんな馬鹿な事を考えていた自分もいた」と思える日が早く来て欲しいです。

お礼日時:2004/09/10 21:51

文章を読んだだけの第一印象なので


違っていたら申し訳ないのですが・・・

なんとなく、情熱的に、快楽的に、
男性も「見た目がカッコイイ」とかで選んだり・・・

若い時にありがちな衝動のまま突進し、
失敗し、痛い思いをしてしまった・・・
みたいな感じを受けます。

今はまだ、色んな心の傷が癒えておらず、
そんな時は、何を考えてもいいイメージには
ならないものです。


ひとつ、言うとしたら
人間の大切な所が解かってくるのは
まだまだ、これから・・です。
20代の頃のは「動物的」な面が多いです。

これからの時間で
「人間」というもの良く観察し、
本物の「大切な人」を見つけてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。確かの見た目は自然に好きになる要素かも知れません。前の優しすぎる男が多い時代に旦那は強気だったので選びました。仕事等の前向きさも好きでした。あとは人間的に不器用なところも。。その不器用さが私に向かうとは思いませんでした。でも自分のギリギリまでは頑張りましたよ。だけど自分が追いつめられて目の前で死んでやろうとまで考える様になりお互いに好きだったのですが不幸な結果にしたくなかったので私から別れました。
「人間の良さ」はわかっています。でもそこが自分の好きになるポイントではなくて逆にそこをなめてしまうのです。相手を傷つける様な事を言ってしまうのです。それが嫌で連絡を絶ったりして孤独になります。私は本能的というより理性的な方です。わかっているのにそうできない自分が嫌になります。

>そんな時は、何を考えてもいいイメージには
ならないものです。
確かにそうです。でももう1年たち、それから何人かとつきあいましたが満たされなくて相手の事も考えて別れました。
こんな事を繰り返して行くことに未来の希望が持てないんです。。。

お礼日時:2004/09/10 21:39

人間嫌いではなく、自分自身の不甲斐なさを認めているのですよね?



自分が嫌いな人は、他人を愛せません。
自分の好きな事を一生やり続けると、人があなたを愛してくれます。
その思いを貴女が気づくかどうかだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。人間嫌いは私の元々の育ちから来ています。兄のいじめと両親の不理解、幼なじみや小中の級友からの仲間はずれ等で小学生の頃から自殺を考えていました。周りから欲しい愛情をもらえないで育ってしまったので自己否定と人間嫌いが染み付いているみたいです。今は周りからはそんな弱さがあるとは思えない様に振る舞っています。自分では自己否定していますが、不甲斐ないとは思いません。その時点でできることはやってきましたから。離婚したばかりの頃は逆に自分が愛せていたのでたくさんの人から愛をもらいました。でも結婚生活や昔の事が根底からジワジワ湧いて来て今は不甲斐ない自分になってます。音楽は続けますがエネルギーが切れそうです。

お礼日時:2004/09/10 21:26

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