海外旅行から帰ってきたら、まず何を食べる?

現代文の問題で質問です。随筆問題です。
「ぬるい湯を飲む猫」南木佳士 より
新築の家に移り住むとき、食堂の壁にトラ用の入り口を特注で作った。それはトイレに用いる半開きの小さなサッシ戸をさかさまに取り付けただけのものだったが、このおかげで、トラは高気密が売り物の新建材のプレハブ住宅に閉じ込められなくてすんだ。彼の長寿の主な素因は、外と内とを自由に出入りでき、人間を感動させるような行動は一切せず、他人が家に来ると他の部屋に消え、体調が悪い時でもとにかく物を食うことだけは忘れない、といったところに尽きる。
ある夜、例の出入り口から入ってきたトラの様子がおかしかった。いつもなら、帰ってきたぞ、と一声鳴くのだが、戸をくぐる音がしたあと、わざと存在の気配を消しているかのように静かだった。「どうした、トラ」と、駆け寄った息子たちが、トラの右の前脚がぶらぶらしているのをみつけた。みなが、診断を求めている視線にさらされながら、右前脚の麻痺なのだから、これは脳梗塞かな、とつぶやいてみたがだれも納得せず、翌日、動物病院で、交通事故による前脚の骨折、と診断され、手術ら骨が硬くて困難だから、安静を勧める、という獣医師の意見に従って、トラは寝たきりの部屋の住人となった。
この部屋は、家を新築するときの最初の計画にはなかったものだった。そもそも、病院住宅を出て家を建てようと決意したのは、一向に回復の兆しの見えない体調不良に、このままでは医業を廃するしかなく、そうなれば、勤務先の病院の所有である住宅を出ねばならなくなる。だとしたら、造りに凝る余裕はなく、とりあえこれまでぜいたくをせず貯めてきた金で造れるだけの家を建てて、いつでも辞めれる態勢を整えておくしかないと思いつめたゆえだった。そうやって、最短で完成可能な住宅メーカーを選んで発注し、急いで設計図を描いてもらったのだが、最初の図面が出来上がったあたりで、寝たきりの父の介護を担当してきた継母から、もうこれ以上面倒を見るのは無理だから、老人病院の大部屋に入院させ、あおは特別養護老人ホームに入れる手続きをとるけれどいいよね、と一方的に告げられて、その言い方に含まれた些細な棘に、張りつめていた鼓膜が過敏に反応してしまい、「だったらこっちに引き取るから、そのつもりで」と、返してしまったのだった。できるならば継母のものにおいて、父の事は見ないようにしておきたかった。肺炎、黄疸などの症状が出るたびに、正直なところ、これで終わってくれ、と願った。こちらが生き延びるのに精一杯なのに、とてもあなたのことは考えていられない、との想いが強かった。しかし、父は憎らしいほどしぶとく、抗生物質や簡単な医療処置に見事に反応し、寝たきりの状態に復活した。冬になると、温泉場の老人病院の個室に入院させるのだが、差額ベッド代と、付き添う継母の必要経費を負担していたから、その金銭もばかにならず、いっそ新築の家に寝たきり部屋を造って引き取った方が安く上がるのではないか、との現実的な計算も働いていた。
そういうことで、父は縁もゆかりもない信州の田んぼの中の、薄っぺらな白い壁紙の貼られた離れの部屋で三ヶ月暮らし、訪問看護婦が来れば愛想笑いをし、妻が深夜にオムツを取り換えにいけば横を向いて熟睡を妨げられた怒りをあらわにし、子供たちが食事の介助に行っても、ありがとう、も言わず、肺炎で逝った。
ひととおりの状況判断にはたけているが、状況そのものを引き受ける頑健な心身を持ち合わせぬ医者の息子がいなかったら、この寝たきり老人はもっとずっと長生きしたはずた。
この文の最後の「状況そのものを引き受ける頑健な心身を持ち合わせぬ医者の息子」という記述にはどのような心情が込められていますか?

A 回答 (4件)

よく分からないけど、徒労感と皮肉じゃないですか。

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医師としてそれなりの判断はできるが、忙しさと体力がないため、寝たきり老人になった父の介護に積極的に参加してやれなかったことに対する悔恨の情。



(寝たきりになった父親の介護に関わる息子の書いたいい文章です。読んで悲しくなってくるほどですが、これを若い人に読ませるのですか。生徒はネコの話の方に興味を示すでしょう)
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「状況を引き受けるだけの実力が無いのに、無理強いした事に対する後悔の思いが入り混じった、無力感による諦観。

」ですかね。
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医者の息子が、老人が早めに死ぬようにストレスを与えるような行為を周りに気付かれないように行っていたという印象を受けました。


間違ってたらすみません。
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