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勉強ってなんですか?

僕は「勉強」というのは強制するものでも無く言われてやるものでも無いものであり、自分が知りたい、学びたい、などの自分から興味を持ってそれについて勉強する
それが僕にとっての勉強です
「勉強」の醍醐味は「楽しむこと」だと思います
それなのに勉強を強制されていて少しも楽しくありません
今社会で言われている勉強は本来の勉強ではないような気がします

皆さんは勉強はなんだと思いますか?

A 回答 (9件)

こんにちは。

私は高校3年です。私も、少し前にそのような事を考えたことがあります。
私は、質問者さんの言う「勉強」の仕方を学ぶのが社会、というか学校がいう勉強だと思います。世の中の事、常識、礼儀、論理的な思考の仕方を学んで、次に自分のしたい事、知りたい事を学ぶというプロセスがあり、そのためのステップになります。基本的な知識がないとしたい事、知りたい事も見えてきませんから。それに、常識のない人や基本知識のない人の知りたい事を教えてくれる人もあまりいませんので。
質問者さんは中学生のようなので、義務教育中ですが、その後は自由です。上にあげたような事を知りたいと思わなくても知らなければならないと思うのであれば、高校に通えばいい。自分はもう十分知っているというのであれば、ほかに必要な事を勉強するべきだと思います。無知な事を知らない場合もありますが。

まとめると、勉強とは好きな事を知るため、好きな事をやるため、また、好きに生きるためのステップだと考えています。
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>syun4598



では、『学問』と『勉強』の両者のイメージ少し変わりますね。『勉強』が「勉学を強いる」という由来ならば、『学問』は「学びを問う」なのでしょうか?漢字は難しいですね。
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あなたが将来、社会人として一人立ちしたときに世の中の理不尽から自分を守るために必要な事を学ぶ!それが勉強です!世の犯罪者は賢いです

!そんな悪に騙されないように正しい知識と正しい心を学び、それを正しい方向へ使って行きましょう!
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「勉強」というのはその字面のとおり、勉めて強制していくものです。


他の目的のために無理に頑張って知識を身につけることです。

社会で求められている勉強は、目標達成のために必要なものです。
嫌でも身につけないと 生活の様々なことに対処するのが困難になります。
また、学歴を構築し、資格を得、知識や技術を身に付けて 仕事に就き、
確かな収入を得るためなどの基盤としても求められるものです。
その過程は楽しくなくても、目標を達成することが最優先事項です。

純粋に知識習得といえば「学問」という言葉が適当です。
何の役にも立たなくても、賢くならなくても、
学ぶこと自体が楽しいから学ぶのだというのは、学問の本分です。
すべての学問は、純粋に知りたいという欲から始まります。

しかし、何かを成し遂げたり 実生活に役に立って始めて
学ぶ意味があるという風潮が 世の中では優勢です。
目先の喜びよりも、不安な将来を確かにするために 人は犠牲を払います。
社会では 有能な人が選ばれて成功できるのだから、
純粋な楽しみよりも、苦労して自己練磨することに重きが置かれるのは当然です。

でも、何の役に立つのかわからない研究が その後の人類の発展に大きく貢献する
といったことは 沢山あって、現に幅広い分野に研究資金は出されています。

もちろん、個人が学ぶことは、学びたいという動機自体が原動力です。
どんなに未来のためといっても、学ぶ内容に興味が少しもなければとても出来ません。
本来、目的と結果は一つづきなのですから、
先の利益のために今を犠牲にして耐えるばかりではなく、
心から新境地を拓き、新しい出会いを得る感動というのは、生きることそのものです。

社会に飼い馴らされている人はよく、何の為にするのか、意味は何なのか、と実利を求めますが、
今やること、この瞬間にこそ、全ての意味があるという喜びの体験は、大切にすべきことです。
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勉強ってなんですか?


  ↑
年齢や立ち位置によって異なるものです。




僕は「勉強」というのは強制するものでも無く言われてやるものでも無いものであり、
自分が知りたい、学びたい、などの自分から興味を持ってそれについて勉強する
それが僕にとっての勉強です
   ↑
学生時代の勉強はいやでもやるべきモノです。
人間の基礎を作り、日本人としての教養の基礎を
身につけ、社会に出てもやっていけるだけの
モノを身につけるものです。




「勉強」の醍醐味は「楽しむこと」だと思います
それなのに勉強を強制されていて少しも楽しくありません
今社会で言われている勉強は本来の勉強ではないような気がします
   ↑
それは定年退職してからの勉強です。
あるいは余暇で楽しむ勉強で、趣味の一種です。

学生時代は、社会に出てもやっていけるだけの
知力を着けるために勉強は必要です。
こういう勉強はイヤでも、学びたくなくても、
やらねばなりません。
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文部省でも一時あなたのような考え方で授業内容を変えたことがありますが、学生の学力は落ちました。

今では再びカリキュラムを変えています。「自分で自分を鞭打つ」ことが出来る人はよいけれど、緩めれば遊ぶのが多くの学生の心理なのですね。興味だけで進歩するってそれほど容易ではありません。

例えばあなたは一週間に(あるいは1年間に)(授業時間以外に)何時間勉強していますか?あなたの2倍勉強している人もいるかも知れませんね。どちらが浪人しないで東大に受かるか、考えてみてください。似たようなことですが、芸大に入る人は高校時代毎日8時間とかピアノを弾きます。
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「何歳の時に何を学ぶべきか」を知っているのは先人です。



それを「強制」と感じていては、収穫はないでしょう。
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君が言うのは「学習」。



もちろん、それも良いのです。
効率から言っても優れていると思うし。
ただ「勉強」というものは、それとは異なるものです。

「強いて勉める」のが勉強。
自発的に、自分で自分を追い込んでいくというか、頭に詰め込むのが勉強です。
良いか悪いかではなく、この日本の受験制度に照らし合わせると、結局のところ「勉強」という方法以外、受験を突破する方法がないというのがわかります。
そういう風に「出来ている」のです。

それを認めるかどうかでしょう。
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その楽しむための基礎だと思えばいいと思います。



興味を持った時に基礎知識がないと興味もわかなくなります。

高校1年ぐらいの勉強は、強制って思わないで
未来の楽しむための勉強だと思えばいいかなって思います

それ以上の勉強は専門的になるので自分の未来のためになるものだけ興味持てば良いんじゃないかな
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