2024年においていきたいもの

七十才以上の方にうかがいます。

石原裕次郎は世界デビューしようとは思わなかったのですか?
「実はいつも世界を意識していて、自身が作ったもの全て、世界に届けばええと思っていた。でも、志し半ばで、死が訪れてしまった。」という感じですかね?

質問者からの補足コメント

  • 寝ぼけて書いたんでおかしなことを書いてしもたけど、たぶん世界で活躍しようなんて思ってなかったと思う。みんな、日本国内でスターになることしか考えない時代やったんやと思う。

      補足日時:2024/09/17 15:58
  • 黒沢作品が世界に認められたのは知っとったけど、それで三船さんがハリウッド進出しとったとは知らんかったな。

      補足日時:2024/09/23 17:04

A 回答 (2件)

若くして大スターとなり、当時の物価を考えれば、今のトップスターも驚く報酬を得ていたでしょう。


映画業界が不振に陥っても、自分は29歳で「石原プロモーション」を設立して映画を作り続け「黒部の太陽」などのヒット作を連発、さらにはテレビ業界に進出して「太陽にほえろ」など大ヒットシリーズを連発という具合。

つまり、親分肌の人物だった石原は、若いうちから経営者として、多くの役者やスタッフを養う責任を負ってたのです。

同じころ「三船プロダクション」を設立した三船敏郎は、世界的に有名だった黒沢明監督の名作にいくつも主演または主演級で出演して、世界的にも有名なスターだったため、ハリウッドから声がかかることも多く、ハリウッドの作品にもけっこう出演した。
しかし、石原はあくまでも日本国内だけの活躍にほぼ限定されていましたからね。わざわざ海を渡って一から出直すようなことはしなかったということなのでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

なるほど。海外進出してる人がすでにその時いたんですね。
裕次郎は、よく日本国内だけで満足したもんですね。
映画もドラマも、高いクオリティで手を抜かず、一生懸命作ってはいたけれど、海外進出する夢は見なかった。不思議なもんですね。


ありがとうございます。

お礼日時:2024/09/17 18:29

砂山の砂を掘って真っ赤に錆びたジャックナイフが出てきてどこのドイツが埋めたかなんて言ってるんでその気はなかったでしょう。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

うまいですね!
たしかに七十才!

お礼日時:2024/09/18 20:06

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


おすすめ情報

このQ&Aを見た人がよく見るQ&A