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以前、私は新興宗教の高森親鸞会の信者でした。
高森親鸞会では、『他力の信心』をいただけずに死ねば、一番苦しみの激しい阿鼻地獄に堕ちて行かなければならない事になっていました。
本当にそうでしたら大変です。
本当でしょうか?
高森親鸞会では本願寺は邪教だということになっています。
高森親鸞会では、いっぱいお金を取られました。
現在では高森親鸞会からきっぱり足を洗って、更生して本願寺で御法話を聞かせていただいています。本願寺で御法話を聞かせてもらって良かったと思っています。
しかし、『他力の信心』がなかなかいただけません。
このまま『他力の信心』がいただけずに死ねば阿鼻地獄に堕ちてゆかなければならないと、今も思って心配しているのですが、本当に他力の信心が得られずに死ねば阿鼻地獄なのでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

おもしろがってもらえて良かったです。

なんというか達観した感じの、向こう側にいる人のような印象を受けます。すこし立ち入ったことをお聞きしてしまいます。

もしかして、現在もうすでに二番目にすごい大焦熱地獄って感じの状況にいて、死んだあともっとすごい一番激しい苦しみの阿鼻地獄に行く疑いがあるので『他力の信心』をいただきたいといった質問だったりしますか?
回答者は現状特に困って無くて地獄って感じの状況に居なくて質問者に合わせられないような感じを受けています。
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この回答へのお礼

はい。現在は、お恥ずかしい事ですが、蓄尿・排尿障害の為、毎日が等活地獄くらいだと思います。地獄の中では、最も苦しみの少ない地獄です。死んだあと、もっと恐ろしい一番苦しみの激しい阿鼻地獄に行くのではないかと思って心配して、『他力の信心』をもらいたいそうすれば浄土に往生出来ると思っています。

お礼日時:2017/11/09 06:00

マンガ『鬼灯の冷徹』を読んで生前、聖者を冒涜すると死後、阿鼻地獄に落ちるのかもとなんとなく思っています。

他力の信心をいただけない場合が条件だと知りませんでした。阿鼻地獄には80種500億匹ほどの虫獄卒がいてそのリーダーは猿蟹合戦で蟹の助っ人(蜂?)をしたスズメバチだそうです。

※このマンガ・アニメはフィクションですが、地獄はあるかもしれません。現世での行いには十分ご注意下さい。
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この回答へのお礼

おもしろいアニメーションを見せてくれて、ありがとうございます。

お礼日時:2017/11/08 19:35

❶ 高森親鸞会では、『他力の信心』をいただけずに死ねば、一番苦しみの激しい阿鼻地獄に堕ちて行かなければならない事になっていました。

(本当でしょうか?)
❷ このまま『他力の信心』がいただけずに死ねば阿鼻地獄に堕ちてゆかなければならないと、今も思って心配しているのですが、本当に他力の信心が得られずに死ねば阿鼻地獄なのでしょうか?

① 高森親鸞会のサイトを見てみましたが、見た範囲では、『他力の信心をいただいた』ということは、高森顕徹さんも、親鸞学徒さんとでてくる人も言ってないようです。
「親鸞聖人の教えを聞き求め、人間に生まれた目的を果たした時、『生まれてきてよかった』という生命の大歓喜が起きます。」と書かれていますが、その生命の大歓喜と、『他力の信心をいただいた』というのとは別のことなのでしょう。
次のような記述もありました。
~~~~~~~~~~~~
『なぜ生きる』(高森顕徹先生監修)の268ページにある『教行信証』信巻のお言葉です。
「一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日・今時にいたるまで、穢悪汚染にして清浄の心なく、虚仮諂偽にして真実の心なし」
~~~~~~~~~~~~
無始の昔から現在まですべての人が真実の心もないのであれば、法然も『他力の信心をいただいた』ことはないのではないでしょうか。親鸞も「至心に廻向せしめたまえり」と切望するしかなかったのに、高森顕徹や親鸞学徒さんが、数十年の間一心に信心に勤めたとしても、『他力の信心をいただけることはムリ』なのだと思います。

② 『他力の信心』がいただけずに死ねば阿鼻地獄に堕ちてゆかなければならないのが事実かどうかはわかりません。
ただ次のようにも説明されています。
◎「他力の信心」が語られるとき、「獲得する」「獲る」「得た」などと表現されるのも、阿弥陀《仏からたまわる信心だから》である。
◎自力の信心の人は私の参る浄土へは往けないであろう。"自力の信心″と"他力の信心″の違いをよくよく心得ていなければならない。
◎この法然の信心は、智恵や学問などとは関係ない"他力の信心"なのだ。
◎生まれ、家柄、経歴、学歴、知能、体力、技能などにどのような違いがあろうが、この世での成功不成功、富貴貧窮、努力/無気力/怠惰、高潔善人/下劣悪人であろうと、「一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日・今時にいたるまで、穢悪汚染にして清浄の心なく、虚仮諂偽にして真実の心なし」なのでしょう。『小慈小悲も無き身にて、有情利益は思うまじ』とすれば、何を頼るか、帰命無量寿如来 ………… なんで!?
 http://正信偈.com/02kimyomuryo.html
http://www5.synapse.ne.jp/~todoroki/siryou/amida …
「舎利弗、我今阿弥陀仏の不可思議功徳を讃歎するが如く、東方にも亦、(中略)、是の如き等の恒河沙数の諸仏有して、各其の国に於て、広長の舌相を出して偏く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう、汝等衆生、当に是の称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経を信ずべしと」
(意訳)
「舎利弗よ、この釈迦が今、阿弥陀仏の本願の不可思議な素晴らしさを説いているように、東の方にも、このようなガンジス河の砂の数ほどの無数の仏方が、各々その国において、大雄弁をもって、三千大千世界の至るところで、誠実のあることを説いてくれている。すべての人々よ、このように阿弥陀の本願をあらゆる世界でそうなんだと大声で説いていてくれるという説明(経)を信用することにするしかない、信用しようよ。他に、自分でどうにもできやしないのだから」
このように考えれば、「あなたがどんなにしていても、高森親鸞会や本願寺から離れてローマカトリックに移ろうとも」、阿弥陀は本願の通り、阿鼻地獄に堕ちるのを見過ごしにはしないで、あなたも必ず救ってくれるということでしょう。 本当に阿弥陀の本願というのはスゴイのだということです。
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この回答へのお礼

なかなか、難しくてよく分かりませんが。

お礼日時:2017/11/07 17:01

お名前、失礼しました



ちょっと話がかみ合わないみたいですね
題目の話はしてないんですが…
同じ浄土系でも違うんですね
信仰がしっかりしてらっしゃるようなので、もう何も言うこともないです
失礼しました
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この回答へのお礼

浄土宗の住職の方でも、本願寺の先生の御法話を聞かれている方を2人知っていますよ。
喜ばれているみたいです。

お礼日時:2017/11/07 08:06

阿鼻地獄っていうところは、どんなところなんでしょうかね。


他力の信心というのは、具体的に何にのでしょうか。
釈迦は、えらい宗教家の教えであっても信じるな、私の教えでさえも、鵜呑みにしてはならない。自分で検証した上で、判断しなければならない。こう仰っているかと思います。
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この回答へのお礼

自分で検証することが重要でしょうね。

お礼日時:2017/11/06 20:27

お礼ありがとうございます。


ちょっとわからないんですが、要は「他力の信心」が欲しいんですか?
「他力の信心」をどのように考えられているかはわかりませんが、少なくとも今の自分は違うって事ですよね?
阿弥陀如来の本願は、第十八願「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法」で、表されています。
この本願は信じられないですか?(阿弥陀如来の本願に他力とかは一切書いて無いですよ)
親鸞も、「「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。」と記しています。(つまり、阿弥陀如来は一切の衆生をもれなく救うと記しています)
親鸞の記した事も信じられないですか?
本願寺ではどのように説明していましたか?
キリスト教徒他、異教徒はどうなるんですか?(阿鼻地獄にいるんでしょうか?)
とりあえず、自分が信じられる事に救いを求められたら良いと思います。
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この回答へのお礼

そうです。『他力の信心』が欲しいのです。
『他力の信心』が得られなければ地獄に堕ちてゆくと思って心配しているのです。

お礼日時:2017/11/06 20:32

お礼ありがとうございます


救主ならば、人々を救ってくださるはずですよね?釈尊弥さんは、努力なさってるんですから、そんな人を慈悲深い阿弥陀様が、お見捨てになるでしょうか…

親鸞の師匠、法然の話をしますね
法然は浄土宗の開祖です
親鸞は法然を心から尊敬し
「法然の教えを守って地獄に行くならばそれでもいい」とすら言っていたそうです
新しい「浄土真宗」という宗派をつくるつもりもなかったと聞きました

法然は、厳しい修行などは一部の、体力や財力がある人しかできない、どんなひとでも救われる方法ということで
「念仏を唱えれば誰でも阿弥陀様によって極楽浄土に行ける」と説きました
これが浄土宗なんですけど
地獄に行くとかなんとかとか、言われたことないです
浄土宗より浄土真宗はやはり厳しいのかなあと思います
原理を大切になさるんですね
そこがすごいところで魅力もあるのではと思いますが
地獄に堕ちるかも、とか言われるのは
怖いですね
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この回答へのお礼

えーと、釈 専称です。法名が違います。
念仏をとなえるのは、称名念仏の称の字を用いる筈です。
題目とはまったく違います。
念仏を称えても、真実信心がなければ、浄土に往生出来ないと思います。

お礼日時:2017/11/06 20:40

お礼ありがとうございます。


源信は、完全他力なんですか?
問題なのは、完全他力の信心なんですよね?
源信や法然で良いなら、自力で大丈夫です。
安心してください。
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この回答へのお礼

親鸞聖人が七高僧として、正信偈にあげられています。完全他力が七高僧だと思います。
自他力廃立と言って自力は棄てものだと聞かせて頂いたことがあります。

お礼日時:2017/11/05 15:12

その考えだと、過去の数十億人の人類が阿鼻地獄にいると思います。

(人数の正確な数はわかりません)
親鸞以前に、阿弥陀如来への完全他力の教えはないですから、鎌倉時代より前の日本人は全員阿鼻地獄にいる事になります。
そうならば、みんな一緒ですから、かえって安心じゃないですか?
ほとんどの宗教では、自分の宗教の信者以外の救済は保証していません。(ユダヤ教の場合は、ノアの7戒を守っている場合は、異教徒でも救われるとしているようです)
要は、死ぬまで、誰もわからないと言う事です。(死んだら、何も無くなると考えるのも合理的でしょう)
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この回答へのお礼

親鸞聖人以前にも、源信僧都がおられました。
我々は、煩悩ですので、死んだら何にもなくなるとは考えられないと思います。
また、みんなが地獄に行っても、私だけは、地獄に行きたくないです。

お礼日時:2017/11/05 14:28

阿弥陀様はそんなに厳しいお方なのでしょうか?


慈悲深い仏だと思ってました
うちは浄土宗で、浄土真宗さんとはちょっと違うんでしょうけど
やっぱり浄土真宗は厳しいなあ、すごいなあと、感じました
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この回答へのお礼

阿弥陀如来は救主で、お釈迦さまは教主だと聞きました。

お礼日時:2017/11/05 11:20

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