プロが教えるわが家の防犯対策術!

哲学するということと、思うということ。
2つは同じものなのか、違うものなのか。
違うとすれば何が違うのでしょーか。

A 回答 (8件)

山村の紅葉を見に行って、帰りがけに抹茶アイスを食べたほうがましだ。

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風が吹けば桶屋が儲かる




正しいかもしれないし、当てはまらない場合も多いかもしれない。

どのような条件があれば、そのようになり、

どのような条件があれば、そのようにならないか

どのような条件だったら、正しくも間違ってもいないと言えるか

どのような条件だったら、正しくもあり、間違ってもいると言えるか。


こじつければ、正しいということでしょうか
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Glaubenじゃない、denkenだよ。

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高い山が聳えたっている



それは大地の軋轢をうけて、もがきながら自らを高めた

雲すらも辿りつかないその山肌には岩ばかりの殺風景である

日が差せば容赦なく照らされ、夜になれば寒風が吹きすさぶ

自ら軋轢にもがきながら高めたそのわが身が間断なく削られる

昼と夜との格闘で岩は砕かれすき間ができる


風に乗った一粒の種はある岩肌のすき間に挟まり、そこに定住することになった

昼は灼熱、夜は極寒、水すらも乏しい

種はこのようなわが身の不運を嘆くのでもなく

この夜の極寒のゆえに凝縮する水をただただ耐えて待っていた
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なにものかによって押し流された思いや考えは



また泥の中から発掘されるか、ありのままを眺めているしかないでしょうか。

誰かと話しているうちにふと思い出すかもしれません。

宇宙が物質と空間からできていて

空間内にある物質の振る舞いは、秩序のようにみえるものがあったり、混沌にみえるものがあったりします。

秩序だけが法則でしょうか、混沌のなかに法則はありませんか?

混沌をもう少し詳しくみないと、その中に流れと渦があることに気づかないのではないでしょうか。

成住壊空、成住壊空、成住壊空…を繰り返す宇宙の壊空にもなんらかのはたらきがあるということですよね?

一貫してなんらかの法則がある、と思いたいわけです。
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★(№2お礼欄) 哲学と思いは何が違うのか


☆ 哲学するとは 世界を認識しこれを 必要なところについて よい
方向へみちびくことです。

そのために 知性も感性もすべてを動員します。思うも入っています。



愚問だぞ。
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哲学することが すべてです。



すべてに入っていないものがあると知ったら ただちに出動します。


感じるも思うも考えるも疑うも みな その行為に入ります。
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この回答へのお礼

>哲学することが すべてです。

思うことは、単に思うことであって、哲学とは言えまい。
では哲学と思いは何が違うのかと問うています。

お礼日時:2017/11/07 09:03

あまり厳密に考えてなくても、普通に「思う」という言葉を使う時と、「哲学する」という言葉を使う時は違う気がします。



哲学するのは思考を突き詰めるイメージがありますね。熟考し、真実を追い求める努力をしないと哲学してる気にはならないんじゃないですかね。

ただ思うだけならば、恋愛してる当人同士が相手のことを思うことも含まれますよね。それは哲学しているわけではないと思います。
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