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友達のことを信じるかどうかは自分が決める。
自分の気持ちに責任を持って、人を信じるのが怖いです。これは都合が良すぎるでしょうか。

A 回答 (7件)

信じるのが怖いやなくて、楽な方へ逃げてるだけです。


友達でも恋人でも、信じるより疑う方が楽してから。。
ただ、信じてバカをみる事もあるけども、信じれた自分に誇りを持つ。 物事は、考え方によって結果がかわりますんで。  故に、自分の考え方を持ち貫く事が大事だと思ってます。
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信じられないのは 友達ではありません



損得 好き嫌い 利用し利用される
そんな浅い 軽い 友人は裏切ります

親友は
絶対裏切らない  心が通じている
一生涯の付き合いで 人生を豊かにします

http://sannkuto66.3zoku.com/newpage49.html
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分けて考えることです。



一つの考えで全て賄えれば都合が良いですが、そうではない場合ばかりです。

では無限に考えが必要かと言うと、多くても数えられるくらいです。

物臭をしていますと、これらを分けて抽出する技術が向上しません。

普段から、一つの考えでで済ませるような癖を作らないことです。

以降、長くなりますが、頭の整理をしましょうね。


今回の場合は、「友人を信じる」という考えだけで賄おうとしています。

「信じる」を使うべき部分と、それが全く関係ない場合があります。

「信じる」は、何か明確な問題や課題が生じたとき、

「解決する手段は必ずあり、それがわからないだけだ。」

という具合に使います。解決の可能性について信じるだけです。

誠実を示すものでは有りません。


逆に「疑う」は、

「今回は上手く行くように見えるが、なにか見落としがないか?」

と言う場合に、準備不足について使います。


「責任」と言うのは、

「前より悪くなった部分を、予め定められている範囲で元に戻す。」

と言う場合に使います。

予め定められているものが明確であれば、それに沿わないといけません。

しかし、不明確であるのならば、

「多くの人が賛同するだろう」と言うものを自分で定めないといけません。


「気持ち」と言うのは、結果を堪能するために使います。

心にとっての食事の様なものです。そのため味として表現される場合が多いです。

何かを為すときの手段として用いてはいけません。

役に立たないからです。

「食欲」が餌を取るモチベーションに貢献する場合もありますが、

餌を取る為の手段は調査や仕掛け、道具のようなものです。


「決める」と言うのは、何かを始めるときの準備として使います。

旅行に行くときは、行き先を決めます。移動手段を決めます。時間を決めます。

予定通りじゃない場合やアクシデントが起きたときの対処を決めます。

諦めるのはときはどんなときであるかを予め決めます。


今回の場合は、

「友人関係についてはどんなルールを決めるべきか?」

となります。

これについては一般論があります。

・道徳的でないと、倫理観がない人は選ばない。

・仕事や利害が関係しそうな人を選ばない。

・お金やモノの貸し借りはしない。

・互いに友人である事を「言葉をもって」確認しない。

 「君はもう友達だ。」「僕らは友達ですよね?」

 と言うのはやってはいけないわけです。

 「私の友人が・・・」と無関係の人に紹介するときにアピールします。

 相手の人がそう思っていなくても関係ありません。そうしないといけません。


「怖い」と言うのは、「上手く行かないときの代替手段がない。」と言う場合に使います。

そもそも良く知らない、土地勘が働かないときは「わからない。」を使います。


ご質問の内容は、

「友達との間で問題が起きた場合の解決方法を事前に決めておきたいと思っています。

 自分の気持ちが晴れやかに元に戻り、その関係を楽しみ続けられることを望んでいます。

 しかし、どこまで自分の気持ちを元に戻すべきか、妥協も必要であるでしょう。

 これについて妥当なラインが思いつきません。

 そして、

 人間一般には多くの課題があると思いますが、これらの課題を解決するための手段を知らず、

 上手く行かなかったときの代替がないので不安です。

 こうした分野では勘が働きません。こういった愚痴をこぼす私は、甘えているのでしょうか?」

と言う意味になります。


若い人にとっては普通でありますし、大人に成っても悩ましいわけですから、

愚痴をこぼしても甘えではありません。

冒頭述べましたが、自分の望みを明確にして分解する作業をサボっていることは甘えです。

これが面倒だからと言って、現実を乱暴に扱ってはいけません。

結果が良くないのは目に見えています。そこで愚痴をこぼせば無責任でしょう。

言葉の表現を正確にしていくことで自分の望みを分解します。

すぐには出来なくても、時間をかけて分解すれば、複数の対処が必要と言うのが分かります。

これに数年時間をかけても良いのですよ。一生使いまわせるんですから。


●「友達との間で問題が起きた場合の解決方法の制約」

 友人の選定については、もう述べました。

 大筋では、金銭や利害を持ち込まないようにして問題を解決する方法となります。

 上記制約があると、

 「自分の時間を使ってお手伝いする」ことでしか解決できなくなりますよね?

 良く分からない感情の縺れであっても、相手の方には具体的に困っている問題が潜んでいます。

 それを探り出し、手伝う事で綺麗に解決します。それ以外では解決しません。

 このために、普段から互いの近況を報告します。

 自分の予定や時間の空き具合、得意不得意を知っていただくわけです。

 自分の苦情、言いたいことは、時間と実力で表現します。

 「その日は忙しい、知ってるだろう?」とか「俺の実力では迷惑に成るぞ、いいのか?」

 という伝え方をします。

 どちらが悪い・・、人間として・・、友達だろう?、何で俺が?

 などと反射的に言う人が多いですが、これではトラブルが拡大します。

 同時に、自分が困っている場合でも、

 相手の時間と実力を測らないといけません。

 友人関係と言うのは、他の人よりも近況報告が多い関係です。

 困ったときは、お互いの時間と実力を使って助け合う関係です。


●「自分の気持ちをどこまで戻すべきか? 妥当なラインはないか?」

 気持ちとは心の食事と言いました。

 「不味いモノを食わされた。」

 と腹を立てたり落ち込む場合は、

 美味しいモノを食べて気分を変えるしかありません。

 友人との関係であれば、友人の労力で何か楽しい時間を提供させることも一つの手です。

 また、自分で責任を取るのならば、自分の労力で準備をするのも一つの手です。

 このため過去の記憶の中で、友達と楽しく過せたシーンを思い出し、再演する。

 約束も含めての提案や計画をします。

 「今度、一緒につきあってくれ。それで許す。」

 そのイベントに向けて、友人窮状を救うために手伝います。

 イベントの準備も手伝わせればなお良いでしょう。

 この過程で気分が晴れるはずです。


●「人間一般の課題についてどう捉えるか?」

 冒頭述べましたが、分解して解釈することをサボる癖があります。

 それをせずに現実に対して乱暴に対応します。

 このため結果が伴わず、不味い食事(不快な気分)を味わうことになります。

 このときは、だれかに八つ当たりをすることになります。

 これは抑えることが難しいですね。

 これをやってしまうと、前よりも気分が悪くなり、人間関係もこじれてしまいます。

 そして、八つ当たりを正当化するため、善悪を述べるようになります。

 次に、その論法も子供っぽいと恥じて、妥協をしはじめます。

 「私がここまでしたんだから、貴方はここまでするべきだ。

  そうしない奴は人間として信用できない。」

 と言う自分ルールです。

 ところがこれは自分ルールなんですから、相手は知りません。簡単に裏切られます。

 そして、繰り返されます。当たり前ですよね。

 「ああ、相手に言う事を聞かせる力って無いの? 罰を与えられるような?」

 その野望から「永遠の約束」と言う契約を求めたくなります。

 例えば、

 「家族だから」「夫婦だから」「恋人だから」「友人だから」

 と言う表現です。これらは契約をもって相手を縛ることで安心をしたいという心理です。

 本当は、現実を乱暴に扱っている(一つの考えで賄おうとする)ことが原因です。

 しかし、物臭な人は沢山いますから、契約に応じる人が集まりだします。

 ですが、相手に対して求めているだけです。需要しかなく供給がありませんん。

 どんなに頑張っても破綻(苦しさが増す)するでしょう。

  
 「走れメロス」を書いて友情や友人関係をテーマにした太宰治は、

 この作品を友人へのあてつけにしたそうです。

 彼は放蕩を尽くして、友に負担を掛け続けた。

 最後に呆れて友人が愚痴をいった。

 これで傷ついて、これを咎めるめに書いたんだそうです。サイテーですね。

 彼は「永遠の契約」と言うのがあるのだと信じていたんでしょう。

 そのため、無理心中を続けています。

 あとで脳の病気だと言う事が判明しています。

 同じ道をいってる人が多いと思いますよ。


最後になりますが、自分の心については綺麗に分解をしましょう。物臭さはいけません。

自分や他人に対して、無限の責任や永遠の契約を求めてはいけません。

他人が言う名言から、自分を美化するような甘い対処方法に飛びついてはいけません。

人間は誰もが自分で何とかしたいと思っており、

誰もが、

「誰も手伝ってくれない。」

と言って傷つくものです。

そうなっているはずだと信じて、解決策があると信じます。

その上で、他人が心の物臭の餌食に成っているはずだと信じて、許しましょう。

望みを分解してあげて、困っている部分を手伝うだけです。

これを実践することで相手の人も回復し、この方法を真似るようになります。

間違ってシンプルにしたり、中身もなく複雑にしすぎると、寿命を浪費します。


以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

とてもご丁寧にありがとうございます。心に響くことが多かったです。私は、一つの考えで済ませているのだと気づくことができました。
自分の望みを分解し、対処に気づいていきたいです。
他人に対して、永遠の契約を求めていたことが多く、相手に窮屈さを感じさせているのだと思います。友達だから、という言葉などの対処法はよくないので、改善していきたいと思います。

お礼日時:2017/12/03 16:55

友である以上信じる事ですね、しかし友と思うか思わないかは貴方次第です。


信用できないやつは友達ではないですよ、知り合い程度です。
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信じるって具体的にどういうこと?


他の人に言えない悩みを相談するとかそういう事でしょうか。
怖いと思ってるなら信じられないでしょう。
気を許してないってことだから。
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その人の最初の印象が結構当たるよ♪それが直感だと思います。

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まー難しい問題ですね


でも簡単な話しで裏切らてもその友人なら仕方ないと思うくらいになれば気は楽かな
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