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お茶の先生から茶の湯を飲ませて頂く機会があり、大変ためになりました。

そこでお茶の起源は「中国だよね」という会話になったんですが、お茶の先生いわく「韓国という説もあるらしいわよ」と鶴の一言。

ボクは心の中で「そんなはずあるわけないじゃん」と思わず叫びたくなりました。実際問題として韓国は白丁を搾取するだけで、文化なんか根付く土壌もなかったと思います。

果たして茶道は韓国が発祥なんでしょうか。こればかりは違うと思いたいのですが。

A 回答 (15件中11~15件)

その先生は間違ってますね。



お茶の起源は、そもそも中国南部で飲まれていました。
漢方と共に中国全土に広まったものです。
中国でも全土に広まったのは唐から宋代にかけてです。
茶器もその頃に大幅に改良されました。

日本へは達磨仏教と共に、遣唐使が伝えました。
その後鎌倉時代の仏教の全国展開と共に、禅として漢方も日本中に伝えられました。
これが後の漢方医の始まりなんですけど、お茶に関しては戦国時代に千利休(商人)が個人的な趣味で凝っていただけだったのが、豊臣秀吉に伝わり、天皇へ伝えるべく商人では謁見できないので、千という姓を与えられて、僧と同じ地位を特別に与えられたのが始まりです。
現在でも茶道の本家は千家です。
※神農本草経
365種の薬物を上品・中品・下品の三品に分類して記述している。
上品は無毒で長期服用が可能な養命薬、中品は毒にもなり得る養性薬、下品は毒が強く長期服用が不可能な治病薬としている。
西暦500年に南朝の陶弘景が日本に持ち帰る。
日本の漢方の元。

利休は朱印船貿易で、高価な最新茶器を中国から輸入したと思われます。
後に、秀吉が交易を中止したので、それらはご禁制となります。
利休が茶器を自作しにかかるのは当然でしょう。

で、この飲み方が全国の大名へと伝わり、礼儀として伝わります。

江戸末期には、大衆でもお茶文化が浸透しました。
なかでも茶店では、抹茶ではなく、現在主流の薄茶(=緑茶)が出されるようになり、大衆でも安価に飲めるようになったのです。
西洋でハーブも飲まれるようになったように、日本では玄米や麦、さまざま葉っぱが飲まれるようになりました。
これは茶道とはかけ離れています。

なので朝鮮とはその頃は8世紀以降は断交していましたし、秀吉の頃には朝鮮に攻めていきましたけど、茶を持ち帰った話はありません。
なので、韓国説はまゆつばですね。
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お茶は、薬草として、中国に存在。


それが、中国茶となった。

しかし「茶道」となると、根本が違う。

冷静に考えて、「剣道」「柔道」「弓道」「茶道」「合気道」等、
「道」と言う概念を持ち、追及するのが、日本人の特徴。

それが良いか悪いかは別として、どのような物も、それを追及することで、
「道」という概念に、高めてしまう。

朝鮮人と言うのは、そういう概念の素地が、根本から欠落しているので、
一つとして、そういうものが、文化の中に無い。

お茶は、中国から輸入したものがあって、両班の一部が飲んでいたかも
知れません。
しかし、それは、「薬」であって、「茶道」ではない。

朝鮮人というのは、劣等感の塊なので、うらやましいものは、何でも、
「起源は朝鮮」にしてしまう。

朝鮮に「文化」と呼べるものは「ローソクデモ」位ではないか?

そのお茶の先生も、お茶と茶道の区別が出来ていないなら、大した先生では無い。
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韓国ねぇ。


あの国は何でも起源説の国ですから相手にしない方が良いです。
桜のソメイヨシノは済州島に自生して居た物を日本人が持って行って広げたと行っているらしいですが、ソメイヨシノは接ぎ木での
品種ですから自生は出来ません。
しかも日本の植木職人が作り出した物とハッキリして居ます。
それを自分の国からと言うぐらいの何でも起源説ですから、茶道が韓国発祥だなんてどの説だ!と言う事です。
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ありえません。

朝鮮は昔から中国の属国であり、朝鮮王朝は中国の言いなりにしかなりえませんでした。ただ、それを民衆にそのまま伝えると王権の失墜になるため、民衆には教育をさせないことで、王家の権威を保つことができたのです。
そのため、民衆に知識力がなく文化が育たなかったのです。いわゆる愚民政策ですね。
よって現在の朝鮮人は文化の歴史をもっていないため、なんでも他の国の文化が優れていると自分のところがその文化の発祥地だということで自己満足に陥っています。
特に日本には自分の国の方が中国に近く、中華思想が顕著に入っていたため、中華とは中国が世界の中心でありその世界に近い国が優れているという思想ですので、日本の方が野蛮な国であると思っているのです。
なので日本独自の文化が発展しても、朝鮮人にはそれが耐えられず、なんでも日本の文化は朝鮮が発祥だという考えが起こるのです。
起源説、ウリジナルを検索すればわかると思います。
昔は東洋文化で一番文化度が高かったのはやはり中国です。
文化度もそうですが昔の経済は生産力が高いところが発展しますので肥沃な耕作能力がある中国がダントツでした。
なので、茶以外にもいろいろな文化の発祥の地となったのでしょう。
そして文化の伝播は商業の運搬速度にも関わり合いがあるところですが、今の地図から見れば朝鮮は中国と隣り合っていますが、昔は満州地方は女真族の地でありいわゆる未開の地であることから、中国→満州→朝鮮と陸地の伝播よりかは、海上輸送の方が圧倒的に速度が速いため中国→黄海→朝鮮、中国→黄海→日本と経済、文化が伝播されていく方が圧倒的に多かったのではないでしょうか?
そのような状況からたしかに朝鮮→日本と経済の流れはあったんだと思いますが、文化度の伝播は中国からの直接な伝播の方が多かったのでは・・・
軍事力からいえば、兵士の運搬は船を造船する必要があるため海上輸送よりかは陸上輸送となりますが、商業では各商人が運搬能力をもっているため、陸上輸送より海上輸送の方が速度能力が上がります。
そのため、軍事では満州経由で攻め込まれる朝鮮も商業速度では日本と朝鮮は同じくらいの速度となったのではないでしょうか。
また、朝鮮は軍事力の脅威を中国からもろにうけるため属国にならざるを得ず、逆に文化は日本と同程度の伝播となったとおもわれます。
日本は海に囲まれており、山地も多く、耕作面積も少ないことから、民衆が共同して作業に当たらないと生産効率が悪かったのかもしれません。そのため、権力者が愚民政策は決してとらなかったため、識字率が高く、文化を選別する能力が育ち、100%中国の文化を踏襲せず、中国の文化の良いところは受け入れ、悪いところは受け入れないといったことによる日本独自の文化が発展していったんだと思います。
そして同じように伝播された文化も上記の朝鮮の愚民政策により朝鮮では伝播された文化が消滅し、日本では中国から伝わった文化が独自発展していったのではないかと思います。
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作法は、安土桃山時代に千利休によって確立でしょう。


ルーツとして、たぶん作者の創作みたいですが、三国志のはじめのごろに、劉備が大金を出してお茶を買うシーンがあります。あのごろ、中国の上流階級にお茶を飲む習慣があったと思われます。
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