アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

各地でクマが人里に出没しています。
麻酔銃で眠らせて山に帰したと聞くとホッとしますが、射殺されてしまったというニュースを聞くたびに心が痛みます。

人命の安全のためというのはわかりますが、殺すことはないのではないかと思っています。
クマは本来、臆病でおとなしい動物です。
人がクマを恐れる以上に、クマは人を恐れているはずです。
それが人里に出てくると言うのは、よほどの食料不足なのだと思います。
テレビでも、今年は木の実の出来が悪いので、クマが出てくるのだと言っていました。
そうだとすれば、これから冬眠に備えてたくさん食べなければならないクマたちは、今後も出没するのではないでしょうか。
そのたびにクマ射殺のニュースを聞くのは辛いです。

元はと言えば、人間がクマの住みかを奪ってしまったために、こういう事態になったのだと思います。

何とかクマも人間も不幸にならない方法はないものでしょうか?

A 回答 (9件)

色々な意見が書き込まれると思いますが、私なりの意見を書かせていただきます。

書かれているように、熊の性格は国内の野生動物の中でも臆病の部類に属すると言う事は間違いないと思います。
又書かれているように、麻酔をかけられ山に放たれるとしても結局は同じ事を繰り返すことになると思います。ただし、野生動物との共存はかなり厳しく、都内の鹿に関しても言えますが、森林被害があれほど問題になると予測しきれなかったことと思います。
実際に被害を被った人に言わせれば駆除をしろと言うでしょうし、保護という観点から見れば保護をしろとなるとおもいます。
こちらでは野生動物の被害で数百万円物もの被害を被った人もいます。適正な数を管理できればいいのですがそれも野生動物ではかなり厳しいと思います。
特に熊は捕獲の自粛が言われているのです。
私が思うのにはテレビとかで捕獲の状態を放映したり、猟友会員により射殺をするところを放映したりする事も問題であると思います。
各都道府県知事もしくは各市町村長の命により害鳥獣駆除が行われますが、今回の放映では明らかに駆除と言うより猟という感じに見えました。
公道を銃を肩に掛け歩く姿も映っておりましたが、はっきり言って状況にも寄りますが違反行為ですね。
銃刀法に抵触する事は否めません。
長々書きましたが、私の意見としては、野生動物との共存はその適正頭数の管理をしてこそ成り立つと思うのですが、その為には駆除も致し方ない行為であると思っています。
可哀想だけでは解決しない事も有ろうかと思うのですが、
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。
nobukun43さんは、たしか狩猟をなさる方でしたよね?
私は狩猟も有害動物駆除も否定するものではありません。
むしろ、狩猟が下火になって、人間と野生動物が健全な距離を保つことができなくなってしまったことが、かえって不幸なクマたちを増やしているように思います。
何とも皮肉なことです。
人間と野生動物の間には長い間に作られた暗黙のルールがあったと思うのですが、それを人間の方が一方的かつ予告なしに変えてしまったために、双方に不幸な結果となっているように、私には思えてならないのです。

>私が思うのにはテレビとかで捕獲の状態を放映したり、猟友会員により射殺をするところを放映したりする事も問題であると思います。
各都道府県知事もしくは各市町村長の命により害鳥獣駆除が行われますが、今回の放映では明らかに駆除と言うより猟という感じに見えました。
公道を銃を肩に掛け歩く姿も映っておりましたが、はっきり言って状況にも寄りますが違反行為ですね。

そうです。この辺に私も抵抗を感じるのです。
ご意見、参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/12 02:16

子熊は熊牧場に送られるパターンが多いようです。


やはり大人の野生の熊だと人に慣れにくく管理も大変でしょうから、射殺か山に返すしかないのでしょう。
熊が食糧不足で可愛そうだから餌をやろうとしたとしても、餌を貰うことを覚えてしまったら次からはちょっと困った時になど人里に降りてくるようになってしまうでしょう。

やはり熊と人間が共存するには自然を奪いすぎたというのもあるでしょう。また、続く異常気象は人間のせいだとも思っています。
人間も熊もその他の動物も、全てがよりよく暮らすには、使い捨ての考え方を変え、リサイクルや温暖化防止を心がけるしか末端の人間には出来ないと思います。
具体的に何か行うとすれば、熊牧場へ遊びに行くとかでしょうか。資金面で潤えば、受け入れる熊の頭数を増やすことも出来るでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。

>やはり熊と人間が共存するには自然を奪いすぎたというのもあるでしょう。また、続く異常気象は人間のせいだとも思っています。

その辺が私も心配なんです。
質問では、クマがかわいそう、ということを強調しすぎてしまいましたが、そういう問題だけではなく、環境問題として捉えるべきことだと思います。

人間を別にすれば、クマは日本の生態系の頂点に位置しています。そのクマを絶滅させるようなことがあったら、生態系全体にどんな変化が起きるか、予想もできないと思います。
昔ドイツの王様がサクランボを食い荒らす野鳥を駆除したら、翌年には害虫が増えて、かえってサクランボの被害が大きくなってしまったと言う故事があります。
この話を持ち出すまでもなく、人間は自分が環境に加えた変化がどんな結果を引き起こすかを予想できるほど、賢くはないと思うのです。

うまく言えませんが、クマを殺さざるを得ないような世の中は、人間にも幸せなものだとは思えません。

ご意見、参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/12 02:28

はじめまして。


人間と動物が共存していくためには、今年のような天候を考えると以下の案がいいとおもうのでがどうでしょう。
(1)応急処置的の対策ですが栗やどんぐりを乗せた餌場を獣道上の木の上に設置するのがいいと思います。(地面だとねずみがすぐに持って行ってしまうので。
(2)発見された熊に発信機をつけて移動範囲を把握しておくような処置がいいと思います。
ただ根本的な解決策となると実のなる木を地道に植林するのがいいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。
(1)の案は、すでにどこかで実施されていたと思います。しかし全国的に見れば、残念ながらその恩恵を受けるクマはわずかでしょうね。
(2)も一部の研究者はやっているようですが、全国のクマの動きを把握するまでには至ってないようですね。
実のなる木を植えるべきというご意見にも同感です。
そもそも建築用材として使える杉などを大量に植林したため、広葉樹がなくなってしまったことが、クマの食料不足を引き起こしたと聞いています。

その一方では、外国産木材の輸入で林業が衰退し、杉の手入れも行なわれず、それが杉花粉症の人がこれほど増えてしまった原因だとも言われています。

結局、人間の浅知恵で、いろいろチグハグなことばかりやった結果、クマが山を降りてくるようになり、人にもクマにも不幸な結果となってしまったのではないでしょうか。

ご意見、参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/12 02:41

麻酔銃で捕らえたが、地元の山に放すのは住民に反発され


近隣の市町村に受け入れを求めたがすべて断られ
結局処分されてしまった、なんてケースも報道されてましたね。

なかなか難しい問題だと思います。
naomi2002さんの優しいお気持ちは分かりますが
その「かわいそう」も言ってしまえば人間の勝手な感情ですよね。

射殺されるクマは「かわいそう」で
和牛ヒレステーキは「おいしそう」
ゴキブリは「気持ち悪い」ため、殺虫剤で一掃するのが「当たり前」

自分が感情移入できる生き物は「守ってあげたい」けど
嫌悪感を抱く生き物は「駆除したい」

「生命は平等」などと言ってみたところで、生き物は結局自分を守るため
自分を満足させるためにしか動けません。
それはある意味当然の事なので、悲観しても仕方ないですけどね。

naomi2002さんの自宅の近辺にクマが出没して
ご自身とご家族の身に最悪“死の危険”が降りかかる恐れがある場合でも
今と同じ事が言えますでしょうか?

私はある部分「しかたのない事」と割り切るしかないように思います。

この回答への補足

chairwarmerさんの補足欄をお借りして、回答者のみなさんにあらためてお礼申し上げます。
同時に、こんなにもお礼が遅くなってしまったことを、お詫びいたします。

質問してから4ヶ月も経ってしまいました。この質問のことを決して忘れていたわけではなく、お礼を書かなければ、と思っておりました。
しかし、私自身のこの問題に対する考えがまとまらず、どんなふうにお礼を書こうかと迷っているうちに、時機を失してしまいました。

まだお礼を書いていない回答者の方々にも、これから順次お礼を書いていきますので、もう少々お待ちください。

今頃クマたちは安らかに冬眠しているのだろうか?
十分に餌が食べられなくて、今でもさまよい歩いているのだろうか?
などと考える今日この頃です。
まだしばらく締め切らないでおきますので、特に生態系の視点からのご回答をいただけたら幸いです。

補足日時:2005/02/12 03:20
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。

おっしゃる通り、大変難しい問題だと思います。
私自身、牛ステーキは食べますし、ゴキブリは殺しています。
小鳥が虫をついばむのを見たら「可愛い」と感じますが、鷹が小鳥を襲うのを見たら、「残酷」だと感じてしまいます。
クマがかわいそうと感じるのも、たしかにそういう身勝手な感傷であることを否定するつもりはありません。

また、差し迫った危険から人命を守るために、やむなく動物を射殺しなければならない場合があるということも理解できます。

しかし、私が理解できないのは、次の点です。
人間は良くも悪くも、生態系の頂点に立ってしまい、自然環境を大きく変える力を持ってしまいました。
しかし、その一方で、自分が自然に対してしたことの結果が、どのように自分たちに跳ね返ってくるかを予測できるほど、賢くはないと思うのです。

人間を除けば、日本ではクマが生態系の頂点に位置しています。そのクマの生存さえも許さないような大きな変化を生態系に与えてしまった場合、どんな予期せぬ結果が起きるか、わからないと思います。

質問では「クマがかわいそう」ということを強調しすぎてしまいました。
本当は、人間は自然環境に対してもっと謙虚であるべきではないか?ということを言いたかったのですが、私の表現不足でした。

ご意見、参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/02/12 02:59

>麻酔銃で眠らせて山に帰したと聞くとホッとしますが、射殺されてしまったというニュースを聞くたびに心が痛みます。



同感です。
その昔、多くの先住民族を犠牲にしながら新天地を“開拓”し続けた侵略者の歴史を思い起こします。

>何とかクマも人間も不幸にならない方法はないものでしょうか?

異常気象に伴う熊の居住地帯における食糧不足、と原因もほぼ解明されているのに、なぜ地域社会はその原因、つまり食糧不足を解消しようとしないのか、ずっと訝しく感じていました。

熊たちの居住地帯へ十分な食糧を供給すれば問題は解決する筈なのに誰もそうしない。不可解です。

結局、この機会を捉えて合法的に熊の個体数を減らしたいと望む地域住民が多いということなのでしょうか? もともとそのような地域には、熊たちの生態系を原状復帰させるというようなフェアで長期的な視点など受け入れる風土がないのでしょう。

結論的に、『双方が不幸にならない解決策は存在するが、当事者である地域住民たちが別の目的を果たすためにその策を講じようとしない』が回答です。 

 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。

私は人里に出てきたクマを殺すのは、ある意味では狩猟よりも悪いことだと思えてならないのです。
猟師が山に入ってクマを射殺するのは、クマに人間の恐ろしさを教え、人里に出てこないようにする効果があったと思います。これによって、人間とクマの間に程よい緊張を保っていたのではないでしょうか。
しかし、人里でクマを撃つことは、山にいる他のクマに対する威嚇効果はないでしょう。山中で銃声を聞くことのなくなったクマは、1頭ずつ射殺しても、後からいくらでも出てくるのではないでしょうか。

No.1の方へのお礼にも書きましたが、狩猟が下火になったことにより、却って人間とクマとの関係が不幸なものになってしまったようで、なんとも皮肉なことだと思います。

クマの問題もスギ花粉の問題も、似たところがあると思います。広葉樹を片っ端から切ってスギやヒノキを植林し、外国材のほうが安くなれば、スギなど見向きもしなくなる、その結果枝打ちさえもしないので、花粉が大量に飛ぶようになる、これが現状です。
目先のことばかりに目を奪われて、長期的な視点でものを考えようとしないんですね。おっしゃる通りだと思います。
クマもスギ花粉も、自然に対する畏敬の念を失った人間に対する警鐘であるように思えてなりません。

ご意見、参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/23 16:11

確かに熊は本来ならおとなしい動物かもしれません。


しかし今や餌がない分獰猛化しています。果たしてそのような中で暮らしている人にとって「かわいそうだから」と悠長なことを言っていられません。
現に私は熊のよく出没する地域に住んでいます。もちろん学校もその近くです。周りにも保育園や小学校があります。毎日、「足跡がみつかった」や「熊が出没した」といったことが学校で言われ注意されています。いつ校舎や敷地内に入ってくるかもわからないような生活をしています。徒歩通学も禁止されていて、交通手段がない人は学校の事務員さんが送迎しています。
自分で逃げられる大人はいいでしょう、ですが危険の判断ができない子供たちはどうすればいいんでしょうか。それでも捕獲せず、森に返せと言えますか?
熊出没のおかげで恐怖を感じて暮らしている人は沢山いるのです。
私はその地域の人間なのでそう思うのかもしれませんが、射殺するのは仕方のないことだと感じます。
人間がしてきた代償なのかもしれませんが、共存は口で言うほど楽なものじゃないと考えます。
    • good
    • 1

 こんにちは。


 決して安い本とは言いがたいですが(1,890円…)、ご興味があれば、斜里町知床博物館というところから、「知床のほ乳類(2)」(出版:北海道新聞社)という本が出されています。
 この本の中で、世界でも有数のヒグマの生息地である知床でのヒグマとの共存の模索が紹介されています。
 地域住民の普段のゴミの出し方から、観光客の問題行動(エサやり)等、実際の事例を紹介しながら書かれています。
 よくある専門書とは異なり、一般の方向けに出版されている本で、読み物としてもおもしろい本だと思います。
機会がありましたら是非読んでみていただきたい1冊です。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894531 …
    • good
    • 0

>>元はといえば、人間が熊の住みかを奪って...



いくら熊といえど、原生林で生活しているわけではありません。といって、現在のように針葉樹林でも生活できません。
昔話でよくおじいさんが山に柴刈りに、とありますが、柴とは、広葉樹の低雑木のことで一般的には、木炭に加工したり、またはその燃料にする為伐採していたもので、このように人が山に入ることで、熊が山中で生活する為の環境が整えられていたのです。

人間が、現在の電気、ガスそのほかの便利な生活から、過去の木炭、囲炉裏、かまどといった生活に戻りたくないように、熊も一旦人間が生活している人里に出てきたら、えさを探す手間がかかる山中の生活には戻りたくないのです。
しかも、それまでおびえていた人間という生き物は、素手ならば相手にならないほど弱い存在であると気づいてしまった熊は、人間を恐れなくなり、常に人里で生活するようになります。
そのような熊を山に返しても、山の生活をしないのです。

>>何とかクマも人間も不幸にならない方法は...
昔のように、広葉樹林にし、山に柴刈りに行くと、山の環境が改善され、山中で暮らす野生動物の生活環境が出来上がるかも知れませんが、その当時の山間部の人々にとって、クマを含め、山中の野生動物は、貴重な食料であり、蛋白源として重要なものでした。
その当時と比べて、熊の生息数な減っているかもしれませんが、生活のために熊などを捕っていたのですから、犠牲になった数は、多かったと思います。

野生動物といえど、人のまったく目の届かないところで生活できるわけではありません。人とある程度の距離を置いたところで生活しているのです。
ところが、現在、山中では過疎化により、生活している人数が極端に減少し、野生動物にとっても生活できる環境ではなくなってしまっているのです。
そのため、都会のみで生活するようになった人間との距離を一定にする必要がある彼らは、従来の生活場所を都会付近に移動させてしまったと考えています。

私は、熊を捕獲することも、保護を訴えることも、人間のエゴであると思います。
    • good
    • 0

 こんにちは、chemistさん。

(^。^)
 今はまだクマさんたちも心地よい眠りについている時期ですね。

 そうですね、えさを探し求めて人里へ下りてきたクマたちは不幸にも射殺されてしまうことが多いですね。これは多くの人たちがchemistさんと同じように心痛める出来事ではないでしょうか。クマ射殺の命を受けた人たちもさぞや心張り裂ける思いだと思います。

 ひと頃よく漁師さんたちによる「イルカ大量虐殺」というニュースが流れていましたよね。漁師さんたちにすれば自分たちの漁場を荒らされているわけですから死活問題なのですが、それ以外の人たちからすればやはり残酷極まりない殺戮に見えたでしょう。私も当時ニュースを見聞するにつけ胸を痛めたものですが、それでも漁師さんたちの行動は止むを得ないと支持しておりました。漁場を荒し回るイルカを駆除する方法は他にも考えられたかもしれません。同様に、人里に下りてくるクマたちの駆除する方法だって、殺害以外の方法も考えられたでしょう。賢いイルカや臆病な熊たちを喜んで殺す人など1人もいないはずなのですから・・・

 ですが、他の方法だとあまりにも「経費がかかり過ぎる」のですね。「経費がかかり過ぎるからと言って尊い命をそんなに簡単に殺してしまってもいいのか」という見方もあるでしょうが、それは「お金持ちの傍観者」の発想であって、「底辺の生活者」にとって「経費の嵩み過ぎ」はやはり命取りになってしまいます。

 イルカの大量殺害も胸が痛みましたし、クマ銃殺も胸が痛みました。ですが、その現場に生きる人々にとって彼等は「生活の糧を奪う者」であり「自らの命や家族・地域の人々の命を脅かす者」なのですね。確かに彼等には何の罪もないかもしれないが、彼等の行為によって更に罪のない人々が生活苦や恐怖に晒され、死さえも思って怯えて暮らしていかなくてはならないのであれば、私はやはり彼等を殺すことを厭わない者です。他のご回答者もおっしゃってましたが、麻酔銃で眠らせて山へ戻しても、いずれまた人里へ下りてきます。或いは動物園に飼育してもらおうとしてもそうそう予定外の動物を飼う予算などありませんし、また、それまで野生で暮らしてきた動物にとって動物園で暮らすことが幸せだとも限りません。「命さえ生き永らえるなら幸せなのだ」という発想はこれまた偏った幸福感だとも思えますし・・・

 私が仮にイルカの荒らし回る漁場で生活し、クマの出没する山里で暮らしているとするなら、やはり彼等を私も殺してしまうでしょう。イルカを何処か他の海域へ追いやり、クマを何処かの山奥へ追いやる方法も考えられるのですが、残念ながらそういう「時間」はありません。時間にゆとりのある生活をしているのならそういうことを考えないではありませんが、しかしそれも自分だけではできないことで、他の仲間たちが「そんな悠長に構えていられる時間なんてねえよ」と言えば、やはり共同体の一員として彼等と行動を共にするでしょう。

 本来生活圏の異なるもの同士が遭遇してしまうことは不幸の始まりです。私が山奥でクマと遭遇してしまえば、クマを振り切って逃げることができない場合、殺し合いになることは必定です。私にクマを殺せる手段があるとすれば、私はどんなことがあってもその遭遇してしまったクマを殺してしまうでしょう(クマさんが逃げてくれるのならそれを追いかけてまで殺しはしませんよ(笑))。私にクマを殺したいほどの憎悪はないし、できればクマを殺さないで済むならそれが一番いい。クマだって、彼を殺せるだけの手段を持った私と戦うより私から逃げた方がいいと思っているに決まっている。彼等と平和的に話し合いができるのならどれだけいいかと本当に思います。

>クマ射殺のニュースを聞くのは辛いです。

 chemistさんもお辛いでしょうが、そうしたニュースを聞いて辛くない人は殆どいないのではないでしょうか。多くの人々が涙していることと思います。「でも仕方ないんだ」と唇を噛み締めつつ、「どうかクマさんたち、人里に下りてこないでね」と願っているのではないでしょうか。「人が生きていく」ということはそういうことだと思います。「辛さ・悲しさを我が身に飲み込みつつ」全ての人々が生きているんじゃないかと思うのです。

>元はと言えば、人間がクマの住みかを奪ってしまったために、こういう事態になったのだと思います。

 これについて言えば、№8のmocchaさんが名回答をされていますので、そちらに譲りたいと思います。

 あまりご参考になるような意見は書けませんでしたが、私にとってはこれがいっぱいいっぱいです(笑)。
 

 去年の夏から秋にかけて人間の我儘な手によって射殺され、命を落とした熊さんたちの成仏を願いつつ、私の回答とさせていただきます。生きとし生けるあらゆる命が、分け隔てなく、幸せに暮らせる時代が早く来るといいですね。(^。^)
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!