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最近独学で俳句を始めてみました。

なかなか載るのは無理だと思いますが、購読している
新聞に投稿欄があるので挑戦してみたくなりました。

その際に分からないのが選者の先生の選び方です。

できた作品の雰囲気によって、同じ新聞投稿先の選者の先生を
毎週のように変えてもいいのでしょうか?
それともどんな作品ができても皆さんいつも同じ先生に
投稿しているのでしょうか?

もちろん二重投稿はなしという前提です。

質問者からの補足コメント

  • はい。
    先生を選んで投稿するシステムになっています。
    先生によって少しずつ作風が違うような気がします。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/04/11 08:15

A 回答 (3件)

新聞の俳句投稿には、投稿者が選者を指定するシステムと指定できないのと二つあるようです。


朝日は出来なくて、毎日は指定するようです。選者の俳句観と好みによって、選ばれる句には
それなりの傾向があるのは当たり前のこととするなら、この選者に選ばれることを目標にして
頑張ろうということで、同じ選者を一定期間は指定し続けて投稿するのが良いかと思います。
尤も、おっしゃるように、この句ならこっちの選者に選ばれる可能性が高いだろうと判断したら、
その時には選者を変えてみても、何の問題も無いと思います。
蛇足ですが、ネットにも多くの句会があって、投句が出来ます。掲載句などを見ていると、ここ
にもそれなりの傾向の違いがあるようです。投句をしないまでも、覗いてみるだけで結構勉強に
もなると思います。ご参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

選者の先生についてもまだまだ不勉強なので、
朝日方式のように、むしろ選べない方がいいのですが、
購読誌は選択性になっています。

教えていただいて助かりました。

お礼日時:2018/04/13 23:29

俳句や和歌を論じるのに、やれ連歌の発句だ、やれ芭蕉だ一茶だ、やれ現代俳句だ虚子だ、やれ作風だと御託を述べて、芸術のレベルでなく知的レベルで恍惚としている方もいますが、そんなところに俳句や和歌の本質があるのではありません。



この芸術の本質は、人類が作り上げて来た芸術の中で、他には見られない特徴があるところのあります。この芸術以外の全ての芸術では、それを創り出す人の数は、それを鑑賞する人の数と比べて圧倒的の多いのです。ところがこの芸術だけは、その反対にそれをそれを鑑賞する人の数と比べて、創り出す人の数が圧倒的の多いのです。だから、創作者以外にそれを鑑賞する人がいない場合が圧倒的に多い。

ところで、芸術活動の真髄は、創作活動、すなわち、無から有を作り出すところにあります。その創作的喜びや恍惚感は、至福の喜びです。それに比べて、自分でなく他人が創作した作品を鑑賞して得られる喜びは、創作者の喜びと比べたら足の爪の垢ほどもありません。

俳句も和歌も、創作者としての至福の喜びを味わえば宜しいのであって、選者だ鑑賞者だ作風だ時代をリードしている作者だなんて言うレベルではない。そんな「俺って頭いいだろう」とか「俺ってこんなこと勉強して知っているんだぜ」なんて低レベルの知的活動ではないのです。他人から評価されたいなんて欲望を超えたところに芸術の創作の喜びがある。そのような創作の喜びを誰でも味わえる特異な芸術活動を残してくれた我々の先人たちに、ただ感謝、感謝です。日本人の芸術感覚とその理解ってすごいですね。
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ご自身で選者の先生を選べるのですか?

この回答への補足あり
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