アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

芸能人が死ぬとよく、『徹子の部屋』でのトーク映像が流れますけど、一体いつからそういう事をやっているのですか?
最初(追悼番組)は誰ですか?
そもそもどうしてやり始めたのですか?

A 回答 (3件)

徹子の部屋の映像が流れるのは、テレビ朝日系列の局だけで、他の局は流しません。

黒柳徹子くらいキャリアがあり、徹子の部屋くらい長寿な番組でありとあらゆる芸能人と話してる番組ありませんから、亡くなった人の映像を探すには一番手っ取り早いのです。ちなみに、TBS系だと8時だよ全員集合が割りと使われます。
    • good
    • 0

日本のTV放送は1950年代半ばから本格化し、1960年代以降家庭にTVが急速に普及しました。

また、殆どが生放送だったのでVTRも残っていません。
その当時、有名人が亡くなったとしてもVTRがないわけで、フィルムで残っている作品・・・すなわち映画や映画上映の幕間で上映されていた芸能ニュースくらいでしょうね。
 おそらく1960年代半ば以降、有名人が亡くなった場合に「〇〇さんを偲んで」といったような内容の放送があったと想像できます。
 
ウィキペディアに
「1967年10月31日に 吉田茂元首相(10月20日没)の国葬が執り行われ、NHK・民放各局で特別番組を編成。民放ではこの日全番組をCMなしで放送。」

 こういう記述がありました。
戦前には例があったものの、戦後国葬はこの吉田茂の一例のみですし、全民放がCMなしって、昭和天皇崩御の時のような雰囲気だったのでしょうか、想像するしかありませんが。吉田茂の業績をたたえて、戦後の日本の歩みなどを彼の映像を交えて放送されたものと推測はできます。
    • good
    • 0

>一体いつからそういう事をやっているのですか?


>最初(追悼番組)は誰ですか?
テレビの本放送が始まって65年です(1953年2月~NHK、8月~NTV)。
テレビ草創期からテレビを見ていて、それを覚えている人がいたとすれば、少なくとも70代半ば以降の人です。
その頃の娯楽の目玉と言えば映画ですし、そもそもテレビの受信契約を最初から結んでいた人など金持ちか新しもの好きの道楽者くらいです。テレビ受像機も1台十数万円はした時代。一般庶民には高嶺の花で、街頭テレビを見るのが関の山だったでしょう。
また、初期のテレビには映画会社に所属している俳優などは恐らく会社との協定があってそうやすやすと出られませんでした。なので1日数時間の放送で、テレビで流せるのは許諾されたニュース、歌舞伎、落語、歌番組などくらいだったと思います。
そこから人々に顔を知られて売れていった有名人や著名人あたりですから、昭和30年代初頭に上記に挙げた方々で亡くなった方がいれば、追悼番組もあったかもしれませんね。
徹子の部屋は1976年2月スタートで、第1回のゲストは森繁久彌と載っています。徹子の部屋とて、初期にはもちろんアーカイブなどないので、追悼放送もなかったと思いますけど。

>どうしてやり始めたのですか?
当然、亡くなった方の在りし日を忍ぶためですね。誰もがその方の若かった頃や最も活躍していた頃の映像を見て懐かしみたかったからでしょう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!