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 昔話には夫婦がよく登場しますが、大抵良い夫婦と悪い夫婦が対照されます。ところが、舌切り雀は優しいお爺さんと、意地悪で強欲なお婆さんとが夫婦となっています。希有な例かと思うのですが、何故このようなお話が生まれたのか以前から不思議でした。どなたかご存じの方いましたら教えて下さい。

A 回答 (3件)

 それはお話のつくりによるのではないでしょうか。

舌きり雀は一種の報恩譚(恩返しの話)と勧善懲悪がひとつになった物語であるという部分にポイントがあります。
 恩返しと勧善懲悪をひとつの物語にまとめるためには、

   恩をかけてくれた人(善行)    → お返し(恩返し)
   恩をかけてくれずいじめた人(悪行)→ 仕返し(負の恩返し)

という構図で物語を構成しなくてはなりません。舌切り雀での善行は「雀を大切に飼うこと」、悪行は「舌を切ること」です。飼っている雀の舌を切るのは、もちろん隣のいじわるばあさんでもかまわないと言えばかまわないのですが、どちらかといえば飼主であるおじいさんと一つ屋根の下に住んでいるおばあさんのほうが自然です。いくらいじわるでも、隣で飼っている雀の舌を切るというのはいささかゆきすぎで現実味がないのではないでしょうか。
 それにもし隣のおばあさんに雀が舌を切られてしまったとすれば、今度は隣のおばあさんとこちらのおじいさんの交渉という一段を話のなかに挿入してあげないとどうもまとまりがつかなくなります。いくらおじいさんがいい人でも、となりの家が勝手にそんなことをしたら文句のひとつも言いにゆくであろう、ということは用意に想像されますが、こういう脇筋を入れると話がもたついてくる。それに「どうしてそんなかわいそうなことをするんだ」といわれた人が、隣にならってのうのうと雀のお宿に出かけるのもおかしいといえばおかしいのです。こっちのおばあさんなら、舌を切ったとは家、おじいさんといっしょになって夫婦で雀を世話してやった、という恩義が、すくなくとも成りたちえますが、これが隣のおばあさんでは「恩ということはなにもかけてくれず、それどころか善良な雀の舌を切ったクソ婆」がおみやげを期待して出かけてゆくということになって、いささか設定に無理がありすぎる。
 おばあさんがおじいさんのまねをして出かけ、しかも失敗して帰ってくるには、(1)おじいさんとの共通点、(2)おじいさんとの相違点、の両方が必要なのです。おばあさんは主観的に(1)=恩義、のほうにばかり視点がいっているが、じつは雀のほうは(2)=いじめ、のほうばかり記憶している。だから齟齬が生まれて物語が成りたつわけです。
 これはたとえば瘤取り爺さんでもいっしょで、となりのいじわるなおじいさんは、(1)=俺だって踊りは踊れる、(2)=踊れるには踊れるけどヘタクソ、という二つの条件を満たしている。花咲爺さんの場合は、最初の宝堀りは、(1)=同じ犬に探索を任せた、(2)=日ごろの行いがよくない(あるいは自分が育てた犬ではないという消極的な理由)、となって、報恩譚の性格が弱いのですが、物語の核である花咲かの部分では(1)=同じ灰を使った、(2)=でもその灰のもととなった犬を殺したのはいじわるじいさん、と、みごとに報恩譚と勧善懲悪が結びついている。
 ひるがえっていえば、もし舌切り雀にとなりのおばあさんが出てきていたら、ちょうど花咲爺さんの宝堀りのように、いささか報恩譚としての骨格が弱くなるような気がします。そのためにおじいさんとおばあさんは夫婦になっているのではないでしょうか。
 ついでに言えば、おばあさんの残酷な仕打ちには、現代の視点からすると「雀にばっかりかまけている」というおばあさんの嫉妬も感じられるような気がします。これなどはおじいさんとおばあさんが夫婦だからこそ成りたつ要素ではないかと思います。
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この回答へのお礼

 博識と論理的な回答、ありがとうございます。「或る朝」のご回答も読ませて頂きましたが、ここ数日のkankaso uroさんの怒濤の書き込みには目を瞠るものがあります。

お礼日時:2004/10/28 08:05

#1です。

すみません。

私の友人(出身地忘れました)の覚えている「舌切り雀」は、
花咲かじいさんと混ざったようなお話で、
舌を切った「いじわるな夫婦」とすずめをかわいがる「優しい夫婦」が出てくるんです。

友人の単純な記憶違いかもしれませんが、
親からそのように聞かされたと言っていました。
私が言いたかったのは、
いまの一般的な形はバリエーションのひとつに過ぎないのではと思っています。
つまり、「夫婦で分かれる」というパターンそのものが、
たくさんあるバリエのひとつでは、と。

すみません、答えになってないのはわかっています;
「舌切り雀ではこのパターンが一般的になったのは何故か」という回答になってませんよね。
出直してきます><
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この回答へのお礼

 #3さんの見解と合わせて考えると、意地悪な夫婦と優しい夫婦が登場する「舌切り雀」は成立過程かもしれませんね。
 重ねての回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/10/28 08:00

はじめまして。

こんにちは。
私の勝手な解釈をさせていただきます。

昔話や言い伝えなどの本当の最初のカタチは、
今となってはよくわからないのではないかと思います。
以前、「本当は怖いグリム童話」というのがブームになりましたが、
口伝・書写されて語り継がれながら、
形を変えて現代に至っているように思います。

そこで、昔話の性質をみてみると、
「教訓」めいたものや「神様を敬う」ものが多いですよね。
それをあらわしやすいのが「対(つい)」の表現だと思うのです。
善良な夫婦と意地悪な夫婦。
旅人に優しい村と厳しい村。
温和な王様と厳格な女王。などなど。。。

性質の対比が顕著な登場人物(または環境など)を用いれば、
ひとつのことに対して「優しくした結果」かたや「いたずらをした結果」という風に、
「めでたしめでたし」のところに教訓を含ませやすいと思います。

ですから、対(つい)になっているものが、
夫婦だったり、おじいさんとおばあさんだったり、
いろいろバリエーションがあってもおかしくないんじゃないでしょうか?

以上、私の勝手な解釈でした。ご参考までにお願いします。

この回答への補足

 済みません。質問の意図が曖昧だったようです。
「舌切り雀」のような夫婦で善悪に分かれてしまった希有な話は、何故生まれたのかという質問です。時代背景、地方の特殊性等、等。

補足日時:2004/10/25 17:26
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