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人って、頭の中に小説のようなことを考えて生活してるのですか??
最近久しぶりに小説を読んだのですが、「夕日が沈み山が溶けていく」などの文を見て、「人ってこんなに世の中を観察してるものなのかー」と思いました。
小説で描かれてる主人公の感じてることって、普通の人も感じてることなのでしょうか?

A 回答 (6件)

詩人、俳人、歌人、作家など言葉で食べている人はその様な感じ方ができないと生きていくのが苦しいでしょう。

だから他人の作品をたくさん読んで、盗み、自分なりに書き換え、状況を置き換え、無視し、登場人物を加え、など売れる設定に持ち込む必要があるのです。
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観察し、感じはしますが、言語化する人はほとんどいないと思います。


人に伝える手段として言語があるのです。

夕日が沈み山が溶けるは、観察すごいですか?
「夕日がキレイだなー明日も晴れそうだ」くらいは誰でも観察してますよね。
山が溶けるは、観察がすごいのではなくて表現がすごいって感じたのではないですか?
心のなかでこういう言語化を楽しんでいる人もいますが、特異な例です。
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多くの人が、身の回りの情景を言語化しないからこそ、小説が読まれるのでは?



小説を読むことで、その言葉から「美しい情景」を連想できるのは、全く体験したことの無い人には無理ですから。雪が降らない国の人に「雪国」の冒頭は、何の感慨もないかと。
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人による。

観察する人もいるけど、それをすべて言語化するのが好きか嫌いかはその人によると思います。
人間って情報の処理も人によって映像で処理するほうが得意な人と、言語が得意な人といます。
あとは本が読むのが好きな人、文章を書いたり作るのが好きな人、とか
子供の頃からのそういった習慣があるかないかによると思いますよ。

だから夕日が沈んで山が溶けていく様子をじっくり見てきれいだなーとか映像として焼き付けても
それを山が溶けていくという言葉が頭に浮かぶ人ばかりじゃないでしょう。

個人的には人も物も観察するのも言語化するのも好きですし
自由俳句や小説も書いたりします。
あとそういったスケッチ。絵ではなく言葉で、日常のワンシーンや映像をスケッチする
というのもなかなか楽しいです

小説だけでなく、たとえば作詞とかする人もそういった言葉にするのが得意なのでしょう。

赤毛のアンとか読むとアンはそういった言葉の表現があふれてしかたないようですが
大仰な表現をし過ぎて、若いころに書いた小説を読んだ隣のおじさんには
自分なら夕日を沈めるのにこんな大騒ぎさせないとか言われてましたね
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いつもではないですか、ふとした時に、観察しますね。


空や月、景色、季節、精神的にもいいですね
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全員が感じているわけではないですけど、小説を書ける人、読んで楽しめる人の多くは、そういう観察眼を持っています。


特に小説家は、細かいところを見て気付いてイメージする力がないとなれません。
例えば電車に乗っていて、近くにいるサラリーマンのワイシャツの袖が妙に汚れているのを見つけて、「何で汚れたのだろう?」「彼はどういう職業なのだろう?」などと普段から考えない人には、小説を書くことは難しいと思います。
この細かい観察眼がある人は、自分以外の人間のことをよく観察し、頭の中に蓄積していますし、それ以外にも情景とか質感とかを沢山頭の中に持っています。
そういう豊富なストックの中から、必要な人、必要な場所、必要なシチュエーションを選び出して小説を書くのです。
極端な話、真夏に真冬の話を書けるということです。
アマチュアの小説をネットで読んでみると、こういう力があるか無いかはすぐ分かりますよ。
観察眼の弱い人は、細かい描写は書けないか、他人の書いたものから拝借するしかありません。
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