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王貞治氏は、現役時代868本塁打打ちましたけどその当時は、球場は、狭かったんですか?

A 回答 (5件)

今の読売ジャイアンツのフランチャイズ球場は


  両翼:100m、中堅:122mの東京ドーム
だけど、王氏の現役時代は
  両翼:公称90m(実測87.8m)、中堅:公称120m(実測120.8m)の後楽園スタジアム
だった。センターは1.2m小さいだけだけど、ライト/レフト方向には10m以上小さかった。
大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)の川崎球場、中日ドラゴンズのナゴヤ球場、広島カープの広島市民球場(初代)も、後楽園スタジアムと同規模の球場=横浜スタジアム、ナゴヤドーム、広島市民球場(二代目:マツダスタジアム)より、ひとふた回り小さい球場であった(因みに、今のナゴヤ球場は1998年に改修してフェンスを下げているのでナゴヤドームと同規模になっている)。

また、王氏の現役時代の前後には、フェンスの位置自体の変更を伴う改修がなくても
  「ホームランを出やすくする」ための「ラッキーゾーン」
を設置する球場が少なくなかった。
セ・リーグのフランチャイズ球場の中にも、
  後楽園球場:1947年から1991年までの間
  神宮球場:1962年から1967年までの間
にラッキーゾーンが存在した。

確かに、今より球場が小さかったりラッキーゾーンがあったのは事実だけど、球やバットなどの道具の進化もあるのも事実。
同世代の他の打者と比べて傑出した存在であり、王選手(だけでは無いけど)がいたからこそ日本のプロ野球が進化したという事実は動かしようもなく、記録が色あせることもない。
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記録が色褪せる訳ないので、事実確認ですよね?


本拠地の後楽園球場は両翼90m、センター120mでした。昔から広かったのは甲子園だけで、その他のチームの本拠地は後楽園と同じ位でしたよ。神宮、広島市民、ナゴヤ、川崎(大洋)の事です。
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狭い球場の使用は多かったですね。


巨人の本拠地の後楽園球場は、両翼が90m無かったのと球場自体が外野が下向きに傾いた打ち下ろしの構造でした。
大洋ホエールズの本拠地だった川崎球場や中日球場も狭かったですね。
王さんは現役時代にホームランの飛距離を気にしていて、納得がいかないホームランは自身の中でカウントしなかったそうです。
王さんのプライドが許さなかったようですね。
王さんがプレーした球場で残っているのは、プロで使う球場では、甲子園と神宮くらいだと思うのですが、神宮は今も昔も両翼が極端に狭い構造です。
甲子園はブルペンを兼ねたラッキーゾーンがありましたね。

横浜スタジアムや東京ドームが出来た時は、広い球場ということで評判だったのですが、今は違う評価になっていますね。
横浜では王さんはプレーしています。
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広くはなかったけど、それで記録が色褪せると言うこともないです。


本塁打率(打数÷本塁打、要するに1本塁打当たりに要する打数)は10.65ですが、これはとんでもない数字で同時期のホームランバッターだった野村克也氏は15.93、現役のホームランバッターでバレンティン氏が12.16です。
「狭かったから多かった」のなら他のバッターも打てる訳ですがそんなこともない訳で、王貞治氏はやはり突出した存在だったと思いますよ。
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球場の広さは変わってないでしょう



当時は屋根がなかったし、圧迫感もなかったでしょう
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