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現在、科学的視点から自由意志や自己とは幻想にすぎないといわれています。人間も物質である以上、物理の法則に支配されるため私もこれは事実だと思います。
しかし知ることに意義はあるのでしょうか?知らない方が幸せに生きることができるのでは?と思いますが皆さんはどう考えますか?

A 回答 (11件中1~10件)

初めまして



意義があるのは、知る事(知識)を極限まで追求していく事ではないでしょうか?

中途半端な知識を知るよりは、知らない方がまだいい・・・という事だと思います

意思や自己が幻想だと主張する事、それが事実だと思える時点で、それはニュートン力学の世界ぐらいでの思考ではありませんか?

相対性理論や量子力学の世界まで進めば、極大や極小の世界では、ニュートン力学の世界では想像も出来なかった世界が溢れていると思います

意思や自己とかがはっきりと分析ができない事象だから、幻想と決めつけてしまっては、知識の追求を途中で諦める事につながると思いますが・・・
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命題の前後のつながりがいまいちしっくり来ませんが


知ることは幸せでしょう。
知らないことは不幸ではないだけで、幸せであるこということも知らないので
幸せではありません
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物理法則に従ってることは事実ですが 物理には「エネルギー」と「性質」があります



属性と言われて来た性質ですが 実は性質はどんなエネルギーにも在り

性質の働き合いで物質なども「態」を持ち 性質が働きあって現象し

魂となったり様々な性質が働き合って脳でも精神となり正解の性質を認識するのです。

したがって精神は存在するのであり 性質は唯の属性ではないということです。
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人間の言動は、脳の神経細胞間にあるシナプスという間隙を脳内化学物質が移動するタイミングや量によって制御されています。


また、その移動は基本的に、外界・内界の刺激を感知するセンサーが、どのように反応するかによって異なります。
たとえば扁桃体は恐怖や危険を感知しますが、幼少期に虐待を経験したりすると扁桃体が肥大化する傾向があり、すなわち恐怖や危険に対して敏感に反応しやすくなることがわかっている。
つまり、必要以上に反応しやすくなり、たとえばセロトニンなどの脳内化学物質の分泌が制御されてしまうことで、うつが発症しやすくなったりすることもしばしばある。
しかし、幼少期の刺激と現在の刺激とを同一視しているわけですが、こうした認知の歪みを改善することによって、脳内化学物質の無用の移動が起こらないようにすることが可能です。
こうした改善過程のきっかけには、意志が必要不可欠です。
意志とは何かということは難しいかもしれませんが、念じることで神経細胞からの脳内化学物質の分泌を制御できるということではないかという気がします。
少なくとも「念じる」ことの有無によって言動が左右されるのは間違いありません。
このように、『科学的視点から自由意志や自己とは幻想にすぎない』というのは誤った認識と言えるでしょう。
『人間も物質である以上、物理の法則に支配される』ではなく、
『人間も物質である以上、物理の法則に、ある程度は支配される』
と捉えるのが妥当かと。
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現在、科学的視点から自由意志や自己とは幻想にすぎない


といわれています。
 ↑
そういう説がある、というだけです。



人間も物質である以上、物理の法則に支配されるため
私もこれは事実だと思います。
しかし知ることに意義はあるのでしょうか?
知らない方が幸せに生きることができるのでは?
と思いますが皆さんはどう考えますか?
 ↑
幻想なら、知ることに意義がある無しを
考えることすら無意味になりませんか。

知ること、あるいは知らないことも
必然なのですから。
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>自由意志や自己とは幻想にすぎないといわれています。


>人間も物質である以上、物理の法則に支配されるため私もこれは事実だと思います。

唯物論という世界観を想定すれば、そうなると言っているだけです。

唯物論自体は、それが正しいことも、逆に間違えであることも、一度も証明されたことはありません。人間が知ることができないことなのでしょう。

だから、科学で採用される唯物論は、とりあえずの仮定なのです。

ところで、精密に実証されて支持されていると言われる量子力学は、唯物論でないとする見方もできます。観察という行為、あるいは観察装置をおいたという計画や行為、それ自体が、本源的な役割をはたしているからです。物と並んで、行為・計画が本源的なことがらになってきます。
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いったい、どの科学者がそのような事を断言したのかわかりませんが、人間の自由意志や自己が幻想にすぎないとしたら、自由意志や自己に責任を負わせられなくなります。


つまり、法治国家が成り立たなくなります。
物理学者以前に、法治国家は、きちんと、自己や、人間の自由意志は存在するとして、法律を規定しています。
単純に、学問として、自己や自由意志の物理的実体が見つけられないと言うなら、当たり前の話だとは思いますが、人間の活動において、自由意志や自己の行動を規定する現象が存在しないと言う事は言えないでしょう。(実際にそれらは、存在しているわけですから)
逆に、自由意志や自己が存在しないとしたら、人間の行動はどのような原理で行われているのでしょうか?
知ったと断言した物理学者は、本当に知ったのでしょうか?(自己や自由意志が幻想ならば、その行動原理は何によって行われていると説明しているのでしょうか?)
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人間も物質というより、人間も現象というほうが正しいでしょう。


つまり森羅万象全部現象。

知ることに意義?
知らないほうが幸せ?

私はそういう事考えたことありませんね。興味関心だけです。
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ーー物理の法則に支配されるため



それはそうでしょう。
人間は宇宙にある太陽系の中にある地球に存在しています。
最初から様々な法則に従って存在しているので、幻想でもなんでもないと思いますよ。
人間は遺伝子と環境や周囲の人々によって予め決められた行動パターンはあるかもしれません。
ただ、「自由意思」や「自己」があるということは、生物は必ずしも決められた行動パターン通りには動かない(集団行動などや、決めれたレールから外れる場合もある)という事を示しているのだと思います。

それらを知ることによって人は「変わる事」も「変わらないでいる事」も可能だということを知ることができます。
選択肢の幅が広がることは、その人にとって可能性は沢山あるということだと思うので。
むしろ、知ることによって、その人の視野が広がるのではないでしょうか。
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こうして質問する者の正体は、物質?


精神、でしょ!

その精神は、幻想でしょうか?

精神は体があってこそ、存在します。
体をもっと使って、大切にしてください。

日がな一日鎖につながれた犬が、散歩するときは生き生きとしていますよね。

物質である人間も動物。
動き回らなければ!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
精神は体があってこそ存在する…
その通りだと思います。けれどそうなると自己や自由意志は存在しないように思えます。

お礼日時:2019/08/18 09:01

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