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レポートで憲法9条の解釈論を書けと言われてるのですが、そもそも解釈論の意味があまりしっかりわかっていません。ググってもあまりしっくりきてないので誰か教えて下さい。できれば9条の解釈論について大体こんなことを書けばいいということも教えて頂けるとありがたいです。

A 回答 (8件)

そもそも解釈論の意味があまりしっかりわかっていません


 ↑
日本の法規ですから、日本語で書かれています。
しかし、言語、というものは、時に曖昧、不正確
なので、解釈によって意味を補充する必要があります。

例えば、殺人罪です。
人を殺す、のが殺人ですが、じゃあ「人」って何?

法人は含みません。自然人だけです。
法人に懲役とか死刑、というのは考えられないからです。

胎児も含みません。
胎児を殺すのは堕胎罪として、別に規定がある
からです。
じゃあ、いつから人なんだよ。
我が国では、学者が色々議論して、母体から一部が
露出した時から人になる、と解釈されています。

死体も含みません。
死体損壊罪、という規定が別にあるからです。
じゃあ、いつから死体なんだよ。
我が国では心臓死が定説でしたが、これだと
心臓移植が困難になります。
だから、脳死説が強くなっています。

このように「人」という単純な語句にも色々な
問題があり、だからこそ解釈が必要になるのです。

人でさえ解釈の問題があるのです。
これが9条となったら、それこそ複雑奇怪に
なります。

例えば、軍隊の定義です。
軍隊は持たない、と明記してあります。
じゃあ、自衛隊はどうなんだ?

自衛隊を認める以上、自衛隊は軍隊では無い、と
解釈するしかありません。
だから、軍隊とは、侵略戦争を目的とする軍事組織の
ことで、自衛隊は含まれない、なんて解釈する
人もおります。

しかし、世界200の国があるなかで、トップ10
に入る軍事力を有する組織を、軍隊でない、と
解釈するのは、もはや日本語ではありません。




できれば9条の解釈論について大体こんなことを書けばいい
ということも教えて頂けるとありがたいです。
 ↑
自衛隊について書くしかないでしょう。

違憲とするのは簡単ですが、それでは
マズイ、と考える人が色々呻吟するわけです。

国際紛争を解決する手段としての武力を
持たないとしているんだから、自衛隊は合憲だ。
いや、国際紛争を解決しないため、なんて
あり得るのか。

自衛権は否定されていないのだから、自衛権の
ための自衛隊は合憲だ。
いや、世界的に認められている自衛権というのは
正当防衛的なモノで、警察力がレジスタンスの
ことであって、自衛隊のような組織を認めた
ものではないだろう。
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国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、


国際紛争を解決する手段として【以外】は行使してよい

前項の目的を達するため陸海空その他の
戦力はこれを所持し行使する
交戦権?国際紛争?
ものは取りようです

尖閣に入った韓国軍を自衛隊が攻撃しても当然違憲ではありません。国土防衛です。
北に拉致された人に救出部隊を編成して北に送り込むのも違憲ではありません。
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「解釈論」を自分の主張に合うように趣旨を捻じ曲げることと言うのなら。


それぞれの主義主張に沿った内容に読み取ればいいのです。
それで政治ができるのかといえば、できません。
どこかで異論の余地のない書き方をしなければいつまでたっても法律は誰かの都合のよい目的で独断的に使用されます。
防ぐことはたぶん無理です。
それが言葉の限界かもしれません。
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>憲法9条の解釈


についてですね。

憲法に限らず、多くの法律があいまいな文章になっているので、そこに「解釈」が成り立つ余地があります。特に憲法9条は自衛隊が実存する問題を含めて、解釈論が激しいといえます。

ではどの部分が「解釈論」で議論になっているかというと
「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

という中で一つだけ挙げると「国の交戦権」という部分になります。

つまり「交戦権」をどのように解釈するか?が9条解釈論の根本的な中身です。

「交戦権」を辞書で引き、普通に考えれば「武力を使った衝突をしないこと」という意味になります。
そこまでは誰も文句を言わないのですが、問題は「自分から武力を使わない」のは誰にも異論がないとして「相手が勝手に攻撃してきたときに応戦するのは是か非か」という問題が出てきます。

交戦権は「交戦」つまり「お互いに武力で戦う」ことですから、自分から仕掛けないのはもちろん「相手が攻撃してきても応戦しない」という解釈も成り立ちます。この解釈を正当とするなら「どんな場合でも戦わないのだから自衛隊は不要」であり、自衛隊は憲法違反になるわけです。

しかし、実際の世界はそれほど甘くありません。こちらが何もしなくても「相手が勝手に攻撃してくる」ことは歴史的にいくらでもあったし、今後もありえるわけで「日本だけがそのような攻撃に遭わない」という保証はありません。

となれば「国家として交戦権とは別に『防衛権』は有るのではないか?」という解釈も出てくるわけです。
交戦権とは別に『防衛権=防衛する権利』が国家の自然権(最初から当たり前に持っている権利)としてあるなら、自衛隊は『防衛目的のための予防措置』ということで9条があっても合憲になります。

ざっくりと9条の解釈論の内容を説明すれば、上記のようになるわけです。

もちろんこれに付属する議論もいろいろあります。たとえば「(武力は)国際紛争を解決する手段」として放棄する、という内容です。
この武力は「どこまでを含むのか?」という点について、日米軍事同盟が憲法違反になるか否か、という解釈論もあります。日本自体は武力を使わなくても米軍によって「武力を使った国際紛争の解決」があるなら、日本が関与する場合、米軍が使うとしても9条違反になるのではないか?というような議論です。

このような「文言そのものをどのように解釈し、現実の実態に反映させるか」が解釈論の基本であるといえます。
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単にあなたの考えを書くというよりは、過去の経緯をきちんと調べて書いた方がよいと思いますよ。



日本国憲法の下で生きている日本人が、この問題を「知りませんでした」というのはあまりにもお粗末ですから。
ましてや大学なのか高校なのか分かりませんが、「日本国憲法」なり「法律」を学ぶ者としては知っておくことは必須でしょう。

「要するにどういうことなんですか?」を他人に聞くのではなく、自分の中でそれをどう考えるのか、どう解釈するのかというプロセスを経てください。
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憲法を改憲しようと言うのが、立法論。


現行の憲法を使い、解釈を変えて運用するのが解釈論。

で、以下コピぺ

第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


コピペ終わり

「国際紛争を解決する手段としては」とわざわざ書いてあります。

だから、趣味とか宗教とか国際紛争じゃ無いところ、つまり国内なら、放棄していないのです。
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何のレポートですか?大学ですか?


中高だったらテーマとしては相応しくないですね。
まさに国会で議論を2分する内容ですから・・・

ちなみに、解釈論はここを読んでみましょう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49041
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自衛隊が国民にとって必要な存在だということは、今では多くの国民が認めるようになりましたが、自衛隊は明らかに憲法九条に違反しています。

一部だけ抜粋すると、

「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 自衛隊が違憲ということについては、中学生程度の日本語読解力を有していれば、間違うことはないはずですが、憲法学者を頂点とした専門家や国会議員の多くは、憲法解釈の手法により合憲化してきた歴史があります。

 一方、護憲派は軍隊を持たないことが平和の維持に不可欠という、ノー天気なことを言っています。これは、第一次大戦後のドイツとは大きく異なって、日本人が敗戦による悲惨な戦後を経験していないことが原因です。また、あの当時、トルーマンが大統領になっていなければ、米国とソ連の分割統治になっている可能性があり、日本はラッキーだったと思うべきです。
また、現在、戦争の悲惨さを訴える大多数の国民は戦争未経験者と考えるべきです。戦争経験者とは、実際に殺し合いをした人たちですが、彼らが戦争の悲惨さを証言し、語り継ぐことはないと考えるべきです。

 以上は、護憲派に対する善意の解釈ですが、現実は大きな悪の意思が根底にあると考えるべきです。それは、シベリア抑留により共産主義に洗脳された者が日本のいたるところで活動してきたのではないかという疑いです。
 シベリアには50万人の日本人が抑留されていますが、このうちの0.01%が洗脳されたとしても50人が洗脳され、日本に「草」として根付いていると考えられます。
洗脳の対象は、当然、頭脳的に優秀な者であって大衆を扇動しやすい職業についていたと考えられます。そういう視点も必要だと思います。

憲法は宗教の教義ではないのだから、その時代時代で解釈を変えていくというのは無理があり、世の中の変化のスピードも速くなっているため、50年程度で見直す必要があると思います。
憲法九条の改正に反対する人々は、憲法九条を宗教の教義として考えている人々か、さもなくば、洗脳を脈々と引き継いできた悪意に満ちた人々だと考えるべきだと思います。
 
 日本国憲法は国の根幹を定めたものであり、国家権力が憲法に違反した行動をしないように、また、憲法に違反した法律を制定しないように、というような大元の法律であると思います。
そのため、宗教の教義とは違い憲法九条のように踏み込んだ枠組みがあるのは当然だと思います。
しかし、正義や倫理というものは時代とともに変遷していくものであり、技術革新によって国民の生活様式も変わっていき世界観も大きく変わっていくのですから、実態が憲法とかけ離れていくような状況にあるのであれば、憲法解釈などという姑息なことをしないで、真正面から憲法改正にチャレンジすることが、まっとうな政治活動だと思います。

以上は、2017年の終戦の日に考えたことです。
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