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もちろん各家に自家風呂がないとか心身の爽快感とかあるでしょうが、現在と違い風呂の種類も一つしかないあの時代に何故あんなにも銭湯が流行したと思いますか?家に風呂がなくても行水とかできるわけですから。
やはり施設のハ-ド面じゃなくてソフト面からでしょうか?

A 回答 (3件)

 こんばんは。



 江戸時代の社交場だったということですね。
 
 それと、寛政の改革後は男女別湯になったにもかかわらず、浴槽だけが男女別で、脱衣所、洗い場は男女の境がなく、ほとんど混浴同然だったそうです。
 ちょっとタイムスリップして行って見たい気が……

 下記のサイト、なかなかマニアックです。

http://www5.ocn.ne.jp/~ukiyo26/yuya1.html

参考URL:http://www5.ocn.ne.jp/~ukiyo26/yuya1.html
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男湯の二階には、料金を取ってお茶出しをし、碁や将棋を楽しめる場所があったそうです。

やはり娯楽の面が大だったのですね。
また、行水はやはり夏場は良くても冬は辛いですし、そもそも水自体、江戸の初期は井戸は共同で一人でふんだんには使えなかったようです。江戸中期になり掘り抜き井戸が普及すると同時にお水がたくさん使えるようになり、家にお風呂を備える家が増えたそうです。
ちなみに、江戸の家にお風呂が少なかったのは、他にも薪が高いとか、家事に気を付けなければならないと言った理由もあったようです。どうしてもひとたび火災が起きればすぐに燃え広がる作りですから、風の強い日はお風呂屋さんも休業だったとか。
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当時の風呂は現在と違ってお湯でなく中は薄暗い湯気のスチームバスのようなものだったそうです。


湯浴み女がいて、吉原の遊女よりも手軽で人気があったということです。
何度も湯浴み女禁止の例が出されましたが、大変人気が合ったようでほとぼりがさめるとすぐに有名無実になってしまったようです。
ちょっと違うのですが、今のソープランドみたいなものでしょうか。
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