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日本が世界一の技術力を持つ製造業大国になれたのは、帝国大学やその他国立大学で工学の教育を重視した点が大きいですか?

質問者からの補足コメント

  • 職人・技能者が有能だったからというご意見が多いですがら研究開発に従事する大学院卒者の方達の実績は全く影響してないのでしょうか…

      補足日時:2020/05/04 11:17

A 回答 (23件中1~10件)

戦争に負けたのを体験した人たちが 技術力を持たないと国は勝てない と頑張ったからです。


どっちかというと 高卒や二流工科大学を出た人が頑張りました。
一流大学で研究で頑張った人も居ますが、たいていの頭のいいひとは ふんぞり返って支持する方 になりたがったので 経済界を除いては 「技術力を持つ製造業大国の生成」には寄与していません。
一時は エコノミックアニマル と呼ばれて 世界中に営業マンがいた時代があります。彼らは現地の人と仲良くなってまっとうな商売をしたので現地では喜ばれました。
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そうですね。

明治維新で、幕府から維新政府は政権を頂戴したに終わらず、長州藩が戦いを通して知っているイギリス、あるいは当時黒船であった現在のアメリカ海軍の技術力、その背景にある産業力を維新志士は洞察していたからでしょう。1840年のアヘン戦争を横目に、世界最大の大国-富裕国の清が、わざわざヨーロッパから来たイギリスに内政干渉された果てに、アヘンと技術でボロボロにされたのを、記憶していたのもあったからと言うのもあるでしょう。維新志士がアヘン戦争、長州の対イギリス戦争と黒船経験があったからこその「維新」だったと考えられます。1869年に維新後、71年11月から、早速、維新志士伊藤博文、大久保利通、岩倉具視など明治政府の首領が、席を開けてまで、1年半使節団としてアメリカ、イギリス、ヨーロッパを視察してきたのです。仰るように、当時の先進国の通念は「敵国に対して常勝である」ことでした。ですから、このことを前提に「経済の強化」=産業革命といった帝国イギリスないしアダム-スミスの思想の影響を受け、富国政策の一環として産業、技術、教育といった分野を彼らは視察してきと考えられます。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツの視察から、産業技術そのもとの人材教育である学校制度の導入も果たしています。また富国政策するにあたり、日本を指揮護送する官僚機構を大久保利通が確立し、彼らエリートが日本を誘導していったことも、常勝のための富国政策から切り離し考えることができません。伊藤博文に至っては、留学し、わざわざロンドン大学を卒業するくらいですから、常勝富国への思い入れは相当量あったと思います。彼ら維新志士の欧米列強に対する歴史的恐怖が、根底において彼らを視察→富国政策へと動かしていたと考えられます。「このままでは欧米列強に清のように殺られる」。彼らの「脱アジア的な欧米視察」は、この歴史的教訓と恐怖にあると考えられます。
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猿真似が上手かったから。

今風に言うならコピー、ニセモノ。欧米では、日本の製品と言えば、安かろう悪かろうの、代名詞でした。50年前の、ホンダN360は、ミニの完コピだし、現代に復活したN660は、ミニがミニワンという車名になったのをマネして、Nワン。猿真似は、日本の伝統芸です。
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大きな要因の一つだと思います。

しかし、全てではなくて、他にも古くからの技術の蓄積や、職人魂、経営の先見性、欧米のライバルの存在など、幾つも要因は有るでしょう。
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安い賃金で人を使って、それで得た利潤分配を会社のお偉いさんから順に取り分多く並べて支給し、お偉いさんの子供はより質の良い学習環境が手に入り、順に賢くなる事ができた。


並び順が半分から下層の子供は、塾へも通えぬ逼迫家計家庭となり、学力格差が増しに増し、社会問題として提起されているが、一向に半分から上の取り分多めのお偉いさん連中は、その事実を身肌で日々感じつつ知っているものの、都合が悪くなるので知らない振りを決め込み、状況を改善しようとせずに、今日もその甘い蜜を陰で笑みを浮かべつつ、しゃぶ利尽くし過ごして暮らしているのである。
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人件費が安かった、と言うことがその理由の相当大きなものでしょう。

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何でも学ぶことを習慣とする民族であった。

これは歴史の中で育まれたと思うしかない。長期にわたって中華文化を学び、入手困難な蘭学にも挑んだ。そして中国が植民地化されようとしているのを見て、欧米に切り替えた。学ぼうとしても教えてもらえなければ、盗んで学ぶ文化まで持っていた。当然明治維新とともに、欧米から各種の文化人を招聘し、高級を支払ってでも学び続けた。
太平洋戦争でさんざんに痛めつけられても、立ち直る気力と学習能力は維持していた。
しかしそれもバブルの崩壊で崩れ去った。
もう立て直そうとする政治家まで失ってしまった。
国家としての日本の優位さはどんどんと失われ、後退途上国とまで言われている。もう二十年もすれば、東アジア、東南アジア、南アジア、それだけの中でも、劣等国となっているだろう。
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大きく言って理由は3つです


1江戸時代の鎖国の影響で、国内の豊かさを欧米に搾取されない分、国内の経済再生産に回すことができ、
 道具や生産技術拡大のために多くの投資が行われ、全国で特産物や特別な道具が生まれた。
 さらに、各藩の政策もあり、商人や豪農が「技術者」を大切にする考え方がそうした傾向を後押しした
2江戸時代、商業活動の活発化で「読み書きそろばん」と言った教育をつけないと、
 農家の次男以下は生活できないという状況の中、彼らを教育する「寺子屋」が全国にあふれ、
 明治初期の教育を支える役目を果たした。つまり、能力の高い技術者予備軍がいた
3中華思想の影響で、大国を「模範」とすることに抵抗がなかった。
 その結果「清」から「欧米」へ「模範とする国」を変えると、その技術の高さを抵抗なく認め、
 追いつことを目標とすることができた。
こうした社会の背景があって、帝国大学での技術教育に、
政府も、研究開発に大きな金を投資することに、抵抗がなかったということでしょう。
実際、有能な人物を留学させるだけでなく「お雇い外国人」を欧米各国から高い賃金で日本に呼んで、
最先端の学問を教えさせたアジアの国は日本くらいで、こうした政策の結果、高い技術が生まれたのでしょう
多くの植民地となった国は「王様」のための「技術」を優遇したから「国内産業が立ち遅れた」わけですから

「民間技術」に対する投資が少なくなっている現代は、日本にある種の危機が待っていると思います。
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いえ他国の技術技能を上手に取り込めたからです。

いわゆるトヨタ自動車が盗用多自動車と揶揄される所以ですよ。類似語に真似下電器産業や似とるだカメラなんて言うのもあります。
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大きいと思いますよ。



現場に強い職人 vs 頭でっかちな研究者。

と考えるのはステレオタイプな発想ですよ。マンガじゃないんだし。
テレビの見過ぎの人でしょう。
私の知っている研究者の方々は、どんな現場の職人よりも職人気質でしたよ。

私は学生時代アルバイトでゲームプログラミング(つまり職人)をしていたんですが、
大学の情報処理の教授が自分で通信プログラム(アセンブラを使って)を自分用に作って
使っていたんで驚きました。
私が作るものより精錬されておりました。
当たり前ですよね。世界一を目指して戦っている専門家なんです。
当然ながら、市中で出回る通信ソフトより優秀でした。
世界一の通信ソフトが(その教授が自分で使うためだけの目的で)そこにあったわけです。

(私も昔、バイト先から賜った仕事で音声再生のプログラムを手掛けたことがあります。
 そこで使った理論は未発表の最先端技術でした)

凄いですと褒めたら、先生の方が驚いてましたね。
現場の方が実践的と言うのは幻想であり、現場に限界を感じた人が自らを磨いて研究者
になるんですよ。

先生からしたら、自分は現場の代表者であり、トップランカーなんだという自覚があります。
私(下位ランカー)に褒められれば、驚きますよね。
物を知らないというのは怖い。恥ずかしい話です。

探求心旺盛な職人の方は自分の興味が尽きず、大学へ行って学び、さらに新しいことを考えて発表する。
研究者と言うのは、職人のボスであり、リーダーなんですよ。
同一のものを分けて語る人は当事者じゃないと思います。

人間であり、現場も愛していますし、モノ作りも好きだし、研究もしたい。
何をしたっていんですから、現場で熱心にモノづくりをしつつ、研究者として学会発表もしている方が本物でしょう。
マネージメントもしますし、商売だってします。
新しいビジネスモデルにも興味がありますし、伝統工芸や芸術だって負けたくありません。
音楽やスポーツだってやりますし、相手がプロであっても負ければ悔しい。

しかし、学問と言うのは一つ一つの発明が100年から1000年の積み上げで出来ています。
一個人の一生の情熱では対抗できません。
どうしても専門知識を学ぶ場が必要なんですよ。

工学は、現場を支える方に対して、他国に負けない様に武器を与えたという事。
私はこの効果を肌身で感じていますので、質問者さんの言うとおりだと思います。

何か一つに秀でている人がいて、それぞれが対立関係にあるというのは間違った幻想です。
全てにおいて取り組み、状況に応じて役割を変える。全てにおいて凌駕している人がいるだけです。
そのためには専門知識が必要であり、分野を問わず学んだ人が現場で強いという事です。

研究者と職人が違うものだと思っている人が多いというのは、
それだけ日本が物作り大国では無くなったという事です。
逆にそうした人たちが、衰退させたのではないかと思います。

以上、ご参考になれば。
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