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今の若者世代は昭和〜平成初期の世代に比べて知能が低いと思いますか?

A 回答 (12件中1~10件)

生まれつきの知能の変化はないと考えます。

後天的な知識や知恵、学力については、環境差が大きく出ます。

学ぶ環境が昭和とは全く変わってしまったのは英語です。
まず、昭和は幼児や小学生から英語を学ぶのは一般的ではなかった。ほぼみんな、中1から学校で学び始めました。
現在は、幼児の習い事のベスト3に英語が入り、小学生に至っては第2位です。昭和は国語と算数くらいしか教えてくれなかった公文や学習塾でも、小学生に英語を教えています。地方でも中学生時からホームステイを経験している子たちがたくさんいて、高校では修学旅行で英語圏へホームステイをさせたりもします。生徒たちの海外体験が昭和とは圧倒的に違います。公立小中高校にもALTが配置され、学校で日常的に生の英語を学べるのは昭和にはなかったことです。「じすいずあペン」と発音する先生から英語を学んでいたのが昭和の中学生です。授業数も週に3時間しかありませんでした。国語や数学は週に4時間でした。英語の授業数が増えたのは平成に入ってからです。現在は中学生でも日常英会話ができる子たちがたくさんいます。高校生には英語でディベートができる子たちもいます。幼いころから英語が学べる環境があり、学校にはALTも配置され、授業数も増え、海外体験も増えた。大学入試でリスニングを課すようになったことで、学校教育現場もリスニングに力を入れるようになった。明らかに環境で生徒たちの英語力は伸びました。英語教育と学ぶ環境は、昭和と平成以降ではあまりにも違い過ぎます。英語力の向上は知能とは全く別のところにあると考えます。
学びの環境がそれほど変わっていない国語や算数・数学の学力が昔よりさほど伸びたように感じられないところを見ても、英語力の向上が賢さの根拠とするのは厳しい、というのが持論です。

体力は昭和よりも今の小中学生のほうが落ちました。ゲームやインターネットの進歩が要因と考えられます。
一方で、スポーツ科学が発展し、やみくもな根性論(朝から晩までがむしゃらに練習)で鍛えるコーチはほぼいなくなりました。記録が伸びているのは、栄養学も含めてスポーツ科学や器具の力が大きく、体のつくりも記録が更新し続けられるのも、昭和と比べての個人の努力差、能力差よりも環境差によるところが大きいと感じます。

発達障害に焦点を当てて考えてみると、こちらも環境差が大きいように感じます。
昭和から個性的な子はたくさんいました。今なら発達障害と言われる子どもたちです。しかし、2次障害を起こす子は少なかった。現在は1次障害にとどまらず、2次障害に発展してしまう子たちが増えました。昭和の時代、個性が強い子は、おじいちゃんおばあちゃん、近所のお兄さんお姉さん、おじさんおばさんなどなど、多くの身内や身近な他人と接し、それが社会勉強の場となり抑止力になり、躾され、または逃げ場となり癒しとなり、2次障害に発達してしまうことが少なかった。今の子たちは学校と最小限の身内のみで生活している子が多く、一人で暇つぶしができる媒体も増え、自室にこもりやすくなり、個性が増殖されてしまっているのではと感じます。
加えて、明らかに昔よりも増えた「傷つきやすい子」。これも発達障害の1つとして考えられていますが、逃げ場がない子たちが昔より増えたせいだろうと思います。
子どもたちだけでなく、大人もです。切れやすくなった老人、これも他人との関りが昔よりも減ったせいだと考えます。

昭和と比べ、現在の環境がひとを向上させる面、退化あるいはデメリットとなる面、両面あります。いいとこどりはなかなかできないもどかしさはありますが、学ぶ環境においでは、今の子たちは恵まれているなと感じています。ただし、日本の教育がこれでいいのか、という問題はまた別の話です。
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それは、少し落ちてはいると思います


それは、子供達は昔と比べ少し現代な考え方をしているので、いい教え方ではなく、昔はこうだからこう。という締め付けるような教育が行くてを阻んでいると私はかんがえます
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№6回答者です。


「知能のほとんどは先天的なものではなく後天的なものだからではないかと思います。」
について掘り下げました。

知能が学校の成績や試験の点数で判定できるとしたら、例えば、1995年生まれの全員について小学校、中学校、高校のデータを投入してグラフ化すると、ひとりの成績の変化がわかるだけではなく全体のグラフも出ることになります。また、これから知能が判定できることになります。

個別の具体的な成績を見ると、
・小学校中学年までの成績は良いが高学年で下がる者や高学年になって上がる者などいろいろだと思います。
・中学校になって更に伸びる者や下がる者もいるが、下がった者の中には公立中学ではなく私立中学に行って成績が下がった者もいると思います。
・高校になると難易度がバラバラだったり、採用されている教科書の種類も違うため、一律に比較できない難しさはあるかも知れませんが、学校のランク分けと連動させることで可能なのかな?

これから、知能は後天的に獲得しているということが明白になると思います。
でも、科学が解き明かしているこの世界の事象はせいぜい1,2割程度ということから考えると、たぶん学校の成績だけでは判定できない知能というか特殊な能力のようなものもあると思います。
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ちょっと気になるのはADHDなど、発達障害やアスベストなどのアレルギーの子の増加ですね。



今は検査がちゃんとされて、見つかる子が増えただけ。とも言われますがさすがにメチャクチャ多いと思うし、
検査数とか以前に増え過ぎだと感じてます。
聞いた感じ、子供の友だちとかでも、感覚的に言って、5人に1人くらいは特定の食べ物が駄目とか、特定の科目とか接し方で問題があるみたいです。昔もいたけどさすがに多すぎないか?
と感じます。


個人的には高齢出産と関係あるのかなと感じてます。差別もあるので公的に言われることはあまりないですが。
現代の若者が昔と比べて精子数などが1割も減ってるのは有名な話ですが、そのへんは気になりますね。

ちゃんとした理由はわかってないみたいです。
海外の事情はよく知らないのですが、今の日本だと、立ち歩きとかの問題行動の子の割合は昔よりはだいぶ多い気がしますよ。
家庭とかの教育方針?とかそういう問題ではない気がしますね。 
そういう子には特定のことをやるのはとても難しいと思うので、今の時代に合わせた教育のほうがいいと思います。
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高いと思いますよ。



僕自体は努力量や賢さを「英語力」で判断します。そして英語力は毎年上がってるように思いますよ。


というのも
○戦後ずっと100年近く英語は最重要科目の一つ
○中高の必修でかつ、大学受験でも文理に関係なく必修で配点も高い。勉強しない、なんてあり得ないし、英語できなくて有名高校や有名大に行くのはほとんど不可能。
○企業就職にも有利でやるメリットが大きい。TOEIC持ってないと大手はそもそも書類審査で落ちる。

だから、英語はどう考えても、やるしかない状況が何十年もありました。
もちろん映像教材の進化や、帰国子女の増加などはあると思いますが、
それ含めても単純な英語力が上がってると思うのですよね。「昔の人はぜんぜん英語勉強してなかったんだから!」なんて、ありえないので。

「教材の進化の差で英語力は現代の子のほうができるんだ」と言うのなら、同じ理由で数学や理科や国語もできるはずです。言い訳にもなりません。
もちろん個人差があると思うのですけど。

ちなみに僕は若者世代ではないですよ。あと昔の人は賢かった、馬鹿だったとか言うつもりもないです。努力家はいたし、すげーバカもいました。
一定の能力(電話で話すこととか)は下手だと感じますよ。けどオジサンオバサンだと、SNSやスマホが苦手な人もいますし、それはどっちもどっちかなと。

野球なんかでも、昔は、140キロ超えたら本格派なんて呼ばれてました。しかし、今は150キロくらい超える投手が何人もいますよね。体も大きいですし。日本は、いろんなことのレベル上がってますよ。若者、すごいです。
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質問者の方が「知能」という言葉をどのようにとらえているかによります。



当然回答者の方も同じで「体に備わった基礎的な能力」や「理解力」という意味で使うなら
そんなに短期間に変わらないというのが答えでしょう。
また「昭和~平成」の人たちが知っていたことを知らないという意味で「知能低下」というのなら
それは逆に「今に追いついて来れない」のだから「昭和~平成」の人たちが「知能低い」ということになります。
要は「知能=知識容量」ととらえるか「知能=知識総量」ととらえるかで、答えは変わってくるということです。
若者は最初のパターンで答え、年寄りは後のパターンで答える傾向にあり、
ともに、「自分の世代」の優越性を主張したがります。
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過去の歴史から判断して知能に変化はないと思います。

未来も同じだと思います。
しかし、環境は大きく変化していますので、体のそれぞれの機能は変化しており、知能とは関係ないところで脳に影響を与えていると思います。

一例をあげると視覚。
視覚は反射光により物を見るという時代が非常に長く続きましたが、1945年ぐらいから直接光を見る時間が長くなり、現代日本人の多くはテレビやスマホにより直接光を見る時間の方が長くなっていると思います。
これが目の細胞や脳にどのような変化を与えるのかはわかりませんが、三世代、四世代目に入っているので、昭和初期生まれの人々と比較するとなんらかの変化が起きていると思います。

知能になぜ変化がないのか?(言い換えると進歩や進化がないのか?)
知能のほとんどは先天的なものではなく後天的なものだからではないかと思います。
そう考えると、一握りの天才を除けば多くのヒトの知能は年齢とともに進化していくと考えられ、乳幼児期、児童期、生徒期、学生期で鍛えるべき部分や経験や学習をさせるポイントは異なるのではないかと思います。

現時点でもハッキリとわかっていることは、乳幼児期から児童期中期にかけてもっとも鍛えなければならないのは、感覚機能、感覚機能と運動機能の連携、免疫機能だと思います。
なぜなら、これらの機能はそれ以降の年代では鍛えられないからです。
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知能と言うか、基礎学力は絶対に落ちています。


昭和60年代以降生まれのいわゆる「ゆとり世代」以降は、彼らが決して悪いのではなく、学校の週休二日制が諸悪の根源だと思います。
2002年(平成12年)からは完全週休2日となりました。ってことは、平成5年生まれ以降が完全週休二日制での教育を受けています。
 昭和時代の小中高校生に比べて、年間の登校日数が40日近く少ないわけで、それが12年掛けたら500日も学校に登校する日が少ないわけです。
 また、年に数日ですが「成人の日」「海の日」「敬老の日」「体育の日」などを月曜日に設定し、ハッピーマンデーとか言って3連休になることも増えました。「山の日」は夏休み期間なので省きます。

 公立校の場合、授業日数が圧倒的に少ないわけでこれでは昭和時代の子どもたちと基礎学力の差がつくのは当然ですし、また学生の頃の休日の多さで成長しているので社会人になってからの激務に耐えられない人が増え、フリーターが増える原因でもあると思います。
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知能は変わらないと思うが、知識と経験は


昔ではちょっと考えられないほど世界が広い極一部の子と
子供の世界に閉塞して何も知らないできない大部分の子に
大きく二分しているような気がする。
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低い人と高い人に極端に二分化しているんじゃないかと思います。


今はネット上に情報がたくさん溢れており、テレビメインの時代と違って、マスコミが都合よく切り取っていることや、報道しないことなども知ることができます。
昭和末期~平成初期の人ももちろんそれは同じですが、今の若者世代は「若い頃から」そうなので積み重ねを始めるのが早いです。
また、平成初期より前の世代の人は、人にもよりますがSNSに馴染みがなかったり、SNSはやってても動画は見なかったりという割合が若者に比べて高いです。
今は勉強になる動画もツイートもたくさん溢れてますから、そういったものを意欲的に取り込んで、勉強とも思わずに日々勉強している人はかなり知能も高くなっているんじゃないかと思います。
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