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少し前に、なぜ生物には優しさがあるのでしょうか?という質問があって、苦労して原稿を書いて、いざ投稿しようと思ったら、すでにベストアンサーが決まっていました。せっかく書いたのだから、また議論の種になるかと、ここに記します。

 生物が多世代にわたって生き残るためには、まずもって自分の子に対して優しくなければなりません。しかし、自分の子だけに限定すると、誰かが不幸な目にあったときに、その子は生き残れなくなります。
 そこで優しさを適用する範囲に幅を持たせる必要があると神様が考えたか、そういう幅をもった特性を持つ種だけが生き残ったか、でしょう。この幅というのが曲者で、種の異なる生物を峻別しようとすると、自分の家族以外も範囲外になったりするので、ある程度ゆるく設計されているわけです。そこで瀕死の動物を見つけたら助けよう、という心が働き、優しさに付き物の可愛さという幸せを獲得します。この可愛さが病み付きになってペットとかを育てるようになります。人間以外の哺乳動物もペットを持つかどうかは別として助ける、という優しさを示す場合があるわけです。多分、食べ物が満ち足りた状況において、という条件付きですけど。
 鳥類は同種に対する優しさは間違いなくあります。
http://www.fuzita.org/authorspage/inforecords/in …
 ホオジロがカッコウの雛を育てるのは多分、勘違いによる優しさだろうと思いますけど。神様は子育ての下手なカッコウに托卵という悪知恵を授けたのでしょう。
 爬虫類は優しさとは無関係の存在のように見えますけど、昔、昭和初期の玉川自動百科事典の動物編で爬虫類、ヤモリの項の挿話で、家を解体していたらヤモリが間違って釘付けになったのが生きていて、そばに別のヤモリが寄り添っていた、という話が出てました。今でも ほんとのことか疑ってますけど、事実とすればヤモリにも家族愛か同胞愛が存在することになります。

べつの考え方とか、例があれば紹介してください。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    残念ながら期間内では一つの回答しか得られませんでした。
    > 生物の、第一義的命題は、個が生き残ることではなく、その個が属する集団が生き残ることで、そのために優しさがある、ということでした。
     私が考えるには集団の定義はあいまいな所があって、人類という集団なのか、日本国という集団なのか、哺乳動物という集団なのか、動物という集団なのか、明確ではないことが気にかかります。鳥類までは優しさが及ぶけど、その前身の爬虫類、両生類、魚類・・・と続いてアメーバまで行き着くのか気になります。というわけでベストアンサーは無しということで終了します。

      補足日時:2021/05/18 18:24

A 回答 (1件)

生物の、第一義的命題は、個が生き残る


ことではなく、その個が属する集団が
生き残ることです。

生物はそう設計されているのです。
そう設計された個が生き残ったのでしょう。

個ではなく、集団。

それが優しさの根拠だと思います。


他の集団の存続を図る、という優しさを
示す時もありますが、それは属する集団への
優しさの拡張や変形だと思います。
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この回答へのお礼

うーん・・・

ありがとうございました。
 そうですか、生まれながらに、意識するとしないとに拘わらず全体主義を身に着けているというわけですね。このコロナが猛威を振るう中、世界全体としては人類が生き残る方向に動いている。多分、個々の動きは生き残りに反する行動であっても全体としてはそうなる、と考える、ということなんでしょうね。バッハさん、菅さんの判断はどう影響することになるでしょうね。

お礼日時:2021/05/16 06:59

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