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武家政権下に於いて関白を筆頭とする公家は官位だけ高くて何の実権も無い存在だったのでしょうか?
将軍と関白ではあくまで関白が形式上は上でも、政治的・軍事的には将軍以下武家の方が強かったのでしょうか?
権威と権力が一致しないというのがイメージしにくいです。

A 回答 (5件)

天皇の領地を管理するのが武士です。


公家は天皇の親類縁者、身の回りをお世話する僕です。
江戸幕府も、このように国を管理しますと、報告に来ても、天皇に会うことはできません。ガードマンに会うのは社員程度で良いのです。良きに計らえと任して貰えていたのに、ちょっと違うんじや無いと言われて慌てたのか、戊辰戦争のもと。
関白は単に武士の中での最上位。公家の下っ端と変わりません。平清盛も公家に、娘を養子にさせてからとつがせました。
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「武家政権」というからには


武士が「武士」として政治を司る
わけで, 基本的に公家に「実権」はない. それは (豊臣秀吉以外の) 関白であっても同じ.

あと, 朝廷における序列は原則として官位の上下によるので, 必ずしも「将軍と関白ではあくまで関白が形式上は上」というわけでもないらしい.

「権威と権力が一致しない」についていえば今の日本の天皇はそれに近いし, もっといえばスウェーデンでは国王が首相の任命権すらもっていないのでほぼ完全に権力を喪失しているともいえる.
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英国で、王を追放し、新王との間で、王権を制限し、国民議会を王権よりも上にした「名誉革命」が成立したのが1689年。



日本で幕府が上皇や天皇を流刑に処し、実質的に朝廷よりも幕府が上位であることが確定した承久の乱が起こったのが1221年。

日本の場合は、今に続く「象徴天皇制」が世界的に観て、かなり早い段階で始まったということです。
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>武家政権下に於いて関白を筆頭とする公家は官位だけ高くて何の実権も無い存在だったのでしょうか?



公家に実権はほとんど無かったです。だから江戸末期はかなり貧乏な公家も多く、色々苦労していました。

>将軍と関白ではあくまで関白が形式上は上でも、政治的・軍事的には将軍以下武家の方が強かったのでしょうか?

なにをもって「形式」とするのかは難しいですが「統治の権限」でいえば、源頼朝に征夷大将軍の勅許を出し「武家以下の人々の統治権を与える」とした時点で、公家と天皇は別にして日本の人口の99%以上が将軍の統治下にはいったわけです。

>権威と権力が一致しないというのがイメージしにくいです。

この伝統は今でも続いていて、公家はなくなりましたが皇室は皇室典範で特別な地位にいながら統治行為や選挙権などはもっていません。それ以外の「国民」は統治に参加できるわけで、公家がもし今もあったら皇室と公家は皇居の中と都内の御所、それと京都の御所あたりに住んで、優雅な貴族の暮らしをしつつも「全く国政に関与しない(できない)」という形になっていたはずです。

世界的に見て「国家の権威と権力が1つではない」というのは制度的には珍しいですが、実質的なものならいくらでもあります。

たとえば秀吉が逝去した後の日本の統治は幼少の秀頼に五大老がサポートする形で、秀頼には何の実権もなかったわけです。
 ほかの場合はここに母親などが参加して実権をもつ、たとえば西太后のような例はいくらでもあります。
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権威と権力と官位とは、別の概念でしょう。


仮に、天皇と関白の2人がいるとして、「天皇には官位のようなものはない。政治の実権も天皇にはない」というのは、イメージできると思います。

ネットの実例で、一条冬経(1652年5月~1705年10月 冬経への改名も途中にある)には、次のような記載があります。

1673年、正二位に昇進し、1675年に右近衛大将から左近衛大将に転じた。
1676年左近衛大将を辞職。1677年には右大臣となった(26歳)。
1680年冬経と改名。
1682年、鷹司房輔が関白を辞職した。朝廷序列の順序を考えれば、左大臣である近衛基熙を関白に任命すべきであったが、霊元天皇は基熙を疎み、慣例を無視して右大臣の冬経を従一位関白・藤氏長者に任命するという異例の人事を強行した。
1687年には、年少の東山天皇の即位により関白から摂政に転じた。だが、霊元上皇が院政を開始した事によりこれに反対する幕府との確執が生まれ、上皇と幕府の対立が始まる。
1689年に天皇の成長に伴い再び摂政から関白に転じたが、1690年幕府と結んだ基熙に関白の座を追われた。

官位にしろ、官職にしろ、下のものから追われて座を失うこともあります。
社長、副社長、専務のようなのでも、序列は決まっていても、その序列とは別に、実権の強い弱いがあることも、時々はあります。
国王や天皇のようなものの場合には、実権をほとんど別の者に取られていることは結構多いです。

将軍と関白にしても、元々、別系統に属するものなので、どのような局面、状況、場面での、序列、権勢、実力が重視されるのかを考えないと、いけないでしょう。
実際の行政、徴税、規制、治安などの面で、江戸時代に、関白の役割、重要性ななどは皆無でしょう。
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