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今音楽家新聞でグスタフ・マーラーについて調べているのですがエピソードなど教えていただきたいです(* . .)))

A 回答 (3件)

彼の交響曲全て、テーマが、生と死、です。

ですから、ある批評家は、彼の交響曲全てを「埋葬交響曲」と言っています。大地の歌もそこに入れて下さい。特に、その曲の第一楽章の歌詞に注意してください。彼はニーチェの「大地の哲学」の影響を受け、死について語っています。ウィーンフィルの主席指揮者でしたよね。ですから彼の曲の、前提の音は、ベートーヴェンと同じ、ウィーンフィル国立歌劇場管弦楽団、及びウィーンフィルの音ですね。
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YouTubeで申し訳ないですがどうぞ。



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マーラーに関する書籍はたくさん出版されていますから、1~2冊読めばおおむね情報を入手できると思います。



たとえば

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私の知っているものは、「指揮者」としての話が多いですが。

(1) 1891年(30歳)でハンブルク歌劇場の楽長に就任したマーラーは、1892年にチャイコフスキーの歌劇「エフゲニ・オネーギン」をドイツ初演。作曲者チャイコフスキーが来訪したが、ドイツ語上演だったためチャイコフスキーはうまく指揮できず、指揮をマーラーに任せた。上々の出来で、チャイコフスキーはマーラーの指揮者としての力量を高く評価したとのこと。

(2) 1897年にマーラーはウィーン宮廷歌劇場の音楽監督となり、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世(1825~1899)に宮廷歌劇場で上演するバレエ音楽を依頼した。残念ながら、完成せずにシュトラウスは世を去ったようです。マーラーはヨハン・シュトラウスを高く評価していて、オペレッタを上演しないウィーン宮廷歌劇場で「こうもり」を上演することを計画していたそうです。これも残念ながら実現しなかったようです。

(3) ドヴォルザークの晩年の交響詩「英雄の歌」(1897年)は、マーラー指揮ウィーン・フィルによって初演されている。

(4) ウィーン宮廷歌劇場の職を追われたマーラーは、1908年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場の首席指揮者となる。ともに首席指揮者を務めたのはアルトゥーロ・トスカニーニ。

(5) 奥方アルマは、マーラー存命中から建築家グロピウスと不倫の仲となる。1911年にグスタフの逝去後、画家ココシュカと関係(ココシュカの「風の花嫁」は2人を描いたもの)を経て、同年グロピウスと再婚。1929年にグロピウスと離婚し、作家のフランツ・ヴェルフェルと再再婚。芸術家のミューズにして運命の女(ファム・ファタル)だったわけです。
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