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私は今、無神論者ですけど宗教を全否定してはいません。というか信じたい、すがりたい時が有ります。此処で宗教(何系かは不明)は(おそらく敬虔な信徒)と言う方に、貴方の信ずる宗教の教義を教えください。と尋ねたら宗教は、論理で信じる物ではなく、心で信じる物だと抽象的な返答でした。意味不明です。
宗教的に分かりやすく言うなら「迷える子羊を救う事も信徒の使命じゃないでしょうか?もしかしたら、その教義の言葉が、私の、琴線に触れるかもしれないじゃないですか?シンプルな言葉で言えないのでしょうか?
私間違っていますか?

A 回答 (12件中1~10件)

日蓮宗、法華経に服すれば全て救われる。



迷える子羊を救う(信徒を増やす)のに、教義は不要で、修行させれば救えます(信徒になる)。
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論理で信じる物ではなく・・・?


いいえ
真の宗教は論理的にも整合性が取れているものです

ドイツの有名な哲学者 ニーチェは
「仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です。
仏教は歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的に
ものを考える宗教と言っていいでしょう」
と言っています

内村内村鑑三は
「死のあるところ宗教はあらねばならぬ」
と言っています

トインビーは
「私は宗教こそは人間本性にとって必要であり、
不可欠な一部をなすものであると考えている」
さらに
優れた宗教を選択する大切さにまで言及している
「われわれは、何らかの宗教をもたないかぎり、人間ではありえません。
そこでなされるべき選択は、宗教をもつかもたないかの選択ではなく、
優れた宗教をもつか、劣れる宗教をもつかの選択なのです
と言っています

現在に必要な生きた宗教の条件は
①生命の復権。
②自由自在の主体性。
③すべてを生かす
④変化の信仰。
⑤智慧に生きる。
です
これこそ人生の羅針盤ともなる宗教です

劣れる宗教の邪見偏見に惑わされないよう注意しましょう



宗教は
①生命の復権を目指差ねばならない。
西洋近代の理性信仰に代わって、理性だけでなく、感情、直観、欲望等も含む全体的生命に尊厳を見出そうとするものでなくてはなりません。

人生のあらゆる経験を幸福境涯の確立のために生かす。
「仏界が基底の人生は、過去・現在の九界の生活を全部、生かしながら、
希望の未来へと進める」。過去・現在のあらゆる苦難を未来の幸福のために
生かしていく道を示していなければなりません


②自由自在の主体性を生かす。
理性よりも根本的な生命次元の主体性の回復により、何ものにも囚われない
自由自在の生き方を勧奨する宗教です。

すべての人を掛け替えのない人として尊重し、生かす。「あらゆる人を活かしていくのが、仏法」
人種、国籍、性別、社会的地位、宗教等、あらゆる外的側面を除去した生活者としての民衆をすべて尊極と捉え、生かす。教育の根本精神にも通じます。


③すべてを生かす
根源的な主体性に基づくことにより、生死、善悪、苦楽など、
二律背反的に現れる現象のすべてを無駄なく生かしていけるかです。

あらゆる思想を生かす。「歴史上の、あらゆる偉人の英知も現代に活かし、
実生活のうえに活かし、価値創造していくことができる」。東西の万般の思想、哲学、宗教を活用しながら、社会の繁栄のために活かすべき。


④変化の信仰でなければなりません。
人間が自身の宿命を真正面から受け止め、それを転換しゆく「人間革命」の可能性を信じ、そこに人間生命の尊厳観を見出す事が大事です。

仏法の八万法蔵をすべて生かす。「仏法では『序分・正宗分・流通分』、また『要・略・広』等と説きます。
そのなかに、一切の知識、一切の善論を包含し、時に応じ、状況に応じて、最も価値的に表現するわけです。
大海のごとく、『すべてを生かす』のが仏法です」。あらゆる一切経が法華経を説くための準備や法華経を広めていくための補助としての役割があって生かされるとします。

⑤智慧に生きる。
個人の幸福と社会の繁栄が両立することを目的として、そのためには
現実に即したあらゆる智慧を柔軟に生かしていくべき宗教である事です
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No.9です。


すみません。質問文をよく理解しておりませんでした・・・
なので、No.9の回答は無視してください。
申し訳ありませんでした・・・m(..)m
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宗教というか、「超越者を持つこと」とgoogleで検索をしてみてください。


https://www.google.com/search?q=%E8%B6%85%E8%B6% …

さまざまなメリットについてニーチェ、ヤスパース、カントなどの論文(pdf)が見つけられると思います。m(..)m
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私は、基本、神仏を拝して神仏に頼らず。


です。
日本人は、古くから、天照大神やら、伊勢神宮に赴き、二礼二拍手一礼などして、神々と通じてきました。

島根、出雲大社、九州は、太宰府天満宮、靖國神社など、、、

まあ、ほぼ観光気分ですw
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続き。



地獄に行くかどうかは、
その額や常習性に依ると思います。
必ずしも実刑判決だけぢゃありません。
情状酌量もあります。
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賽銭泥棒は、刑務所に行きます。

運が悪ければ……。
地獄は分かりません。
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この回答へのお礼

実は、私,ガキの頃よくしてました。刑務所に行ったも無いし多分、人より人生、好きなことしています。

お礼日時:2021/11/17 19:00

必要な時だけ、すがれば良いと思います。

 
その費用が、お賽銭です。
「困った時だけの神頼み」 です。

そうぢゃ無いと、
肩が張って頭が痛く成って来ます。
勿論、比喩ですよッ!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。飢え死にしそうな時に賽銭泥棒したら、その人は、バチが当たるのでしょうか?地獄に行くのでしょうか?

お礼日時:2021/11/17 18:49

神様にすがりたいと思う心が信仰心だと思います。



私も無神論者ですが、神社やお寺さんに行ったら、健康や幸せを祈ります。
お天道様に顔向けできなくなるような事もできません。
なんか、ホワッとした感じで不思議です。


実体のある宗教というものは「答え」をくれません。 …多分。
質問者さんが求めるのは、具体的に道を示してもらえるような…もしかしたら細木数子のような占い師の存在なのかも知れません。

商業施設の一角で構えているような「その時」だけで占い師さんならまだしも、顧問のように振る舞い、人生を狂わす例もあるので、安易に勧めたくはないのですけれどね…。

他人に道を示してもらいたいと願う人は意外に多い気がします。
だから昔も今も、精神の拠り所になるような者や組織が存在するのでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。宗教って矛盾の塊の様な側面も有りますよね。私も、いろんな宗教から勧誘?されましたけど、私を論破した人は、ひとりも居ません。

お礼日時:2021/11/17 18:44

すがりたい、なら、宗教は、向かないです。


心技体を更に強くする、とか、向上心、前向き、とか、ないと、続かないですよ。
年に一度元旦に初詣、困った時の神頼みでは、無理ですだw

そんなんで、願い叶うなら、誰も死なないし、病いにならないです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。しかし、ほとんどの人が、すがっているじゃないのでしょうか?私は、自分の力しか信じませんし、初詣なんて行った事ありません。

お礼日時:2021/11/17 18:32

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