近・現代史にお詳しい方にお尋ねいたします。
なぜ、日本はアメリカを相手に太平洋戦争をしなければならなかったのでしょうか?言い換えれば、当時の日本を支配していた軍部首脳はなぜ、大国アメリカに戦いを挑んだのでしょうか?
数年前に初めてニューヨークを訪れて以来、そのことがわかりません。エンパイアステートビルディングなど、空をも貫くようにそびえ立つ摩天楼の多くは、既に20世紀の初めから建設されていたはずです。あれを見れば、当時の日米の国力の差は歴然としていたはずです。子犬が巨象に挑むがごとく、あのアメリカに正面から戦をしかけるなど、私には全く理解できません。現に、真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官の山本五十六は十分に国力の差を承知していました。「アメリカの国力を知りたいならば、デトロイトの自動車工場を見れば一目でわかる」とまで言っておりました。山本五十六は大正から昭和にかけて何度かアメリカに勤務した経験があったからだとは思いますが。
それとも、当時の軍首脳たちは全くアメリカの国力を分析することなく、戦争になれば元寇のような神風が吹くから必ず勝てる、とでも信じて開戦に踏み切ったのでしょうか。もしそうならば、「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という孫子の兵法も知らなかったこととなり、敗戦は当然の結果となりましょう。ちなみに、開戦時の首相東条英機は訪米の経験がなかったようです。たしかに、国連脱退による孤立、ABCD包囲網、アメリカからの石油の禁輸など、日本に対する国際状況は日増しに厳しくなっており、日本としてもやむを得なかったのかもしれません。
しかし相手が資源豊かな大国であることを考えた場合、どう見ても無謀な戦いであったような気がしてなりません。太平洋戦争はどうしても避けられなかったのでしょうか?
ご存知の方は、どうか私の素朴な疑問にお答えくださるようお願い申しあげます。
No.17ベストアンサー
- 回答日時:
日本という国には、資源がありません。
工業用原料も無いし、我々国民の食糧も、米を除けば無いわけです。だから、国民の生活資源も、産業・工業用原料も含め、あるいは石油も含めて、1億2千万人が生活していくのにどうしても必要なのは、船のトン数にして6億トン。これだけの資源を海外から買ってきて、そして国民が一生懸命働いて、これを製品にして、別の表現をすれば付加価値を付けて、そして輸出をしているわけです。6億トンの資源を入れて、ソロバンを合わすためには、6000万トンを輸出しなければなりません。
それは戦前も同じでした。そして、この代金の決済には外国に置いてある資産(ドル)で行われるのです。
しかし、昭和16年7月25日アメリカは『在米日本資産の全面凍結令』を公布し、続いて26日にはイギリス、次いで27日にはオランダ・香港も日本の在外資産を全面凍結しました。
在外資産の凍結を受けると、日本には石油が1滴も入ってこなくなります。いや、石油だけではなく食糧、工業用原料一切が輸入できなくなります。これらは、在外資産(ドル)を持っていて初めて買えるわけですから。
言葉を換えて言えば、日本はアメリカに『死ね』と言われたのです。江戸時代のように2千万の人口だったら自給自足もできたかもしれませんが、戦前の日本の人口は8千万で外国からの輸入なくしては生きていけません。
戦後、日本が戦争に突入した理由をマッカサーは『安全保障』だったと言い、東京裁判のパール判事は、『ハル・ノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクでも矛(ほこ)を取ってアメリカに立ち向かうだろう』と言いました。
それでもまだ、日本は基本的には『和』を目指していました。8月5日に、日米関係の危局を打開するために、日本は仏印(フランス領インドシナ)以外の領域には進出しない、米国比島(フィリピン諸島)の中立を保障する、米国との正常な通商関係を回復する、など新たな提案をアメリカに対して行っています。
そして、その2日後の8月7日に近衛首相は天皇に拝謁をして、『アメリカへ行ってルーズベルト大統領とトップ会談をして、事態の打開を図りたい』と申し上げて、許可を得て、アメリカに向かいました。しかし、トップ会談は拒否されたのです。
9月6日の御前会議では、結局『和』と『戦』の両用の決定が下されました。それは、10月までに日米交渉がまとまらなかったら、改めて、対米開戦を検討するというもので、対米交渉の色々な条件が決められました。そして、昭和天皇は、『対米交渉の努力をもっとやれ』と実質的に『和』の方の決定を下されたのです。
当時、戦の準備で一番時間がかかるのは、海軍の連合艦隊でした。日本の連合艦隊は、戦艦大和をはじめ約130万トンの艦隊兵力を擁していて、世界第二位でした。戦争をするとなると、それらがみんな横須賀や呉や佐世保のドックに入って、人間ドックのようなことをやらなければならない。それに、戦艦の大砲もみんな新しいものに取り替えなければならない。それまでは平時の大砲で、それだって撃てなくはないのですが、いざ戦争となった時には取り替えることになっていて、それを海軍では、出師(すいし)準備と言い、二ヶ月ぐらいの期間を要しました。
海軍の出師に対して、陸軍は動員と言い、これは人と鉄砲と馬さえあればできるので、海軍よりもはるかに早くできました。
11月に入った26日、国務長官のハルが野村・栗栖大使に有名な『ハル・ノート』を渡します。このハル・ノートに書かれていた事は9月初めの要求と全く同じで、三国同盟からの脱退と中国大陸からの全面撤兵、それに満州国の解体でした。
このハル・ノートの全文を見て、政府と大本営は協議を重ねた結果『開戦止むなし』の結論に達し、12月2日の御前会議で開戦の正式決定がなされました。
これが日本が戦争に突入した理由と直前の状況です。早い話『窮鼠猫を噛む』と言うか、だまっていても、飢え死にだし、それだったら少しでも可能性のある方にと言うことです。だからアメリカとの戦争計画なんて無いし、慌てて突入せざるをえなかったのです。(まとめれば数行ですむことを長々と書いてすみません。)
ご回答ありがとうございました。
具体的な数値により詳細な開戦理由を示していただき感謝申しあげます。
歴史のIFを論ずるのはナンセンスかもしれませんが、
もし昭和天皇とルーズベルト大統領のトップ会談が実現されていたならば対米開戦はなかったかも・・・などとつい考えてしまいます。
No.20
- 回答日時:
#14氏と同じです。
当時のアメリカは第一次大戦の反省から孤立主義をとっており、国民の間にも厭戦ムードがもともと高かったので、英ソの降伏と、ハワイ攻略、南洋ビスマルク諸島攻略による米豪分断、さらに艦砲射撃によるアメリカ西海岸攻撃を行なえば日本に有利な条件での停戦に応ずるはずだと考えていたようです。アメリカ通であった山本五十六の「それは是非やれと言われれば、初め半年や一年は随分暴れて御覧に入れます。」という言葉の裏には、このような作戦計画があったのです。
この作戦+停戦のためには開戦する為の大義名分が必要なため、山本五十六は宣戦布告による開戦を強く主張していましたが、政府の人間やその他の軍人は奇襲攻撃による効果を重要視し、対米戦における宣戦布告の重要性を十分認識していなかったようです。結果としてハワイ奇襲攻撃にアメリカ世論は怒り狂うこととなり、この緒戦で日本の目論みは消え去ってしまったといえましょう。
ご回答ありがとうございます。
ワシントンで対米宣戦布告文書がアメリカ側に手渡されたときには、既に真珠湾奇襲がなされていました。
早期停戦をねらった山本五十六のもくろみは残念ながら外れてしまった訳ですね。
No.19
- 回答日時:
もう大体出ていますが、一応追加しておきましょう。
僕がhttp://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1268218の#7で答えていますが、ここにも転載しておきます。
↓
なぜ戦争が起こったか?
当時の日本には敵国であった側の人間、マッカーサーの戦後(昭和26年)の発言を見てみましょう。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_ …
----------------------------------------------
その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けてゐる時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。
これほど巨大な労働力を持ってゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです』
(小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より)
----------------------------------------------
敵国だった人間の立場から見ても、日本が戦争に飛び込んでいった理由は「日本の安全を確保するため」だそうです。
開戦に踏み切った動機にはこういうものもあります。
-----------------------------------------------
永野修 軍令部総長
「米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。だが、
戦わずしての亡国は魂を喪失する民族永遠の亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活を見出し得るであろう。
戦ってよし勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば
われらの子孫は再起、三起するであろう。」
------------------------------------------------
この言葉は、アジアの植民地を見ていた時代の人の言葉であり、アメリカは先住民族を虐殺してきた国であるという経緯を見て考えるべきです。さらに、李氏朝鮮~現代の南北朝鮮の有様をみれば、人任せにしたり、他国に迎合するのがどんな事態を引き起こすのか明確でしょう。
さらに、話題に出てきているハルノートですが、これもやはり東京裁判の判事パール博士の言葉によると
-----------------------------------------------
ハル・ノートのようなものを突きつけられたら、小国のモナコやルクセンブルクであってもアメリカに立向うだろう
-----------------------------------------------
http://kiyo701.cool.ne.jp/kiyo/labo/020224/02022 …
というほど苛烈なものでした。
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-keii3.h …
日本は膨張思想を持つ強国ソ連、さらに共産主義を恐れていました。当時は朝鮮半島は日本であったため、ここでソ連と国境を接するわけには行きません。ですからハルノートに書かれているような満州からの撤退などというものは飲むことが出来ませんでした。まして、ハルノートには日本の願っていた石油輸出再開という文字はなく、「満州から撤兵すれば交渉の席についても良い」という、これまでの外交関係を根本から否定するものでした。
#もっとも上記サイトにはハルノートを受諾した後こうすればよかった、と書いてありますが……すべて過去のことで、見通しがついている現代だから言えることだと思いますけどね。
さらに、上記サイトにも書かれているように、アメリカはドイツ戦線に加わりたかったのです。しかしアメリカにはモンロー主義という孤立主義が蔓延しており、このために動くことが出来ませんでした。
しかし日本の攻撃と宣戦布告に対してアメリカが動き出し、三国同盟を理由にドイツ、イタリアはアメリカに宣戦布告をしました。アメリカの狙い通りになったわけです。
また、極東利権をめぐって日本と対立していたアメリカは、中華民国国民党を支援して、正規軍のブラックタイガー部隊を航空義勇軍として国民党に派遣していました。これは現在も過去も変わらず国際法違反と言え、アメリカの身勝手さがわかります。
これだけでなく、白人至上主義であったこのころ、有色人種として力をつけてきた日本が非常に目障りであったことも確実です。実際に、第一次世界大戦のあと、国際連盟の規約作りの席上で人種差別撤廃を日本が訴え、賛成多数であったにもかかわらず、議長であったアメリカのウィルソン大統領が満場一致でないことを理由に却下しています。もちろんこれまではそんな理由はあげられたことはありませんでした。
このあたりのくだりは定番ともいえますが、これをみてください。
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-1.h …
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-2.h …
http://www31.tok2.com/home2/teiteitah/emp_jp-3.h …
また、上のほうに少し書きましたが、日本の戦いは共産主義に対する自衛行動が大元です。これは、大東亜戦争の後、アメリカが取った行動を見ればたやすくわかります。
すなわち、なぜアメリカは朝鮮戦争に臨んだか?
ソ連の支援を受けた北朝鮮が南下してくれば、貧しい韓国は滅亡します。そうするとソ連は北朝鮮という手下によって、不凍港を得ます。しかし太平洋に出るには日本で分断されています。朝鮮半島最南端からならば日本にたやすく攻め入ることが出来ます。日本に米軍がいなければ、ソ連は南下して日本を手中に収めたことでしょう。こうなれば、ソ連は太平洋に自由に出ることが出来るようになり、アメリカは強力なソ連と国境をはさんで対峙することになります。そして恐るべきことに、ソ連は実際に1945年8月15日に立ち止まらずに、9月初頭まで樺太から南下して、北海道に向かっていました。だからアメリカは日本を護らなければならなくなりました。そしてそれを達成するには少なくとも韓国は自由主義陣営でなければならない―。こうして冒頭のマッカーサーの発言に繋がります。アメリカは日本を焚きつけ、戦争に勝利してしまったために、日本がやろうとしていたことまで自分でやらなければならなくなってしまいました。
さらに、ハルノートを渡したのはコーデル・ハルですが、作成したのはハリーホワイト財務省次官補です。そして後にわかったことですが、この次官補はソ連のスパイでした。
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/halnoteret …
そして、この戦争で誰が得をしたか?
得をしたのはソ連とその後政権を取った中国共産党です。
No.18
- 回答日時:
日本とアメリカは、第一次世界大戦後あたりから、中国の権益について対立していました。
(大戦中に、日本は中国にかなり進出しました)
日本が中国に進出するのを警戒していたアメリカは、ことあるごとにこれを阻止しようとし、一次大戦2年後にはワシントン会議を主催します。この会議では中国の主権尊重が約束されたり、日本の主力艦保有量が制限されたりしました。
アメリカは、徐々に日本に圧力をかけてきて、3国同盟(日独伊)の離脱を迫ったり、生活物資や鉄などの禁輸措置を取ったりしてきました。
その後、日本と中国との間で戦争がはじまります。
当時中国は国民党と共産党に分裂していましたが、アメリカは国民党の蒋介石を援助します。
短期決戦を狙っていた日本ですが、アメリカの援助か続く限り戦い続けねばならず、苦しい立場に追い込まれます。
それでも日本は、どうにかしてアメリカとの戦争は避けたく、粘り強く交渉し続けます。
その経緯は#17さんに詳しいです。
しかし、アメリカはあくまでも中国大陸からの全面撤退を求めましたが、到底受諾できるものではありませんでした。そこで開戦となるわけですが。。
>子犬が巨象に挑むがごとく、あのアメリカに正面から戦をしかける
何も無い状態で1対1で戦争をするのではありません。
3国同盟もあったし、何より、日本は東南アジア諸国に親日政権を発足させ、これらが一丸となって欧米列強の侵略から開放という目的もありました。
また、軍人もまともに戦ったって勝てないと言う事は分かっていました。
そこで主戦派は、東南アジアを占領して、そこの油田を確保し続ける事によって戦争の継続が可能であると主張しました。
また、短期決戦に持ち込み、大きなダメージを先に与えておいて、日露戦争のように有利な講和条約を結ぼうとしたのです。
私が思うに、アメリカは中国の利権が自らも欲しいために、どうしても戦争したかったんですが口実がありませんでした。そこで、どうにか日本に先制攻撃を仕掛けさせたくて、絶対に日本が拒否するような要求をしてきたのだと思います。
>当時の日米の国力の差は歴然としていたはずです。
だから日本も、最後の最後まで戦争回避の方向にもっていこうと交渉を続けたのです。
しかし、生命線と言われた満州からの撤退など到底できるはずもありません。
歴史に「もし」はありませんが、日本が中国全土から完全撤退しても、中国は欧米列強の餌食(植民地)になるし、そうなったら日本はどのように本土を守るのか。その時また圧力がかかるのは目に見えてます。
ですから結局は開戦せざるを得なかったのです。
無謀に戦いを挑んだ、というのとは少し違う気がします。
ご回答ありがとうございました。
日本も彼我の差は認識しており、それなりの見通しを持って開戦に踏み切った、ということでしょうか。
アメリカは、日本が対米戦争をせざるを得ないようにしむけた、というならば、その深謀遠慮には空恐ろしさを感じてしまいます。
No.16
- 回答日時:
>日本としてはやむを得なかったかもしれません。
「日本としては」という言葉をほかの何かに変えて考えてみてください。
国際連盟脱退は、中国戦線拡大は、南進政策は、バブル崩壊は、銀行に税金をつぎ込むのは、西武の堤さんが政治家に多大な影響を持っていたのは、原爆投下は、東京大空襲は、沖縄での地上戦は、NHKが政治家に報告に行くのは、、、、、、、、
歴史上のどこかで、日本人がこの考えを捨てられたら戦争も避けられたでしょう。
国家としてどんなに優れた分析を駆使した戦略や戦術を立てても、何かあるたびにやむを得ない実行をしたり、そういう思考方法をとっていれば、破綻するのは見えているのですが、破綻してもこの思考方法が日本人にあっているのか、思わされているのか。
トップの人間ほどこういう思考方法を堂々と外国に向かって言うのですから、向こうはある戦略をゆっくりとじっくりと実行に移せば楽勝でしょう。ましてアメリカが相手では。
No.15
- 回答日時:
>「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という孫子の兵法
明治時代の政治家はこの事を十分熟知しており、日本の国力と相手の国力を十分に比較し、勝つための根回しをしてから戦争をしました。
例えば日露戦争ではロスチャイルドから戦費を調達し、ユダヤ人の情報網を使ってロシアの動きを探り、共産主義者などとも渡りを付けてますし、その前の日清戦争でもしたたかな外交交渉をしております。
ところが昭和に入るとこうしたしたたかさが無くなり、組織が硬直してきます。
組織の硬直でよい例はミッドウェー海戦で、航空戦のプロの山口少将の進言を南雲中将は撥ね付け大敗を喫しますが、そもそも時代遅れの艦砲射撃しか理解できない指揮官に空母艦隊の全権を任せるのがおかしな話しで、この頃になると軍も適材適所から年功序列になってしまい、自分の不利な状況には耳を塞ぎ、有利な情報は過大に聞くという、あってはならない組織になります。
さて開戦の直前、戦争回避を目的に「毒をもって毒を制する」例え通り、開戦の急先鋒東条英樹が首相になります。
彼は全力で講和の道を探りますが、既にそれは出来ないところまで来ており、陸軍は楽観論から戦争に突っ走り、ブレーキを踏みたい海軍も「仮想敵国英米に負けない戦力を」と予算を分捕った手前、反対できません。
もしここで気骨のあるリーダーが、事が成ったら自決すると決心してブレーキを踏めば或いは・・・という事もあったかも知れませんが、戦争に向かう巨大な組織の前に踏み潰されるのを覚悟で立ちふさがることも無く、開戦になってしまいました。
彼我の比較もしてませんから、落しどころも無く、勝つための根回しも無く、無謀としか言いようがありませんが、巨大な流れになってしまったのでしょう。
ご回答ありがとうございました。
軍部の組織硬直化が日米の国力差の分析を怠り、実戦でも敗北に至ったというご指摘は全く同感です。
なお、開戦に反対だった昭和天皇が、あえて開戦積極派の東条英機を首相に据えることにより、戦争回避を
図ったことは私も最近になって知りました。
No.14
- 回答日時:
開戦の原因はわかってるようですので、勝因がなしで戦ったのかどうかで答えます。
日本のトップの人間もアメリカと1対1で総力戦で戦った場合は勝てるとは思ってはいなかったようです。
勝つ方法として、アメリカの降伏ではなく和平を想定していたはずです。
そのためには、
1.ドイツがソ連・イギリスを降伏させる
2.アメリカ国民の戦争への大義名分を無くし厭戦気分にさせる
によって、勝利できると思っていたはずです。
ですから、ドイツが強かった時に強行姿勢になりそのまま戦争になりました。
最初から、ドイツが負けていたら日本も大陸から撤退していたはずです。
他国任せの戦争ってのもかなり問題だとは思いますけどね・・
今の政治家と変わらないなぁ
ちなみに、ミッドウェーからのハワイ攻略作戦、また風船爆弾なんかは厭戦気分を起こす為の作戦だったようです
ハワイ攻略なんかは逆効果っぽいが・・
No.12
- 回答日時:
「我々日本人は、西洋人や中国人と違い、
損得の算盤勘定で行動する民族ではない。
力づくや金づくでは、どうにもならない国もある
事を思い知らせてやるべき。」
当時の新聞、雑誌を読むと、開戦派の論調は、
上記のような感じでしたね。
一方、開戦反対派は以下の如しです。
「裕福な生活に慣れたアメリカ人は、
坊ちゃん育ちで、戦争もできない根性なしだ、
なんて言うのは、希望的観測に過ぎない。
大和魂で勝てる、と言うなら、
アメリカにも建国以来の
フロンティアスピリットがある。
開戦派は現実が見えない、意地っ張りに過ぎない」
結局、開戦したのですから、当時は
「命とられても譲れないものがある」
と信じていた人が多かったのでしょう。
今の日本とは正反対なスタンスですから、
理解できないのも道理だと思います。
まあ、開戦しなくても、経済封鎖で、女子供の
命は無かったでしょうけでどね。
(イラクをみればお分かりでしょう)
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