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1. 神は 有ると無いとの重ね合わせ状態で 人間にあらわれる。

2. すなわち 普遍神は 《有る神》と《無い神》とのふたつの姿が重ね合わさった状態で個々の人の前にあらわれる。

3. われなる人は いづれか一方の形式で神とカカハリを持つ。

4. どちらをえらんでも自由だ。良心・信教の自由。

5. 《有る神》派と《無い神》派とは 互いに対等・同等であり 自由に同時に成り立っている。

6. この自由を乱すのは 〔オシへを――あろうことか――神だとして説くところの〕宗教だ。

6-1. 無神論も 宗教に成り得る。

☆ コメントを惜しみなく述べてご教授ください。

質問者からの補足コメント

  • №3つづき1

    ★ 5.2 その謙虚な科学的態度としての有る神派と、非科学的態度(人間=可能無謬など)としての無い神派は非対等ではないですか?
    ☆ 無い神派は 絶対者と相対存在とのカカハリとしてのみ――そのマイナスのかたちで――信仰を持つ場合です。あり得ます。前者は 前項で否定しました。


    ★ 6  宗教はたいてい、自分は神だ派、かれは神だ派ですか
    ☆ オシへ――人知のおよぶ――を神として説く場合は 信仰ではありません。

    《自分は神だ》を神観としてかかげるなら 自己の主観内のみで生じます。
    その神観をオシへとしてあがめなさいと説くなら たしかに〔無効で不法行為となる〕宗教です。


    ★ 6.1 宗教を信じる=宗教(が教義において想定する神仏など)を信仰する=有る神派ではないですか?
    ☆ 神仏――しかもその呼び名のみ――を条件なしで受け容れるのは 信じるです。


    つづく

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/03/30 19:08
  • №3つづき2

    ★  6.2 普遍神論も宗教になりえませんか?
    ☆ なり得ますか?

    ★ 6.3 普遍神信仰=真、宗教信仰=偽なら、普遍神信仰が宗教に毀損される・乱される・汚されることは、普遍神論的見地からは、ありえないのではないですか? 
    ☆ 《宗教信仰=偽》ではなく げんみつには 《宗教》と《信仰》とがつながらないのです。


    ★ 6.4 有る神も、無い神も、偽の神(宗教が掲げる神、普遍神観と一致しない神観の神)さえもみな神であるとみなすことは妥当で、かつ中道的でよいのではないでしょうか
    ☆ 概念から自由にたとえば《イワシノアタマ》という名を神としても かまいません。そういうふうに理解してください。


    つづく

      補足日時:2022/03/30 19:09
  • №3つづき3

    ★ 6.5 政治や戦争回避とうに中道は肝要で、特定集団たとうば宗教を否定することは彼我の原理主義的狭量さによる対立をもたらしませんか?
    ☆ 《信じる:神とわれとのカカハリ》は 主観内における言わばタテの関係であり 《オシへを介しての結社》は 主観どうしの外なるヨコの関係です。

    組織宗教は 信じる神をオシへと取り換えた寝技です。

    宗教の会員が 集団と別に個人として何らかの信仰を持っていることはあり得ます。


    つづく

      補足日時:2022/03/30 19:10
  • №3つづき4

    ★ 7  えんけいりぢおんという書名は、遠景にみえるかつての信仰という意味ですか?
    ☆ 手引き・入門といった意味だと思います。


    ★ 7.1 村際政治や官僚制批判なども盛り込むとより内容ゆたかになると思いました
    ☆ それはそれは。あっ。官僚制批判は くわしくありません。

    ★ 7.2 左派は負けがこんでるのでがんばってください。できればTwitterもしましょう
    ☆ そうですね。党派は出来るだけ避けているのですが。

    もっとも権力を回避せよという方針ではないので 言うなれば無手勝流で政党活動にもです。民主自由会議とでも。

    (言いたいことは 右よりも右 左よりも左になることあり です)。

      補足日時:2022/03/30 19:12
  • №4つづき1

    特殊絶対性は 或る主観が普遍神という正解へとたどる道を求めてそこに言わば補助線を引いたその線なわけです。

    普遍神論が 宗教に成り得るのではなく 神観すなわちすでに思想となったオシへが 宗教へと変身させられて行きます。


    ★ それは信者兼信仰者のように、信仰と非信仰と宗教と非宗教の重ね合わせ状態であらわれえます。
    また部分的に宗教の教義の一部にもされえます。
    ☆ 【Q:神とわれとのタテの関係は われどうしのヨコの関係とどう違うか?】を挙げました。


    つづく

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/03/31 15:12
  • №4つづき2

    ★ 7  エピクテトス『エンケイリディオン(提要)』が書名の元ですか
    ☆ ええっと。たしかアウグスティヌスに『エンキリディオン』があったと思います。


    ★ 7.1 官僚制批判はアマテラス/スサノオ由来の権力勾配批判です
    ☆ ええ。そういった自分の視点では視野におさめていますが 実際の実情について疎いです。


    ★ 7.2 超極左から超極右まで認めるのは中道的です
    ☆ ほおお! ブラボー。

      補足日時:2022/03/31 15:13

A 回答 (4件)

疑問が10あまり湧きました。


1と2 量子論ぽい装いにしましたか? すると知の欺瞞めきます
3  両方の形式で関わることはありますか?
4  信教の自由は宗教を信奉する自由ですか?
4.1 信じるは待つや受け取るのような能動かつ受動態ですか?
5  有る神派は現人神信仰(天皇教など)を含みますか?
5.1 科学的態度(人間=絶対未満なものとして真理を追求)は普遍神信仰ですか?
5.2 その謙虚な科学的態度としての有る神派と、非科学的態度(人間=可能無謬など)としての無い神派は非対等ではないですか?
6  宗教はたいてい、自分は神だ派、かれは神だ派ですか
6.1 宗教を信じる=宗教(が教義において想定する神仏など)を信仰する=有る神派ではないですか?
6.2 普遍神論も宗教になりえませんか?
6.3 普遍神信仰=真、宗教信仰=偽なら、普遍神信仰が宗教に毀損される・乱される・汚されることは、普遍神論的見地からは、ありえないのではないですか? 
6.4 有る神も、無い神も、偽の神(宗教が掲げる神、普遍神観と一致しない神観の神)さえもみな神であるとみなすことは妥当で、かつ中道的でよいのではないでしょうか
6.5 政治や戦争回避とうに中道は肝要で、特定集団たとうば宗教を否定することは彼我の原理主義的狭量さによる対立をもたらしませんか?
7  えんけいりぢおんという書名は、遠景にみえるかつての信仰という意味ですか?
7.1 村際政治や官僚制批判なども盛り込むとより内容ゆたかになると思いました
7.2 左派は負けがこんでるのでがんばってください。できればTwitterもしましょう
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 1と2 量子論ぽい装いにしましたか? すると知の欺瞞めきます
☆ 《超経験として 有る無しという経験事象を超えている》という内容を――そのことはもうここ数年言って来ましたから―― 《ぽい装い》でくるんでみました。

いえ 実際には書いたあとそう気がついたのですが おそらく量子論にはくわしくないので 違っているだろうと思うのですが 《っぽい》のですか?


★ 3  両方の形式で関わることはありますか?
☆ それは あるとしたら 普遍神という呼び名のまま受け容れる場合です。

でも 生活のにおいがなくなっている感じがします。


★ 4  信教の自由は宗教を信奉する自由ですか?
☆ 宗教は 信仰によって得られた神観からその内容を体系化したものをオシへとする場合です。

信じるのは 神をであり オシへといった思想をではありません。したがって 個人の主観における信仰と集団をなす人びとのオシへをめぐる活動とは――その活動がオシへを神として絶対視するなら―― すでに何の関係もなくなっています。


★ 4.1 信じるは待つや受け取るのような能動かつ受動態ですか?
☆ 《人知を超えた超経験なるものを 無条件にわが心に受け容れること》が 信じるです。そのあと 動態としてつづきます。

★ 5  有る神派は現人神信仰(天皇教など)を含みますか?
☆ 神は 《超経験》ゆえ経験事象を持ってくるのは 一般ではなく 特殊な神観となります。

絶対性は 相対存在たる人間をつつむようにふくみ得ます。それゆえ 第一次一般からの第二次の信仰のあり方として その神を 人間に当てる場合があり得ます。

ただし 神なのかどうか証明し得ませんので その人の主観内でのみいだくことができます。


★ 5.1 科学的態度(人間=絶対未満なものとして真理を追求)は普遍神信仰ですか?
☆ 《科学》が 神を受け容れるとき条件をつけるなら 信じるの定義には当てはまりません。


つづく

お礼日時:2022/03/30 19:07

だいたい納得しました。


1と2 詳しくないですが量子論的です

3 有神無神両立生活に生活のにおいがないのは、有神や無神に比べて、神観から得られる生活態度があいまいだからかもです。
神観以外に生活態度や畏れの根拠を持つと整いや活力がえられるかもです。
個人的には不特定な有神観で無宗教です

5 第二次の神々は多様な価値を社会に供給します。天皇や宗教も伝統芸能としての価値がありファンがいます。国名や戦争や軍人や学問にも

6 普遍神論は有神論の排他性を減らせますが、神観を充分に整理すると、人にとっての神のアウトラインが既知化してしまい、畏れや信仰心が減りませんか?

6.2 普遍神論は宗教を信仰と認めないものの、神観や信仰観を並列的に共有することが可能なので、宗教になりえます。
それは信者兼信仰者のように、信仰と非信仰と宗教と非宗教の重ね合わせ状態であらわれえます。
また部分的に宗教の教義の一部にもされえます。

7  エピクテトス『エンケイリディオン(提要)』が書名の元ですか
7.1 官僚制批判はアマテラス/スサノオ由来の権力勾配批判です
7.2 超極左から超極右まで認めるのは中道的です
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

★ だいたい納得しました。
☆ すごいなぁ。きょうは もうひとつ別の質問でも 納得してもらって赤飯デーですな。Thanks.


★ 1と2 詳しくないですが量子論的です
☆ シュレーディンガーとか よく分からんのです こちらは。


★ 3 有神無神両立生活に生活のにおいがないのは、有神や無神に比べて、神観から得られる生活態度があいまいだからかもです。
☆ おそらく。そして わたしの感覚からすると やっぱり苦しい時の神頼みと言われるように その苦しいとき 《神は有る》か《神は無い》かどちらかを人はえらぶんだと思うからです。


★ 神観以外に生活態度や畏れの根拠を持つと整いや活力がえられるかもです。
個人的には不特定な有神観で無宗教です
☆ 無宗教ないしアンチ・シュウキョウまたは《宗教は論外》説 であるのが 常識になると思います。

生活態度は 思想です。思想が 生活態度です。つまり 信仰の手前で人知・自力による生きるとして踏ん張るんでしょう。

もっともその信念のごとき心情は 非思考の庭(=信仰)において得られるヒラメキからそれを解釈して受け取ったものかも分かりません。


★ 5 第二次の神々は多様な価値を社会に供給します。天皇や宗教も伝統芸能としての価値がありファンがいます。国名や戦争や軍人や学問にも
☆ まぁ そうなんでしょうね。つまり 他人(ひと)にそれを信じなさいと説かなければ――組織宗教にならなければ―― ナラハシとしてあり得るでしょうね。


★ 6 普遍神論は有神論の排他性を減らせますが、神観を充分に整理すると、人にとっての神のアウトラインが既知化してしまい、畏れや信仰心が減りませんか?
☆ ん? 《神観を充分に整理すると》 余計なアウトラインは棄てられるのではありませんか?

感性の原野や思考の緑野とそれらを超えた非思考の庭――つまり信仰心――とは ごっちゃにならないはずですよ。


★ 6.2 普遍神論は宗教を信仰と認めないものの、神観や信仰観を並列的に共有することが可能なので、宗教になりえます。
☆ 神観はすなわちこれをわたしは 特殊絶対性と呼んでいますが いかんせん一般絶対性ではないのです。

一般絶対性は 普遍神をブラフマンとかヤハヱーとか個別の名前に呼び換えたものです。

つづく

お礼日時:2022/03/31 15:11

好き勝手に結論を乱発するのは自由ですが


何を根拠に言っているのか分からない

例えば、聖書のどの一説に何と出ているのか
神学者や哲学者の誰が、どのように言っているのか
ぐらい、書き足してほしい

でなければ
ただの思い付きか、寝言か、暴言か、と思われます
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この回答へのお礼

良心・信教の自由。


ご投稿をありがとうございます。

お礼日時:2022/03/30 07:51

わたしは神は居ない派ですがとても心に響きました。


有り難うございます。、
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この回答へのお礼

あぁ それはそれは。


ご回答をありがとうございます。


二度目の質問なのですが 反応が薄かったものですから 挙げました。


自由に対等であらんことをと思います。

お礼日時:2022/03/30 05:20

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