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太平洋戦争時、当時の子供が米軍からチョコレートやガムを貰った、と聞いたことがあるのですが、アメリカ人が普通に日本人が周りにいる街を歩いたり、話したりして共存していたのですか?

質問者からの補足コメント

  • 皆さんご回答いただきありがとうございました!

      補足日時:2022/09/22 08:55

A 回答 (8件)

進駐軍と言って、町に不穏分子いないか見回りのMPもいたし、


非番の兵隊が、遊びにマチブラしたりしたのですが、
敗戦直後の日本は超貧乏で、ほとんどが痩せこけて芋も
食えないほどだったので、

子供がやっと覚えた「ギブミー、チョコレート」が流行りました。
子供が群がり、大喜びなので、面白がって、くれたようです。
戦争末期は、子供に飴一つない時代が数年、続いていました。

戦後間もないころの給食
https://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/201 …
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GHQは占領統治のための進駐軍ですから、最大40万人の米兵が町の治安維持をしていました。


今の在日米軍は5万人規模であり、基本的に基地内で暮らしていますから。
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戦後はそうでしょう


子供が ギブ ミー チョコレート って覚えて、米兵を見かけたら言って貰えた時代
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それは、敗戦後の話ですね。


戦争中だと、米国人は普通に日本の街を歩けませんからね。
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戦後の話ですね。

戦争半ばには誰も街中を歩いていませんて敵兵ですから
鬼畜米軍と呼ばれてました。
駐屯地があちこちにあって休日は観光していました。
うちにも遊びに来たことがあります。
移動の時はトラックの荷台などに乗って
止まっているときに下から頂戴というと投げてくれたそうです。
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はい。

"共存"は少し違いますが、
「統治する」とはそういうことです
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そうですね。


結構、小さな町や村まできてたようで、
そこでチョコレートやお菓子配ったのは確かです。
わたしの親などもチョコレートを貰ったと喜んでいましたよ。
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いわゆる進駐軍ですね。


町の見回りも大切な仕事だったんですよ。
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