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格助詞「に」の理解に対する誤りについては、

格助詞「に」の意義とは何か-機能主義言語論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comment_count=8&comm …

で、現在の日本語論の根本的な誤りを指摘しておきましたが、未だに、

〈場所を示す「に」と「で」〉
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1210. …

「に」について学研国語大辞典は次のように簡潔な注釈をしている。
《動作・作用が存在し、成立し、由来し、おもむくところ(=時間・空間・心理上ノ静止点)をそこと指定し、連用修飾句を作るのに用いる。》
筆者の杉村泰氏は、
《全て〈着点〉という一つのプロトタイプ的意味に還元することができる》
と述べている。
https://blog.goo.ne.jp/hakowin1/e/b9ccf90274363a …

など、混乱した説明をされている事例が散見されます。特に、「連用修飾句を作るのに用いる」などというのは全くピント外れの現象論と言わなければなりません。話者が「連用修飾句」など意識し使用する筈がありません。

こうした学界、素人や辞書の誤った解説、教育のため学習者も混乱し下記のような指摘があります。

格助詞「にJ「で」の誤用研究
~タイ・中国の日本語学習者を対象に~
https://core.ac.uk/download/pdf/236638885.pdf

第二言語の文法習得-格助詞ニを中心として
http://lg.let.kumamoto-u.ac.jp/ariake/03-02.pdf

岡田, 美穂
【中級レベルの日本語学習者における場所を表す格助詞「に」の習得に関する研究 : 中国語を母語とする学習者を対象として】
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_m …

しかし、これらの論文も≪場所を表す格助詞「に」≫と云う当方が指摘する初歩的な誤りを全く克服することができていません。本当に日本語が理解できているのか?というレベルです。

このような現状を諸賢はどのように理解されるのでしょうか?

忌憚の無い御意見をお伺いしたいと思います。

質問者からの補足コメント

A 回答 (36件中31~36件)

>言語はどんな矛盾を含んでいるか : 【8】 言語は社会的な規範を必要とする


>https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9942
>を正しく理解しましょう。

ラングがないならどうやって日本語を話せると妄想してるのか説明してる部分がどこなのか具体的に示せないのが…。
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この回答へのお礼

矢継ぎ早の粗雑な、頓馬な応答には恐れい入ります。

如何にも粗雑なソシュール理解を晒され返す言葉も有りません。

「ラングがない」などと誰が言っているのですか?

このようにして、言語表現と対象の感性的な在り方との拘わり合いは、ごく狭い範囲に限られることになり、言語は独自の感性的な形を作り出して表現していきます。そして、どのような対象にどのような言語の形を使うかは、社会的な約束ごととして定まっていきます。

ところが、言語が対象の感性的な在り方と縁を切り、表現のための独自な感性的な形を作りだして社会的な約束ごとでこれを維持していくと、ここに、ある概念とある種類の音声や文字との対応が固定化していく訳であり、それぞれの概念に対してはいつも表現のための特定の違った感性的な形が付いて回るわけです。
//

この、社会的な約束ごとこそがラングの正体です。

ソシュールはラングこそが言語だと言っていますが、「ラングがない」のではなく、「ラング」とは社会的な規範であり、言語表現を媒介するものだということです。

>>読む価値ないと既に回答済み

などと無智、無能を曝け出す前に先ずは内容をキチンと理解しましょう。■

お礼日時:2022/11/13 12:53

>言語学のコペルニクス的転換とその展開


>https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9934
>は理解できたのですか?

ざっと見たが、論理不明瞭な頓珍漢哲学でまともに読む価値ないと既に回答済み。論理矛盾・破綻を実践されているあたり、そのユニークな哲学が実践に結び付いてはいるようだね。
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この回答へのお礼

早速のコメントを有難うございます。

>>読む価値ないと既に回答済み

先ずは内容を正しく理解することが第一です。

理解能力がないことを満天下に晒すだけでは単なる恥晒しです。■

お礼日時:2022/11/13 12:39

>乖離ではなく誤りを訂正の上、発展、展開しているということです。



だから、

>ラングが、文でパロールに変化し意味を表わとしか考えられず

などということをソシュールは言っていません。勝手に誤解して、勝手にそうではない!と言ってるだけの独り相撲で、ソシュールを批判するなどひどい見当違いです。
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この回答へのお礼

適切なコメントを有難うございます。

>>ソシュールは言っていません。

では、何と言っているのですか??

お礼日時:2022/11/13 12:35

ラングがないならどうやって日本語を話せると妄想してるんだ?

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この回答へのお礼

適切なコメントを有難うございます。

言語はどんな矛盾を含んでいるか : 【8】 言語は社会的な規範を必要とする
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9942 …

を正しく理解しましょう。■

お礼日時:2022/11/13 12:24

>勿論、ソシュールをちゃんと読みその批判の上に展開しています。


それを最初に展開したのが時枝誠記の言語過程説です。

ですから、

>現在のソシュールパラダイム下の発想では、以前に指摘した通り、ラングが、文でパロールに変化し意味を表わとしか考えられず、ラングである語の意義とパロールである文における意味との媒介の構造を捉えることができない。

などと言ってるのは、ソシュールの主張から乖離していますので、「ソシュールをちゃんと読みその批判の上に」などとは言えません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

コメント有難うございます。

>>ソシュールの主張から乖離していますので、「ソシュールをちゃんと読みその批判の上に」などとは言えません。

乖離ではなく誤りを訂正の上、発展、展開しているということです。

つまり、ソシュールをちゃんと読みその批判の上に」、言語事実に即した正しい科学的、論理的言語論を展開しているということです。

その点、誤解無きよう!

>>学会からは相手にされてないから

それは学会の否定、崩壊となる他ないための当然の事態と云うことです。
なお、現在の学会の実態とレベルは下記を参照下さい。

時枝・服部論争の再考察(I) : 言語研究の原点的問題として
時枝・服部論争の再考察(ll)
時枝・服部論争の再考察(Ⅲ)
https://keiai.repo.nii.ac.jp/index.php?action=re …

言語学のコペルニクス的転換とその展開 【1】
は理解できましたか?

まずは、これを理解できるようになることが第一歩です。■

お礼日時:2022/11/13 12:10

mixiでそんなしょうもないスレッドを立てても学会からは相手にされてないからです。

mixi内でも他の人のコメントが皆無なのは悲しい…。
独りよがりな文章ではなく、主張を明確にし、論理立てて書くように心がけましょう。

また、

>現在のソシュールパラダイム下の発想では、以前に指摘した通り、ラングが、文でパロールに変化し意味を表わとしか考えられず、ラングである語の意義とパロールである文における意味との媒介の構造を捉えることができない。

などと書いていますが、ソシュールをちゃんと読みましょう。一般的には以下の様に定義されています。

ランガージュ(言語活動)とは、言語をはじめとする記号をつくり出し使用することを可能にするさまざまな能力およびそれによって実現される活動を指す。
個々の社会のなかで、記号のつくり方や結び付け方、あるいは個々の記号の意味領域などをめぐる規則(いわゆる文法や語彙)が制度化されたものをラング(言語)という。
このラングという枠組みのなかでランガージュを機能させることにより実現する、具体的に発せられた個々の言葉がパロール(言)とよばれた。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%8 …

あなたは独自定義を使い過ぎです。周りと会話したいなら、ちゃんと一般的定義を理解する必要があります。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

早速のコメントを有難うございます。

>>ソシュールをちゃんと読みましょう。一般的には以下の様に定義されています。

勿論、ソシュールをちゃんと読みその批判の上に展開しています。
それを最初に展開したのが時枝誠記の言語過程説です。
その意義については、下記を参照下さい。

言語学のコペルニクス的転換とその展開
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9934 …

あなたは言語事実に向き合うことなく一般的な世間の俗説を披歴しているだけで何ら科学性、論理性がありません。

言語を活動などというのは、音楽を音楽活動、演劇を演劇活動というのと同じあり、何ら言語の本質を捉えたものではありません。

伝統的英文法学者であるイェスペルセンの、

 言語の本質は、人間の活動である。――ある個人の側では、自分の考えを相手に理解させるための活動であり、べつの個人の側では、相手が考えていることを理解するための活動である。これら二人の個人、つまり、言語の産出者と受けて、あるいは、もっと便利なことばで言えば、話し手と書き手、および両者の相互関係は、言語の本質と、言語のうち文法で取り扱われる側面の本質を理解したいと思うならば、決して見失ってはならないものである。
イェスペルセン(安藤 貞雄 訳)『文法の原理〈上〉 (岩波文庫)』p27,(岩波書店,2006/5/16)

という言語本質を人間の活動と見なす言語観と何ら変わりありません。

言語を科学的、論理的に捉え展開するためには、その本質を捉える論理に基づき科学的な用語が必要になります。

現在の生成文法や認知言語論を超える真に科学的な言語論を展開していますので、まず内容を正しく理解し、自分の頭で言語事実に向き合い思考した上でコメント戴けると幸いです。■

お礼日時:2022/11/13 10:40
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