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中国や韓国(北朝鮮も?)過去の日本の侵略戦争に対する、謝罪や解決がなければ関係の修復はないと言っていますが、一体彼の国は何をもってそれが清算されると考えているのでしょう。戦後処理でもう解決されてるとも読んだ記憶がありますし、中国に対してはODAがそのかわりになるとも書いてあったような気もします。天皇陛下や首相の公式謝罪?、それともまた膨大な賠償金支払い?それとも教科書に謝罪文を載せる事?それとも出来ない事を要求して難癖をつけてるだけ?
どなたかお教え下さい。

A 回答 (7件)

日本は確かに中国と戦火を交えました。

  その結果、戦後20年以上に渡って国交が断絶していたのですが、昭和47年に当時の田中角栄総理が訪中し、戦後の外交問題のひとつであった日中国交が回復しました (但し、日本側がそれまで唯一の中国政府と看做していた台湾を切り捨てる事になりましたが ・・・)。

この時、両国政府から発表された日中共同声明で 「中国政府は日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する事を宣言する」 と、賠償請求権を放棄しました。

法的に言えば、この時点で日本は中国に対する全ての戦争責任から解放されたわけで、その後の謝罪や賠償責任が存在するはずがありません。

一方、韓国ですが、一般的には何となく韓国に対しても中国と同じように戦後賠償責任があるように受け止められていますが、事実は全く違います。

韓国は日本と戦争していません。  日本国の植民地として存在していたわけです。

1965年に絶縁関係にあった日韓両国の間で 「日韓基本条約」 が締結されましたが、その中では、両国は戦争状態にあったわけではないので、戦後賠償については一言も触れられてはいません。  当然の事です。

ただ、軍属や労働者として徴収された中で、戦争被害にあった人たちに対する 「補償金」 として、当時の韓国の国家予算の2倍にあたる無償・有償の経済協力を行なったわけです。

また両国政府に対する個人の賠償請求権の放棄も明確に定められています。  当時の 「従軍」 慰安婦と称する韓国の老婦人が日本に来て、日本国に賠償責任を求めましたが、当然の結末として敗訴しました。  日本の特定集団から誘いに応じて来日したわけですが、生き恥を晒す結果となり本当に気の毒だと思います。

韓国に対する植民地政策の清算もこれで完了した事になります。

例えは変ですが、日本は 「きれいな体」 となって生まれ変わったわけです。

従って、中国・韓国に対する戦後賠償問題はもはや存在していません。  また、謝罪も時の総理が訪中・訪韓するたびに戦時中の行動について再三・再四、声明で謝罪を繰り返しています。

また平成天皇も 「韓国国民が味わった苦しみを思うと、痛惜の念を禁じえない」 と 「お詫びする」 とか 「謝罪する」 とかの直接的な表現ではなかったものの、事実上の 「天皇による謝罪表明」 と受止めるべき内容でした。

と言うわけで、現時点で、日本の中国・韓国に対する戦争中の 「賠償責任」 は存在せず、また 「謝罪」 も過去の歴史を見ると何度も繰り返している事が分かります。

両国とも日本に対して執拗に謝罪と賠償を求める姿は、暴力団が金をせびる時によく使う 「俺の気持ちの問題だ、誠意を見せろ、誠意だ」 というセリフと、なぜかダブります。

また、この日本国に対する恐喝行為は今後も続くものと考えられます。

両国には 「国家の威信、尊厳」 というものが存在してないように思えます。
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この回答へのお礼

大変わかりやすい丁寧な回答ありがとうございました。これですっきりしました。重ねて御礼申し上げます。

お礼日時:2005/04/13 10:49

この問題は、基本的に金銭の問題でなく、感情の問題です。

 そして、この韓国・中国の悪感情の基本には、戦前の日本の、植民地(韓国は当時植民地ではなかったのですが。)政策・戦争能力の不足が原因となっています。

 先ず韓国(戦前は、韓国・北朝鮮が分断されていなかったので、戦前は朝鮮というのが正しいと思いますが、北朝鮮についてと誤解されるかもしれないので、あえて、韓国とします。)についてですが、日本はヨーロッパの国のように、韓国を植民地とせずに、日本に併合しました。
 ヨーロッパの植民地の場合、経済的搾取が目的だったので、効率的に統治することに主眼を置き、支障のない限り、その国の旧来の体制には、変更を加えないようにしました。
 ところが、日本は韓国で日本国内とできるだけ同じ考えで統治しようとしました。
 学校では日本と同じ義務教育を導入し、学校ではハングルを禁止し日本語を教え、歴史も戦前の日本国内で使用していた歴史教科書を持ち込み、使用しました。
 韓国の日本化政策に対し、韓国の知識人は、民族の存在としての危機感を覚え、日本化政策に反対しましたが、思想犯として逮捕弾圧されました。
 象徴的事実として、日本の朝鮮総督府は、朝鮮王宮の正門前の広場に、門をふさぐような形で王宮より大きな建物が建てられました。
 尚、イギリスにおいても、北アイルランドを併合したため、そこに住む一部の人々は、北アイルランドの独立を求め、つい数年前までロンドンで爆弾テロを行っていました。

 中国については、日本軍の軍需物資輸送能力の不足と、軍人に対する戦闘地域の民間人に対する教育不足が大きな原因です。
 日本軍は、戦争の進展とともに内陸深く進攻しましたが、深刻な物資不足に陥りました。特に日々消費する食料については、現地調達されるようになりました。軍隊が現地で物資を調達した場合、一応軍票という紙幣で支払うのですが、軍票を使用しているのは日本軍だけで、中国での流通性がないため、中国人の大多数を占める農民にとって、事実上食料をただで取り上げられるのと同じ状態となりました。また、小さな村に、その村の人口を何倍も超える日本軍が来た結果、次の収穫までの食料がなくなり、村人が村を捨てることもあったようです。
 ちなみに、ある中国人から聞いた話ですが、村長をしていた彼の祖父は、日本軍が来るということで、村人に食料を隠すように指示を出したそうです。そして、実際日本軍が来たとき、非協力的との理由で、集められた村人の前で、刀で切り殺されたそうです。
 
 象徴的な事例としては、「南京大虐殺」があったかなかったか、ということがあげられます。
 中国側では、10万人以上の民間人が、南京占領時に殺されたと言っており、学校でもそう教えています。
 日本では、本などでの「南京大虐殺」についての記述は、数万人・1万人まで・殺されたのは軍人だけ・敵前逃亡しようとした部隊を中国軍みずからが殺したと言う説まで、色々です。
 日本政府として、虐殺があったか・なかったかについて、戦後落ち着いてからの調査は、行っていません。もちろん、多くの教科書にも記載されていません。
 尚、当時の日本のある新聞に、当時南京に突入した日本軍の武勇伝として、A少尉が108人、B少尉が107人、軍刀で(相手からの銃撃はなかったのか?)切り殺したとの記事が載っています。事実かどうかは別として、当時の日本軍の雰囲気は、分かる気がします。

 ドイツでは、ナチスドイツが行った、ユダヤ人虐殺の事実を、学校で教えており、虐殺のあったアウシュビッツは世界遺産になっています。
 また、中国が日本に対して賠償を請求しなかった理由は、当時の中国を代表していた蒋介石が、中国は礼節の国であるから、暴力に対して礼儀を持って返す・賠償支払いで日本が貧困化すれば、新たな戦争の原因になる、との考えに依るところがあったようです。(ただ、中国の一部の人に、敗戦時助けたのだから、日本が豊かになった今、日本は中国を助けて当然だろう、感謝するに当たらないという空気はあります。)

 つまり、中国人や韓国人にとって、今の日本人が、「中国や韓国が、何故騒いでいるのか、理解できない。」という状態であることことが、反日感情の原点なのです。
 ドイツがやっているように、日本も、「戦前、中国や韓国で何をしたか、教育せよ。」そうすれば、日本人も、我々を理解できるだろう、と言っているのです
 
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理由は,いくつか考えられます.



・宗教上の違い.

  日本は,仏教国で,
  韓国は儒教,中国は,共産主義ですから,「無宗教」です.
  宗教というとちょっときな臭いのですが,
  「生活の基盤を支える考え方の違い」
  ということです.

  「価値観の違い」といっても良いでしょう.

   彼らは,自分たちとは違う価値観をもつ民族であると言うことを認識すべきです.


・経済発展

  いくつかの「戦後処理」をしたときは,日本が大変
  貧しいときでした.
 
  まさか,中国や韓国は,焦土と化した日本が
 こんなに短期間に,先進国の仲間入りをはたすことなど考えていなかったと言えないでしょうか.

  経済大国となった日本に対する嫉妬の気持ちも入っていると思います.


・マスメディア

  日本は自由な国です.
  中国や韓国のこのような報道も連日報道されます.

  もっといえば,わざわざ,中韓にお伺いをたてて,
  「日本では,いまこんなことをやっています.どうお考えですか?」と両国にご用聞きをしているメディアもあります.
  日本国内には,そういう外国に敏感な勢力が多数存在しているのも理由の一つでしょう.

   ご質問は,全く同感で,
   彼らの求める「謝罪」とはなんの事を言っているのか,一度じっくりと聞いてみたいものだと私も思います.
彼らの考えていることが,大多数の日本人に伝わっていないのです.


過去の「合意」事項を反故にするのなら,その理由が
必要であり,たぶん彼らなりの理屈はあるのでしょう.
ただ感情的にならずに,もっと詳しく相手の主張を聞きたいですね.
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もう既に指摘されているとおりですね。

儒教と中華思想にまみれた彼らの願いは「日本を属国化すること」でしょう。彼らにとっては「小日本」と呼んでいるように、日本は辺境の劣等国で、かつて自分たちを打ち負かしたり、支配していたことなどあってはいけないのです。こうしたことから、彼らはこういう謝罪方法を望んでいるのではないでしょうか。
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今日、ソウル市松坡洞に、「三田渡碑」という...堂々とした石碑が立っている。(中略)
これは朝鮮史を浮き彫りにする史蹟である。(中略)
これは清の大宗の頌徳碑で、名前を「大清皇帝功徳碑」というが、韓国では「恥辱碑」として知られてきた。(中略)

仁祖はこの時、それまで軽蔑していた胡服(北方の蛮夷の服)を着て、
坡洞の三田渡に設けられた「受陣壇」において屈辱的な降伏を行った。
「受陣」とは、降伏を受け入れることである。

仁祖王は「受陣壇」に於いて、清の大宗に向かって九回、
地面に頭をつけて叩頭する拝礼を行なったうえで、清からの一方的な和約を結ばされた。
1637年1月30日のことだった。

この和約の内容は次のようなものだった。
一、朝鮮は、清に対し、臣としての礼を尽くすこと(中略)
一、王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること
一、清が明を征伐する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること
一、内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること
一、城郭の増築や、修繕については、清に事前に許諾を受けること
一、清に対して黄金100両、白銀1000両と20余種の物品を歳幣(毎年納める金と品物)として上納すること
一、皇帝の誕生日である聖節、正朔である正月1日、冬至と、慶弔の使臣は、明との旧例に従って送ること(中略)

この和約によって李氏朝鮮はその後、19世紀に至るまで、
清に毎年、全国から選ばれた美女である妓生と宦官を貢いだ。(中略)
-------------------------------------------------
http://toron.pepper.jp/jp/middle/syndr/heisiho.h …

上記は丙子胡乱という朝鮮と中国の戦争の話です。ご覧のように、朝鮮王は地面に9回頭を叩きつける土下座を行って皇帝に礼を尽くし、徹底した朝貢と服従を行っています。
 さらに、石碑を建てました。そこに刻まれた文面は
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大清崇徳元年、冬一二月、
寛温仁聖皇帝(豊かな恩恵と、神聖で思いやり深い清の大宗)は、
朝鮮が紐帯関係を破ったために大いに怒り、武力を行使して、東方(朝鮮)へ進撃した。
国内(朝鮮)に入ったら、対抗する者は全くなかった。

我が寡君は南漢山城にあったが、小春日和に氷坂を踏んで、
日出づる太陽を待つような憂憂の日を五〇日余り送る間に、
各地方の軍隊は相次いで崩壊し、西北にあった軍隊は峡谷にはまって動けず、城内の食糧も尽きた。

もし、大兵をもって城を攻撃されたら、
冷たい風によって秋の落ち葉が飛ぶように、
あるいは大火が鴨の毛を燃やすように、ひとたまりもない運命にあった。
しかし皇帝は、
出来るだけ殺生をしないことこそ武勇であり、
徳を優先させるという勅命を公布して、諭旨した。

則ち「降伏したら、朕はお前ら(仁祖)を生かすが、抵抗したら全員を虐殺する」と仰せられた。

寡君はやむをえず、文武諸臣を集めて、
「私が至らなかったために、
自ら天による懲罰を招来し、民百姓を死の間際に追いやった。
その罪は、。私一人にある。
それにも関わらず、皇帝は自重され、屠戮(みな殺し)する事を控えられた。
このような有難い論旨に接し、慎みてその意を頂き、宗廟社稷と我が生霊を保全するほかない。」

したがって、数十騎を先頭に立てて、清の軍営前に至り、罪を咎めるように請うた。
ところが、皇帝は礼を持って応対され、恩恵を持って慰労しながら、礼物を下賜された。



礼が終了すると、寡君(仁祖)を都城に帰らせて、
軍を撤収し、離散した百姓を慰め、農耕を勧奨した。
人々が古巣に帰れたことは、素晴らしい幸福であった。

我らの小国が大国(清)に大して罪を犯してから久しい。
かつて姜弘立(カンホンイブ)が明の救援を行ったところ、敗れて捕虜になった。

その時に、太祖武皇帝(ヌルハチ)は弘立ら数名だけを残して、
残りの兵士を全員帰国させたが、その恩義といえば、広大なものであった。


丁卯年(一六二七年)、
現皇帝(清の大宗)が諸将兵に命じて東国(朝鮮)に入ると、朝鮮は使臣を送って和親を請うた。
皇帝は許して兄弟国と見なしてくれたために、この国が無事でいられ、弘立も帰ってきた。

不幸にも(朝鮮の朝廷が)流言を信じて、
混乱の原因を作り、辺臣(辺境を守る兵士)をして警戒に当たらせ、
大国に尽くすべき礼をわきまえず、その宣戦教書が(清の)使臣の手中に入った。

ところが皇帝は、それでも寛大に扱われ、
朝鮮へ使臣を送って、親しく論旨を伝達されたのにもかかわらず、
朝鮮がそれを受け付けることを断ったのは、小国君臣の罪を一層思いものとした。

皇帝は大軍を率いて、南漢山城を包囲し、
江都(ソウル)をたちまち陥落させ、嬪宮(王の妾達)、王子、大臣などの家族が、
皆捕虜となったが、皇帝は諸将に対し、危害を加えないように命じられ、侍従官員と内侍に眼を配るように求められた。

このように恩恵を施したために、
小国の君臣と捕虜であった家族達が、再び以前と同じく、
冬が春に代わり、干魃が雨によって潤うように、その身を安んずる事ができた。

国は滅亡の瀬戸際から救われ、宗廟社職が崩壊から再生した。

こうして東国(朝鮮)の数千里の国土が全て蘇る徳を蒙ったことは、
古代からの書籍にも稀にしか見られないことである。


ああ、何と立派なことか。


三田渡の南側に、皇帝が駐蹕(ちゅうひつ=行幸中にとどまること)された所に、祭壇場がある。
我が君は水部(工人)に命じて、祭壇を増築し、石を磨き、碑を立てて、
永遠に遺して、皇帝の功徳が、天地調和するのと同じ事であることを顕した。

我々小国は、代々末永く、この徳を仰ぐのみならず、
どのような国であっても、服従しなければならない大国の仁義と、
勇猛なる義理が、この根本になっていることを、深く心に刻むものである。(後略)



堕落の2000年史 崔基鎬より
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http://toron.pepper.jp/jp/middle/syndr/kutokuhi. …
とのこと。
わかりやすい言葉で言えば、
「清国皇帝は愚かな朝鮮王を窘め、己の大罪を諭してやった。良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った」
「我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする」
Webサイト「コリアンジェノサイダーnayuki」より。
http://homepage3.nifty.com/khf11063/ss/key/KGnay …

ということだそうで、おそらくあの中朝韓の3カ国はこうした類の従属を望んでいるのだと思われます。


ところで#3の方の見解はおおむね正しいのですが、既に指摘済みの点と、もう一点、朝鮮を植民地扱いはどうかと思います。台湾なら改名が許可制だったり出世した人が少ないので植民地と呼べなくは無いのですが、朝鮮は改名は届出制、税金・徴用・徴兵はかなり長い間免除と、優遇されている点が多いです(むしろ徴用・徴兵が長期間免除されていたことが、「内鮮一体に反していて差別的だ、内地の日本人と同様に扱え」と朝鮮人がいうなら別ですが)。選挙権はありませんでしたが、これは半島に移住した元々の日本人などにもありませんでした。むしろ内地に移って議員になった朴春琴みたいな人もいるくらいですから、ちょっと植民地とは言えないかと…。
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この回答へのお礼

大変興味深い話をお教えいただきありがとうございました。久しぶりに歴史の講義を受けたようです。やはり個人個人がきちんと歴史を学ばなければ正しい判断は出来ませんね。感情に流されず理性的に考えないといけないと再認識しました。重ねて御礼申し上げます。

お礼日時:2005/04/13 12:34

×平成天皇


○今上天皇 あるいはたんに 天皇

↓殺すなよ・・・。
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この回答へのお礼

なるほど平成天皇と言うと過去の人になってしまうのですね。勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/13 10:50

恒久的な上下意識の確立。


久遠の時を越える謝罪。
経済的地位が日本を越えるまで(もしかしたら越えてなお)の賠償。

といったところではないでしょうか。
国民に条約も公開しないような国のデモなんか気にしなくて良いですよ。
日本と自国が今までどういった経緯で今に至っているのか彼らは一切知りませんから。
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この回答へのお礼

中国は共産党独裁国家、韓国もついこの前までは軍事政権独裁でしたから、ほとんどならず者状態ですよね。気にしないのが一番ですね。ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/13 10:47

彼らは何をしても次から次へと要求してきます。


ヤミ金業者が払っても払っても難癖付けて脅して
金を巻き上げているのと同じものだと考えてください。
金がほしいのと訳のわからない持論から
世界で最も優れているのは中国、韓国であって
日本が自分たちより上にいるのが気に入らないのです。
中国、韓国がどんな理不尽で非人道的な要求を
してきても即答ではいと答えなければまた暴れます。
何をしても無駄だしほっておくしかないです。
相手にすればするほど調子に乗るだけです。
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この回答へのお礼

ほんとうに困った国達ですね。大人の対応をしなければだめですね。ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/13 10:45

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