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清朝や李氏朝鮮の農業生産は、江戸時代の石高でいったらどれくらいですか?

A 回答 (1件)

日本の江戸時代の石高は、実際の収量とは違います。

 表高も、実高も、『○○石とする』という税の割り当てや、領地の格を数値表示にしたものに過ぎません。
大正13年に参謀本部が、朝鮮の1600年頃の石高を日本軍がどのように思っていたのかを資料にまとめたものがあります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/936355/1/274
全部で1,191万石となっています。
当時の日本の総石高は1,850万石程度とされていたので、日本の2/3くらいが朝鮮にあるとバカげた期待をしていたのでしょう。
日本が1920年代30年代に朝鮮での産米増産900万石計画を展開しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE …
上手くいかない計画だったのですが、ともかく、増産計画展開後の1938年の朝鮮での収穫量は2,414万石に過ぎなかったのですから、18世紀の朝鮮を知行地に出来たとしても1,000万石にはならなかったでしょう。それだって、かなりの酷税です。 
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all …
1900年頃の朝鮮と日本の米作は、朝鮮は稲作に適した気候の地域が多かったけれども、米穀の反当たり収穫量は、朝鮮は日本の約半分にすぎないという状態で、その原因は、灌漑設備を有する水田が少なく、大部分が降雨に依存する水田であったためだそうです。 日本が期待した米の朝鮮での増産計画はここに注目したモノだったらしいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
李氏朝鮮で1000万石、1938年の時点で2400万石とは、
南北合わせてこれでは思ったよりも少なかったです

お礼日時:2023/02/19 09:01

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