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「暮らせし」の「せ」について。
文脈から「暮らすことができた」と可能の助動詞との理解が一番しっくりくる状況なのですが、
ここは、古典文法的には「暮らしし」とすべきでも、
令和の現代では結構ありふれた用法として、可能の意味を含めて、あえて作者が使用したと理解していいでしょうか。
文学の世界では、古典的仮名遣いを標榜していても、一部現代語を使ったり、カタカナ語が混じったりすることはよくあることで、
私はそのように理解したいのですが、見解をお伺いします。

A 回答 (4件)

「暮らせし」という表現は、現代の日本語でも一定の理解はされますが、古典文法的には「暮らしし」とすべき表現です。

古典文法的な表現では、助動詞「す」は「未然形+す」、「ず」は「連体形+ず」、「ぬ」は「連体形+ぬ」などと結びつきます。一方、「せ」は「已然形+ば」、「せん」は「未然形+ば」の形で使われます。

ただし、文学の世界においては、古典的な文法を使っているにも関わらず、現代語が混じった表現があったり、作者が意図的に古風な表現を使わなかったりすることがあります。そのため、文脈や作者の意図によっては、「暮らせし」が現代語的な表現として使われた可能性もあるかもしれません。

ただし、一般的には「暮らしし」という表現が古典的な文法に則った表現であり、正しい表現とされます。
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この回答へのお礼

私の見解と同じで嬉しいです。
ただし、最後の2行の「一般的には「暮らしし」という表現が古典的な文法に則った表現であり、正しい表現とされます。 」が
やはり正当派ということになるでしょうね。

お礼日時:2023/05/14 10:59

出典は何でしょうか? 令和の擬古文でしょうかね。



>文脈から「暮らすことができた」と可能の助動詞との理解が一番しっくりくる状況なのですが、
古典文法では可能の助動詞は「る/らる」以外にはありません。また助動詞には接続というものがあり、直前の動詞の活用形を考えざるをえませんが、「暮ら」を何形とすべきか厄介な壁に当たってしまいます。
状況はそうでも文法を無視した無理はいけませんね。
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この回答へのお礼

言語も生き物だと思っているので、平安・室町・江戸時代と変化していったり、許容範囲が広がっていくことも、今この世に生きていれば、いくらでも例はあると思っています。私も「腑に落ちる」などが大手を振って大新聞などにも、NHKにも跋扈していることを気持ち悪く思っている一人です。
ただ、こうした短縮形も、せわしない現代においてはありかなと口をつぐんでいますが。

お礼日時:2023/05/14 11:05

>ここは、古典文法的には「暮らしし」とすべきでも


??。
暮らす、暮らせる、は表現内容としては全く異なります。
すべき!では、ありません。
>古典文法的
この場合の「的」は似て非なるもの、という意味にもなりえます。
古典文法を十分知らないままで、「すべき」なんて断定しますか?。
それが、そもそも、誤りなのでは?。
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この回答へのお礼

お返事どうもありがとうございました。

お礼日時:2023/05/14 10:59

暮らしていた

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/05/14 10:58

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