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中国の武将で最強と調べると、必ずと言っていいほどに 呂布 が出てきますがどのような点で最強認定されているのでしょうか?

詳しい方よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

三国志演義の写本版、毛宗崗本の第五回「 発矯詔諸鎮応曹公 破関兵


三英戦呂布」で、三英(劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳)が
呂布奉先と戦うシーンが有り、呂布奉先は三人と渡り合った事から、
発しているのでしょう。
この、戦いの前にも、呂布奉先は名のある将軍を何人も倒しています、
なので、三国志演義にて最強の将軍なのは衆目の一致する処です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!!

お礼日時:2023/06/02 11:14

ネタ元は、中国小説の「三国志演義」。

前半の大スター曹操を脅かした敵役として描かれているので、相当話が盛られている。最強伝説はそこから始まっている。とはいえ、相当目立った武将であることは間違いない。

史実としての、呂布は、今でいうモンゴルに近い草原地帯の出身で、そこは名馬の産地だった。
呂布は、当然ながら馬に慣れており、馬上で馬を操りながら戦う技術が優れていた。騎兵隊を率いた戦いにも秀でていたのだろう。

古代中国人も馬には乗るが、騎馬民族ほど馬に慣れていない。そういう中で騎馬戦闘術に長けていた呂布の強さが際立っていたことは間違いないだろう。馬も呂布の出身地の名馬であったはずだから、より強さが引き立つことになる。
ちなみに呂布と云えば赤兎馬だが、赤兎とは赤毛でウサギのように跳ね回る俊敏な馬という意味で、呂布の出身地の名馬の中でも特に優れていた馬のことを「赤兎」と呼んでいたらしい。

また、曹操の武将たちの中にも、曹仁と云う馬術に秀でた将軍がいた。曹軍の中にあって、曹仁は騎馬隊を率い、スピードを生かしてしばしば本隊とは別行動を取って方々で敵軍を打ち破り続けた。
さらに赤壁の大敗で曹軍が中原に引き上げた後も、曹仁は荊州に踏みとどまり、周瑜軍や関羽軍と対峙して中原への進出を阻むなど防御戦でも名を上げている。

中国の騎兵司令官では、漢代でも少数精鋭の騎馬隊を率いて匈奴を破り続けた霍去病、衛青が有名だ。

馬術に優れた名将・猛将は、それだけでも他の名将・猛将よりも活躍が派手な分だけ目立つということもあるだろう。
アレキサンダー大王や源義経も騎兵を率いた将軍だった。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!!

お礼日時:2023/06/02 11:14

#1さまの回答に捕捉することをお許しを…



関羽が出てきますが、董卓側の猛将華雄を一瞬のうちに討ち取ったエピソードもあり、その関羽ですら一人では歯が立たなかったのです。
…強すぎでしょ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!!

お礼日時:2023/06/02 11:14

1,関羽、張飛、劉備元徳の三人で攻撃して


 やっと追い払うことが出来た
 という実績がある。

2,『終末のワルキューレ』で、中華最強として
 登場し、雷の狂戦士・トールと互角に
 渡り合った。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!!

お礼日時:2023/06/02 11:13

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