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理系のなか
第一外国語が独語の世代は、何年生まれまでだと思いますか?

私は昭和生まれまでだと思うのですけど違うのでしょうか?


【私の家族の場合】
伯祖父(116歳)
伯祖母(115歳)
祖父(104歳)
祖母(104歳)

義理伯母(79歳)
伯父(76歳)
従兄次男(50歳)

義理伯父(80歳)
伯母(79歳)
伯母側 従兄(56歳)

姉長女(40歳)
兄長男(38歳)
俺(32歳)

みな第1外国語は独語です。



しかし、

伯父の従兄長男(53歳) → フランス語を第1外国語
伯父の従兄三男(48歳) → 日本語のみ
父(68歳) → 英語を第1外国語
母(58歳) → タイ語を第1外国語
姉次女 → 日本語のみ

は違う言語を第1外国語 または 日本語のみとしています。



私より年下の

妹(26歳)
母側の従妹2人(26歳と24歳)

は第1外国語は英語、第2外国語は独語。



より若い

母側の従弟2人(21歳と17歳)

は独語をやらず(英語を第1外国語として)、中国語とインドネシア語を第2外国語にして勉強しているところです。

※2023年4月1日より

A 回答 (2件)

私は戦後の生まれで、家は今も続く医系です。


伴侶となった相手の家も含めて家系図を持っています。
それをたよりに一族を広く見渡すと、大学教育を受けた人は数十人は容易に出てきます。

その人たちと話した記憶をたよりに思い出しても、戦後に大学教育を受けた私のひとつ上の世代以降の人の中には『独語が第一外国語』と言う人はひとりも居ないと思います。
『独語が第一外国語』という人は、戦後も含まれる『昭和』世代という句国の人々ではなく、戦前に旧制高校を含む大学教育を受けた『戦前世代』という人ではないでしょうか。

また、バブル前に大学教育を受けた世代までは『独語が第二外国語』という人が多かったと思います。
しかし、それもいわゆる『ゆとりの世代』が話題になったころが境のように思います。

ただ、私感ですが、それとは別に、こと日本の大学での外国語教育を見ていると、日本の大学教育の劣化を象徴するように思います。

私にとっての大学進学の目的は、『大学でしか手に入らない先進的で優れた知識や技術・技能を身につけられるから』でした。
そこでの第二外国語の意義は、『より広い世界から知識や技術・技能を吸収できる』というものと思ってきました。

私はプロファイルに記したような在米の隠居爺です。
大学院まで進んで学位を得、思うところがあってアメリカに渡ってきました。
私の専攻は工科系で、大学で学んだ第二外国語はドイツ語でしたが、日本では全く使うことがなかったそれも、当地に来てからは必要になって使いました。
それを使えなかったら今の私はないかもしれません。

カミさんは日本の大学を出てますが、当地でも大学に入りなおして学位を得ています。
今はその道のプロですが、彼女も第二外国語を実務でかなり使っています。

当地で生まれ育った子供たちもそうです。
皆学部ではダブルメジャーをしてきてたことから取得しないといけない単位数が多かったため、夏休みには集中講座を受講して単位を稼いでいました。
その講座のなかには他の大学のものも含まれ、フランスやドイツ、イタリア、中国の大学に行ったりもしていました。
当然その授業は現地語になりますが、彼らは別に苦でもなく受けてました。
第二外国語をそのためにその言語にしていたので。

カミさんも子供たちも『日本語』を第一外国語や第二外国語にできましたが、特にそれはせず、みな2~3か国語を平気で操ってます。
彼らにとってと言うより、当地の『それなりのレベル』の大学の場合、言語は道具で、勉強すると負いう意識ではなく、使う道具ととらえて単位を取るためでなく、本来やりたい『大学でないと手に入らない』というレベルの活動をするための道具と考えているようです。

結果として世に輩出される『学生』の質は、『単位を取るもの』としてしか考えない日本の学生のレベルとは雲泥の差になるのです。

この質問にはそういった『何のための言語教育なのか』『大学まで行ってする教育が求めないといけないものは何』という大事な点を全く忘れているもののように感じたのは私だけなのでしょうか?
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戦前の外国語は仏語・独語・英語の3つから選ぶことが多かったようです。

これは学校などによりますし、軍はほかにロシア語や中国語なども第一外国語として扱っていたとされます。

英語一辺倒になったのは戦後の教育改革から、ですから旧制中学などはドイツ語やフランス語などを第一外国語とする学校も多数ありました。

旧制中学は12歳(満13歳になる年)で入学しますので、1945年に満13歳になる人たちまでが、ご質問の対象になります。

1945年に満13歳ということは、1932年生まれで、これは昭和7年ですから、この年の人たちまでは「第一外国語が独語を選択できた世代」です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

旧制中学の最後の卒業者は
1932年早生まれ + 飛び級 + 文科 の生徒だと文献にしっかり書いてありましたね。

お礼日時:2023/07/13 14:40

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