プロが教えるわが家の防犯対策術!

ご覧いただきありがとうございます。

最近、怒りや不安など自分の感情に振り回されることが多いです。
そのため、気が向いたらヴィパッサナー瞑想をしています。

例えば、音楽を聞いているとき、「音」「音」「音」などと自分の判断を通さずに
サティを入れます。
しかし、「音」と判断しているのも「自分」なのでは?と考え出してしまい、
よくわからなくなってきます。

他の例で言えば、「怒り」「不安」なども自分というフィルターを通しての「判断」だと思います。
「感情」「思考」なども人間が作り出した概念でしかないですよね。
そうなってくると、思考も感情もなくただ一つの「何か」なのかなと思い始めました。

わかったところで「で?」なわけですが、私の認識は合ってますか?
判断を全て削ぎ落とした純粋な「何か」より、人間が概念として作り出した少し純粋なものをサティとしていれるという判断であっていますでしょうか?

わかりにくかったらすみません。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

人間が作り出した概念と云うよりは、なんばさんの心が作り出した概念、と云う方がより正確だと思います。


なぜならば、心は人それぞれに固有であるからです。

人間は心の働きに理性と云う“意識力”を持ちました。
他の動物はそれが無いので、客観物を認識するに止まりますが、人間は認識したものを“意識”できます。
例えば自分は今、悲しい思いをしているなぁと、意識できます。
自身の事に付いて他人を見るように、客観できます。

そうした意識すると云う心の働きが、貴方を悩ませるのです。
№1・bagusさんの云っているのは、この事なのです。
もう一人の自分がいますよ、と。

さらに踏み込めば、客観物を認識(五感)するのはあなたの心で、その認識した心の映像を意識するのが“もう一人の自分”なのです。

さて、客観物を認識すると云う貴方の心は、完全・完璧でしょうか。いや、人間はみな完全な心を持っているでしょうか。
曇っていませんか。歪んでいませんか。傷が付いていませんか。欠けたところは有りませんか。

こうして考えると、我々は客観物を正確に捉えて(認識)いるのではなく“不正確な情報”として認識し、それを意識して(見て)いると云う事になります。

なんばさんはフィルターと表現してますが、こうしたことを薄々と感じているのではないでしょうか。

心を落ち着かせると云うサティは、心の曇りやゆがみを「直す」ために行うのでしょうね。
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ま、瞑想で得られるものは、その程度の事よ


学ぶ事を忘れた、怠け者には瞑想は良い逃げ場だよ。

ゲーテに学ぼう
鉄の忍耐、石の辛抱、戦いぬいた人道主義の男だ
最期の言葉が もっと光を、だ
もっと世界を見つめたい
もっと世界から学びたい
もっと世かいと対話したい
もっと世界のために生きて行動したい
そう言う気持ちだったんだろう。
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あなたの心はあなたではありません。


心は、あなたの持ち物に過ぎません

怒っているあなた、不安なあなた、それはあなたではありません
怒っているあなた、不安なあなた、それを見ているのが本当の
あなたなんです

自分と自分の持ち物の心を一緒くたにしてはいけません。
あなたの心が動揺したら、それをただ見つめましょう。
あなたと心が離れて、穏やかさが戻ります
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