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燃え尽きたよう勉強ができなくなり、
うつ病等も発症し、留年している学生です。
約2年燻っています。
直前に追い込むタイプで勉強を習慣化してなかったとはいえ、
どうしたらまた勉強に向かえるようになりますか?

私立の薬学部に通っています。
この状態になる前は全科目「優」であったぐらいには勉強に取り組めていました。
しかし、コロナ禍の頃に今の状態になり、
勉強が心理的にできなくなりました。
勉強をしようとすると苦しくなり、頭の中が色んな考えや雑念で騒がしくなります。
そして苦しくなり、怖くなって勉強ができません。

どうしたら勉強がまたできるように
なりますか?

A 回答 (6件)

故蓮見喜一郎博士の年譜  珠光会の沿革

http://www.shukokai.org/outline.html

1904年(明治37年)・群馬県館林に生まれる。
1925年(大正14年)・千葉医科大学(千葉大学医学部)を卒業。瀬尾外科教室に助手として勤務。
1929年(昭和 4年)・瀬尾教授の指示で世界の癌に関する文献を1年をかけて収集。

1931年(昭和 6年)・米国ラウス博士の「ニワトリの肉腫が不可視の病毒により伝染するという研究」(明治44年)と、英国ジャイ博士の「人の癌も不可視の病毒によるとの研究」(大正8年)に触発され、癌ウイルスの研究に着手。
1937年(昭和12年)・大学における癌研究の限界を感じ東京の阿佐谷に杉並病院を開設、研究室を設け癌ウイルスの研究を進める。
1942年(昭和17年)・カオリン(白陶土)を用いたカラムクロマトグラフィによるウイルスの純粋分離に成功。癌組織濾液による免疫療法を開始。初期癌には効果あるも末期癌に効果見られず。

1946年(昭和21年)・蓮見癌研究所(東京都調布市)開設。「真理は珠のごとく光り輝く」との信念で杉並病院を珠光会と改める。第23回千葉医学会総会で「癌の早期診断と治療」と題し報告、『千葉医学会雑誌』25巻1号に要旨が掲載される。以降は日本医学会の圧力により学会への発表は困難となる。癌研の大田邦夫が『日本医事新報』に「蓮見学説虚妄論」を発表。蓮見の反論掲載は拒否される。
1947年(昭和22年)・ 2月15日 購入した日本電子工学研究所製造の電子顕微鏡2号機により、子宮頚がんから単離した人癌ウイルスの電子顕微鏡写真撮影に成功。

1948年(昭和23年)・ 5年を要して発見したアジュバントを付加し蓮見ワクチンが完成。かなり重症の癌まで治療可能となる。日本癌学会に人癌ウイルスの電子顕微鏡写真、補体結合反応等を添えた論文を提出するも黙殺される。蓮見癌研究所を財団法人とするための認可申請を文部省に提出するも、癌研の妨害により不成功に終わる。
1949年(昭和24年) ・第1回電子顕微鏡学界(京都大学)に電子顕微鏡写真を提出するとともに、「電子顕微鏡と癌濾過性小体」と題して報告『電気日本』36巻2号。日本医師会が母校の旧師を介して蓮見に癌研究を中止するよう圧力を加える。 高橋明(日本医師会会長)が「電子顕微鏡なんて迷信」と蓮見を罵倒。吉川英治(作家)が日本医師会と蓮見との和解を斡旋するも不調に終わる。
1951年(昭和26年)・8月16日付毎日新聞「論文晴れて米国へ」と、蓮見の論文が米国で発表されることを報道。
1952年(昭和27年)・米国国立癌研究所を訪問しヘラー所長の厚遇を受け2ヵ月間滞在。移籍の要請を受け断る。
1953年(昭和28年)・馬伝染性悪性貧血症(伝貧病)の病原ウイルスを純粋分離し電子顕微鏡写真撮影に成功。田中北海道知事に懇請され道立銭函伝貧実験場で伝貧病の治療にあたり、1958年まで道内各地で伝貧ウイルスワクチンによる集団予防の実験に携わる。12月31日付読売新聞、「ナゾのヴィールス発見、蓮見博士、ウマの難病”伝貧”征服へ」と報道。

1954年(昭和29年7月)・衆参両議院厚生委員会で、治療の恩恵を受けた倉石忠雄、山村新治郎、廣川弘禪、堤ツルヨ、寺島隆太郎、大石武一が蓮見癌研究所に対する国庫補助の請願をする。蓮見喜一朗は参考人として発言。後日、年間5000万の補助が採択・決議されるが医師会と癌研の圧力により実現せず。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/008/0790 …
1957年(昭和32年)・医療法人社団珠光会を設立。
1958年(昭和33年7月)・ロンドンで開催される第7回国際癌学会に英国王室医学協会より招待を受け「人癌ウイルスの純粋分離法」について報告しようとしたが、国内の癌研究者の妨害を受け渡航許可が得られなかった。(10月、英国王室医学協会正会員とされる)http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/040/0068 …
1961年(昭和36年)・癌多発村奈良県平群村で3年計画で250人に集団予防実験を開始。年間5回、5日おきに注射。3年間続けた者からは一人も癌が発生せず。
1963年(昭和38年)・吉田富三(癌研所長)、毎日新聞に「癌十話」を連載、第1話「病原体」で蓮見をイカサマ師と罵倒。
----- 中略 --------

1988年(昭和63年)・脳梗塞で自宅療養、8月20日84歳にて逝去。

偉業はご子息に引き継がれ、ステージⅣの癌に対する免疫細胞療法HITVの開発もなされ、医療法人社団珠光会は様々な免疫療法の医療機関として現在に至っています。
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お返事を頂戴しました。

ありがとうございます。
時間が取れますのでお答えします。参考になればうれしいです。私の投稿履歴は公開していますので、プロフィールからご覧ください。

●免疫学的な根本的治療に期待されても、順天堂大学の近藤教授の研究は、血液検査によるSITH-1診断法の開発にとどまるだけでしょう。
ご存知のように体内のウイルス自体を殺す治療法は現医療にありません。
一部の抗ウイルス薬はありますが、ウイルスの遺伝子増幅を阻害するもので、ウイルス排除による治癒は患者自身の免疫にゆだねられているのが現状です。

●『心理療法というのはどう思われますか?』についてですが、
自分を認め良い思いを持つなどは、少しは免疫向上にも影響するようですが、いつまでも続くとは思えません。
従って、一時の安らぎはそう大きな意味を持ちません。

●ウイルスに対して免疫による排除は、マクロファージや樹状細胞がそのウイルスを認知し、貪食して分解し、抗原提示をすることで免疫システムの流れが起き抗体産生などでウイルス排除がなされます。
それを可能にするための、皮下接種と言う手段で強制的に皮下の樹状細胞を刺激して食わせる(貪食・飲食)ものがワクチンと言うものです。
ただし、副作用なく継続して接種できなければ予防用ワクチンにとどまり治療用とはなりません。
両ワクチンは副作用なく継続使用できるものとして開発されたものであり、そこに価値があります。
もちろんワクチンの抗原材料も重要です。
・丸山は、皮膚結核の治療薬として開発されたもので結核菌より熱水抽出した核酸などを材料としています。
・ハスミは、ウイルス発癌説にのっとり、癌と言う腫瘍を可溶化してウイルスと癌細胞のウイルス蛋白を抽出し無力化したものが材料です。従って現在も癌の種類により30数種の既成のワクチンがあります。
また、朝一番の患者の尿からウイルスなどを抽出し、2カ月ほどかけて不活性化し、その自己抗原を合わせる自家ワクチンと言うものを作成することもできます。

あなたが調べのようにうつ病などが治るなどと記したホームページはないでしょうから詳しく知ることもできません。

閉鎖的な医学界です。いずれのワクチンも開発当初から競合する当時のドン達により様々な妨害も受けて今日に至ります。
丸山ワクチンはゼリア新薬工業が製造している関係上、承認手前まで行きましたが妨害により不認可となりました。
ゼリア新薬工業の努力もあり、放射線治療時の白血球減少を防ぐ目的でアンサー注として名称を変えて承認(認可)を得ていますが、丸山ワクチンとしては今更日の目を見るのは難しいと思います。

ハスミワクチンはホームページの以下の小さな記述で癌以外にも使用していることを記しているだけです。
https://www.hasumi-cl.com/at.html
03効果が期待できる症状
慢性関節リウマチ
喘息
尋常性乾癬
アトピー性皮膚炎
アレルギー性鼻炎
膠原病
――――――――――――――――― 
承認(認可)と効果は別物です。
認可に至るためには、治験などを受けてくれる医療機関も必要であり、国の諮問機関などとのパイプも必要で、巨額な資金が伴います。当然ながら大手の製薬会社に限られます。
効果があるものが認可がとれるわけではありません。

私の関係でうつ病でK.Mと言うハスミワクチンを使い治癒したのは2名です。(当然ハスミワクチンと言うものに理解がなければ、あなたと同じように訳も分からず躊躇するはずです)
1名は悪性リンパ腫をハスミで克服された経験を持つ元看護士です。入院もされていましたが2カ月ほどでの治癒です。抗うつ薬なども短期間であったため、離脱症状もなかったと聞きます。
1名は私の身内(息子)です。昨年2月でしたかパニック障害からの発症でひどくなり入院もしました。
ハスミで治っていると仮定し、何度も1/4減薬を試みましたが不安とソワソワ感が生じ失敗し、長びく離脱症状に苦しみました。昨年暮れアシュトンマニュアルですかにもとづく水溶液減薬を試みながら、今年になり仕事にも復帰し、何の症状もないと申しています。今も慎重に減薬は続けています。

あなたの場合のように、2年も経過していると自然治癒している可能性もあります。
薬を続けている以上、そのあたりの判断が難しくなると思います。
例として、先ずベンゾ系の1種類だけを1/30づつか?カッターで削って1週間ごとに減薬する方法も試されてはいかがかと思います。

なお、ハスミワクチンは青森・東京・大阪・神戸・広島・熊本・徳島に協力医がおられワクチンの手続きが出来ます。
次には一応私の知るハスミの沿革を貼り付けます。どのような経緯であったか知ることができると思います。
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うつ病になってお解りだと思いますが、脳に生じた病気ですから勉強どころか正常な思考もできないでしょう。


うつ病を治さない限り将来もありません。

ヒントを差し上げても、たぶんぼんやりとしか解らないでしょうし、お返事もないと思いますが、一応書き込みます。

●精神疾患の原因のほとんどは脳神経細胞に感染したウイルスです。
うつ病は、慈恵医大の近藤教授によりヘルペスウイルス6型によるものと数年前に発表され、NHKでも報道されました。
民放のANNでも報道されたようで、これは今もYouTube で見ることができますので検索してご覧ください。

薬学部とのことですから、少しは免疫学もお分かりと思います。
(なお、勉強が進めば、対症療法薬しかない今の医療の現実を知るでしょうね)

●体内のウイルスの認知と排除は白血球がウイルスを認知し排除されねばなりません。
そのためには自然治癒を待つより、ハスミワクチンや丸山ワクチンによる免疫刺激が有効です。(ハスミワクチンによる治癒と思われる例が2名あります)

-----------------------------
注意しなければならないことは、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬などは数か月間の服薬で依存性が生じます。SSRIやSNRIにしても同じです。
うつ病自体治ったとしても減薬時に離脱症状で苦しみます。
そのため、うつ自体治ったかどうかも解らず、ずるずると年月が過ぎます。
なお、減薬も慎重にせねばなりません。

以上書き込みましたが、あなたの今の頭脳に響きますか?

ご質問がありましたら、免疫学を少しかじっていますので、広範囲にお答えできます。
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この回答へのお礼

返事がないと言われれば、返信したくなる性格なのでさせていただきます。回答者様の文章が疾病の当事者の様な文面だと判断させていたので
、その体で返信させていただきます。
ヘルペウイルスの件は確かに有名になりましたね。今では順天でも研究が進んでいる様で、機能形態的な観点からではなく、免疫学的な観点からの研究が進むことを望んでおります。第一選択薬はやはりセロトニン等の脳内物質の調整のSSRI SNRIがメインですし、ケタミンを用いた治療もTMS治療も対処療法なので、免疫学的な理由からの根本的治療に期待したいです。
離脱反応が辛くてあまり薬の増減はしていませんし、最小容量のままで治療しております。

ご質問失礼します。
ハスミワクチン、丸山ワクチンが効果があるということですが、治癒例などを検索しても出てきませんでした。お手数ですが情報源を教えていただけたら幸いです。
また、免疫学を学んでおられるということですが、そういう立場の人間から見て心理療法というのはどう思われますか?参考までに聞きたいです。
失礼致します。

お礼日時:2023/11/14 10:18

うつ病が2年も治っていないのが問題です。


初発の軽い段階だったなら、いい加減治ってるはずです。
勉強はうつ病が治ってからです。
ちょっとお医者さん変えた方がいいかも。
下手だ、多分。
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それはただの症状、結果かと思いますが、なぜそのような症状になるのか。

日常生活の中で何が足りないのか。何が邪魔をしているのか。ご自身の生活や思考から考えてみたら良いかと思います。
それらは、ここには書かれていないのとかけるような情報量ではないので他人がわかるわけがありません。
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薬学部なら自分の鬱を直すにはどんな薬を使いどのように治療すればいいか


から調べていきましょう
鬱は自分を過大評価している人がなると言われています
自分ならもっとできるはずなのにどうしてできないんだの繰り返しです
自分は無能で今いる場所は不適瀬戸だとランクを落とせば気楽に生きていけます
京大の人がお笑いにはまって活路を見出すこともあります
鬱という物に取り組んで治療から調べましょう
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