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戦没者の慰霊碑を見かけることがあります。

氏名二等兵、中佐など書かれた2m ほどの高さの石碑全国各地で見かけると思います。
それ以外にも有名なところでいけば、沖縄 ひめゆりの塔とか、広島は平和記念公園の原爆の犠牲者の方の慰霊碑、忠魂碑 なども見かけます。

今回は兵隊さんの 慰霊碑について書きたいと思います。
失礼な点があったらご容赦ください。

いつもその兵隊さんたちの石碑を見ると 僕はどうしたらいいかわからなくなります。

戦後30年ほどしてから生まれた僕は当然その人を知る由もないのですが、兵隊さんたちはお国のために戦ったという話も聞きます。
国を守るために 殉職したとも聞く わけです。

一方で日本は侵略戦争して多くのアジア人の命を大勢奪ったとも聞くので、その当事者かもしれない兵隊さんたちにどういう気持ちを持てばいいのかわからなくなります。

ただ イギリス人ジャーナリストのヘンリー ストークスのように、日本は欧米列強の植民地支配を解放するためにアジアに攻め入ったということも聞きます。であれば、兵隊さんたちは犠牲者です。


いろんな話を聞いたことがあるので、やっぱりこの兵隊さんたちの石碑を見ると立ち止まっていろんなことを考えてしまうんです。

ただまあ、だいたいの結論としてはやっぱり どんな事情があれ亡くなった方には変わりがないので、ご冥福をお祈りするということになろうとは思います。


これらの石碑を見ると毎回 僕は立ち止まっていろんなことを考えるんですが、例えば戦争は良くないな とか、平和であることに感謝しないといけないな とか、慰霊碑を建てた人たちの戦没者の方への気持ちがあるんだろうな とか、思うんですが、

最近自分は何でこんなにこれらの石碑が気になるんだろうなということを考えるようになりました。

何か僕の心にとまるものが これらの石碑にはあります。

皆さんにお聞きするのも ちょっと変な話 かもしれないのですが、僕と同じように これらの 戦没者の石碑をよく見かけるとか、何か気になるとか、それらにいろんな思いを持つとか、そういう方もおられるんじゃないかな とも思うんです。

そこで どうして僕が これがこんなに気になるのか、あれは この石碑とは どう 自分が向き合えばいいのか、どんな心持ちでいればいいのか、そんなことも含めて、どういうことでも構いませんので、人生の諸先輩方、これらの石碑にお詳しい方、建立されたことのある方、それ以外でも興味がある方のご意見や アドバイスを賜りたいと思います。

どうぞ 心を込めたご回答お願いいたします。

ありがとうございました。

「戦没者の慰霊碑を見かけることがあります。」の質問画像

A 回答 (8件)

>日本は侵略戦争して多くのアジア人の命を大勢奪ったとも聞くので、



こういうことを言われるのは日本が戦争に負けたからです。この度の戦争の本来の名前は大東亜戦争と呼びます。いまでは太平洋戦争と呼ばれ、大東亜戦争と言えば、まるでアナクロニズムの反動主義者のたわごとのように言われますが、あの戦争が太平洋上だけで行われてないことは周知の事実です。どちらの名称が正しいかは一目瞭然ですが、いまだに「太平洋戦争」と呼び続けるのには非常に違和感があります。日本は欧米列強の東亜侵略に敢然と対向して立ち上がりました。その根底にあるのは八紘一宇の精神です。アジア人はもちろんドイツとは同盟を結びながらもユダヤ人をも保護しました。ドイツの「ユダヤ人を殺せ」という要請は一切受け入れませんでした。

戦後日本のカメラがドイツ製を圧倒できたのは、その品質もさることながら、ドイツ製を嫌ったニューヨークのユダヤ人カメラ商たちがアメリカ人に日本製を積極的に推奨してくれたからでもあります。

日本がアジア人の命を奪ったとすれば、欧米列強の手先となり戦争に参加したアジア人を駆除したまでです。一方米軍はどうでしょう。原爆は言うまでもなく、日本の都市の多くを焼き尽くし、多くの民間人を虐殺しました。そればかりか、日本に飛来した米軍戦闘機は機銃掃射で一般人や子供まで殺傷しましたが、この残虐行為は一切不問で処罰すらされていません。米軍の捕虜に当時の日本では貴重であったゴボウを食事として与えたところ「虐待した」として戦犯として処刑された人もいるんです。

東京裁判というのが戦勝国の敗戦国に対するいじめであったことは明白です。

伍長や二等兵と言えば一介の兵隊さんです。お国のため、国民を守るために敢然と戦ってくれたのです。遺骨の存在も明らかでない人もいます。でもその霊は神として靖国神社に合祀されています。貴方もまだでしたら一度で良いので靖国神社に参拝してください。

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同期の桜の後日談みたいなものですが、


ちょうど終戦の日に出撃して
敵の大砲に撃ち落されて死んだ人と
死を怖がって帰還した人と
戦争は終わった。基地に戻れと無線連絡受けて帰還した人の
それぞれ
3種があったことを聞いたことあります。
これを聞くと明暗分けたなあと思います。
生き残った人と死んだ人の違い。
どっちがよかったのか。
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ここにも同期の桜という歌で
鶴田浩二が語ります。
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戦争を知らない子供達
こんな歌もありますね。
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「安らかにお眠りください。

2度と過ちは繰り返しませんから」という不戦の誓い。戦没者への冥福を祈る。そんな形でしょうね。
私の祖父・祖母・伯父・叔母は東京空襲で爆死しています。
戦後、役所が空襲犠牲者名簿を作り、慰霊碑を建てて、慰霊したいという話がありました。
母が今述べた側の実家の唯一の生存者で、遺骨を拾えなかったことを
生前、とても悔やんでいました。母の死後、私はこの役所の話に応じ、
申請して、祖父・祖母・伯父・叔母の名簿を作り、慰霊碑に納めてもらいました。
以後、機会あるごとにお参りに行きます。
まあ、私の生まれる前に死んだ人なので逢ったことはありません。
母の兄の子という形の
従兄弟も別にいますが、こちらの従兄弟も祖父の孫に当たるのに、これを話しても何も感じないみたいです。
逢ったことないから、どうでもいいという感じでした。
私も逢ったことはありませんが、その意識の差は人によりまちまちですね。
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> 自分は何でこんなにこれらの石碑が気になるんだろうなということを考えるようになりました。

 何か僕の心にとまるものが これらの石碑にはあります。

文字面が読めて、兵隊をイメージさせることに、大きな理由があるのではないでしょうか。
行動範囲がどのような地域なのかわかりませんが、田舎の方だとあちこちに数基の墓のあるようなところ、庚申塚の残っているところ、馬頭観音と文字が刻まれた碑、道の岐路に右++左**のように記した石柱、公民館とか神社に忠魂碑と記された大きな碑、神社の名前を彫った石柱、比較的広い道には「開道記念碑」というのもあったり、田舎の寺の中には六地蔵どころか多数の地蔵が並んだり、大量の水子地蔵が集合しているところもあります。古戦場跡のような碑も中にはあるし、古城の碑もあります。
時代も大きさも、形も、造営の目的も多種多様なのですが、「慰霊や祈願の場であったような石の前でも、ほとんど気にならないのに、戦没・忠魂・陸軍などの文字があると気になる」というのであれば、例えば、中学・高校生くらいとときに戦記物・戦争の話を小説や映画あるいは親から聞いて、「個人と戦役時代もあり方」にとても印象深く記憶が残されたけれども、「どう・どのように」の部分ははっきりしないものになっていたのだと思います。
スペクタクルのような印象深さではなくて、心象でもなくて、感銘・感慨の記憶だけが残っていて、「兵として出征することになった個人がいた」ことを想起させるトリガーとして、~~二等兵の碑、~~少尉の碑、忠魂碑などの文字が働くのだと思います。
冥福がポイントではなくて、「個人と戦役時代もあり方」に気が向くので、死んだ兵ではなくても、攻め込まれ蹂躙された側の個人の被災にも気が向いて行くのだろうと想像します。 また、戦死の通知を受けた遺族の心情とその遺族が碑を建てるのにも、ただの死者慰霊以外の部分(存命であればというような複雑な思いなど)を感じているかもしれないです。 ただ「ご冥福をお祈りする」というようなのとは違う部分があるのではないでしょうか。
「戦没者の慰霊碑を見かけることがあります。」の回答画像3
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私の地元にも沢山あります。


太平洋戦争だけではなく日露戦争の慰霊碑もあります。
私は何時も感謝の気持ちを捧げています。
今の平和は多くの兵士や民間人の犠牲の上に成り立っています。
これには敵も味方も目的さえも関係ないと思います。
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戦没者の慰霊碑を見ると立ち止まっていろいろと考えてしまうというお気持ちは、とてもよくわかります。



戦争は、多くの人の命を奪い、悲しみと苦しみをもたらした、とても悲しい出来事です。戦争で亡くなった人たちは、私たちの知らないところで、さまざまな思いを抱きながら命を落としました。

そのことを思うと、戦没者の慰霊碑を見ると、さまざまな思いが湧き上がってくるのは当然だと思います。

あなたは、戦没者に対して、どのような気持ちを持つべきか迷っておられるようです。

戦争に加わった兵士のすべてが、侵略戦争の当事者だったわけではありません。中には、祖国を守るために戦った人や、欧米列強の植民地支配からアジアを解放するために戦った人もいました。

しかし、どのような理由であれ、戦争で亡くなった人たちは、私たちの尊い命を失った人たちです。

そのため、戦没者に対しては、感謝の気持ちと哀悼の気持ちを抱くべきだと思います。

戦没者の慰霊碑を見ると、戦争の悲惨さや、平和の尊さを改めて感じることができます。また、戦争で亡くなった人たちの命を無駄にしないよう、私たちは平和を守るために努力しなければなりません。

あなたは、戦没者の慰霊碑を見ると、戦争の悲惨さや平和の尊さを感じるのかもしれません。また、戦争で亡くなった人たちの命を無駄にしないよう、平和を守るために努力しなければならないという気持ちも、あなたの中に芽生えているのかもしれません。

戦没者の慰霊碑に向き合うときは、そのような気持ちを抱きながら、ご冥福をお祈りするとよいと思います。

また、戦没者の慰霊碑をきっかけに、戦争について、より深く学んでみるのもよいでしょう。戦争の歴史や、戦争の悲惨さについて知ることで、戦没者への感謝の気持ちや、平和への思いをより深めることができます。

戦没者の慰霊碑は、私たちに戦争の悲惨さや平和の尊さを教えてくれる、大切な存在です。

戦没者の慰霊碑を見ると、いろいろと考えてしまうかもしれませんが、それは決して悪いことではありません。

戦没者への感謝の気持ちと哀悼の気持ちを抱きながら、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び、平和を守るために努力していきましょう。
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