プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

常に真っ正直なのが一番いいとは分かっていますが、それでも誰かの為に嘘をつくことが役に立つことはあると私は思っています。

ただ、自分の為の嘘はついてもいいと思いますか?
これは、自分の気持ちをごまかすという意味での嘘、ではなくて、単純に周囲に嘘をついてでも自分を守っていいものか、ということです。

A 回答 (9件)

大人に成ったら「良いのか悪いのか」と言う考え方をしないことです。



以下は長いのでお暇なときにでもどうぞ。

大人は「損得について自己責任で対応する」と強く意識するべきだと思っています。なので具体例を出した上でアドバイスを求めましょう。その回答者の理由も聞いて自分の場合にも適合すると思ったら試してみる。その結果(経験・体験)をもとに次は「自分一人で対応する時の判断材料」とするわけです。この様なステップを踏む事を習慣にしないと経験が活かされません。

「良い事をする人間ではなく判断が優れている人間をお手本
 とする。自分にも同じ判断力を複製するためである」

私たちが「良い事・悪い事」と考える内容は子供の時に大人が教えてくれたものばかりです。しかしこれは子供向けに簡略化されたものです。いずれ同じ大人になって「自分の判断」で生きていくと(親や先生など大人達が)信じて与えた教えです。そのため「どうして良いのか?」「どうして悪いのか?」を子供に説明できる(説明しても理解してもらえないでしょうけど)状態で無いと子供を育てられないのです。

嘘についても「この場合は良いと思っている」と質問者さんは判断していますよね。という事は「自分を守る嘘」についても判断材料を得て活用できるように仕上げるべきでしょう。

例えば、

「怖がって使えない状態の方が大人として逞しくない」

こういう風に思ったからこそ「相手を癒す嘘」は使っても良いと自分に許したのでしょう?

しかし「自分を守る嘘」が同じレベルで得をするのか分かりません。つまり一般的に言って難しいという分けです。これはダメだという事ではなく「人間のプロであっても制御が難しい。使い所が狭い」という事なのだと思います。子供がやったら余計に上手くいきません。使わせないようにしたほうが子供を守る事にも繋がります。こういう時は「悪い事」と教えて良いでしょう。

つまり「良い事・悪い事」というのは「子供も未来を守るための嘘」であるとなります。いずれは本人の自己責任において活用するだろうと期待しての話です。

では自己責任で鍵となるのは何なのでしょうか?

「制御できている」と言う感覚が大事です。常にこれを意識する事です。皆さんが自宅に帰ってホッとするのは「制御できる環境」を構築しているからです。想定外の事が起きる事の方が少ないでしょう。

この「想定外の事が起きる」と言う部分が問題であり、この時にパニックを起こして被害を拡大するわけです。そういう場合に備えて「悪い事」を教えて置けば「間違ったアイデアである」として踏みとどまれます。

「自分を守るために嘘をつこうとしている今現在の状況
 は、想定外事が起きてパニックを起こし、そのために
 生じた悪手ではないだろうか? 踏みとどまって落ち
 着けばもっと良い手があるのでは?」

では「もっと良い手として一般に普及している方法はないのか?」と考えて見ますと在ります。「本人が見てきたという情報を与える」「自分の心の動きを説明し共感を得る」の二つを同時に行ないます。

これにより「防げなかった部分」を他の方が許容してくれます。その上で「防げた部分」について反省を求めてくるでしょう。続けて「本来ならこうするべきだった」と自分の意思で伝えれば「味方になってくれる人」も出てきます。勿論、それでもだめだという人は居るでしょう。しかし味方を得られるだけで大分マシなのだと思います。

一番良いのは「想定外の状況」にならないことです。

では良くある「自分を守るための嘘」について説明します。一般に禁じられている嘘と言うのは「過去について事実じゃない話をする」という内容です。これを少し改善します。「未来について定まっていない話をする」というのが良くある嘘です。

例えば、

「以後気を付けます」

ですね。

本当に気を付けて対策するのかは誰も分かりません。なので否定しづらいという事です。しかも周囲の人が望む話ですから受け入れざる負えません。同じように「未来は明るい」とか。「私に投票してくれれば世の中を良くします」とかですね。つまり政治の世界では良く使われています。

「未来については嘘もつき放題なの?」

「いや自己責任の世界であるからね。信じて貰えなければ
 意味がないだろう」

「信じて貰うためにはどうすればいいの?」

「自分に自ら罰を与える。その痛みを皆に見せる。その苦
 しさを知っている人ならば『こんな痛い思いは二度とし
 たくないと思っているだろう』と解釈するんだよ」

ある人は辞職をする。ある人は自らの体を傷つける。ある人は自ら大切にしていた物を他者に譲る。他者の信頼を回復するためには「先に信用してもらう」しかありませんから「重く受け止めていると示す」のが有効な手として使われます。

「どの程度の罰を(自分に)与えればいいの?」

「それについても事態を見極めて『このくらいの強さ』で
 ないとダメだろうって自分で判断する。足りない場合は、
 苦しみ損になる。痛い思いをして信じれ貰えないからね。
 逆に多すぎれば勿体ない事になる。意外と難しい」

「そんなの無理だよ・・・難しいし怖い」

「なので自分より判断が優れている人を頼る。想定外の事
 がおきれば誰でもパニックを起こす。頭が真っ白になる
 んだ。なのでそういう場合ほど上の人が判断してくれる
 と助かるんだよ」

こういう智慧を活用しているから社会は個人よりも強いのであり「人が多いから強い」わけではありません。判断力が無い人が多数集まればかえって危険です。暴徒ですね。社会が安定しているのは「判断において優れている人」を「想定外の事が起きた時に相談できる状態」にして配置しているからです。そして相談をしながら「判断に優れた人の発想」を(何とかして)自分に複製するのが大事です。そうやって自分の判断力も上げていくわけです。いずれは自分が役割を交代するためです。

この様な系譜を維持しているからこそ社会は安定して維持されるわけです。新たに自分達で国を作れば「(判断に優れた人材と言う)ソース」が無いわけですから社会は安定しません。日本に深い歴史と伝統があると尊重されるのは「文化が素晴らしい」のではなく「そういう人材を秘伝の味噌やぬか床」の様に維持しているからです。そういう意味では驚異の国であるわけです。

つまり、これらの発想は大昔から活用されています。

「人数が多いだけで判断に優れていない人が集まる場所は
 暴徒と化す。自分の成長は望めないし、安定もしない。
 安全ではない世界となる。民度が鍵では無いのだ」

この様に発想すれば「そのグループに参加して大丈夫なのか?」も自己判断で分かるわけです。

例えば「暴徒が当たり前の国」であればSNSを活用して「普通の人」が集まる場所を作れば(相対比較として)「安全と感じる」でしょう。しかし日本の様な高度に安全な国を前提にすれば「SNSの世界」が与えるものは(相対比較として)「苦しいと感じる」はずです。また「SNSの方が現実より安全と感じる人が集まってしまう」という傾向が加速されるでしょう。

「だがしかし。それは古代レベルの安全さであり、現代に
 おいて個人が満足できるレベルではないはずだ。現代社
 会においては暴徒と変わりがないのでは? それを居心
 地良いと感じてしまうのは本当は不幸なのだ」

一方で企業などの組織では「想定外の事象に対して判断をする人を配置する」「その人の判断を見て自分も成長する」と言う2点だけではなく「状況を制御できているか?」を上司役の人が目を光らせています。

上司は質問を考えて部下にします。その答えが「自分を守るための嘘」であった場合は「制御できていない」と捉えてアドバイスをします。日常会話に見えて「そういう高度な事」をしているんです。これをずっとやってるわけですから「鉄板の様に安全」になるのは当たり前です。

「部下が失敗をしたとき上司の責任であるというのは、
 上司が『部下が制御できていない』という状態に気づか
 なかったからである」

この様に大人と言うのは「良い事・悪い事」という子供の時に使う判断材料を捨てて「自己責任」の中で堅固な防衛体制を敷いているんです。皆さんの環境はどうなっていますか? 自分で意識していますか?

「殆どの人の安全対策は脆弱である。まず縦に繋がること
 の意味を理解していない。自ら安全を拒否し危険(暴徒)
 へ魅力を感じている。これでは幸せに成れない」

相談サイトで一つ一つ相談にのっていますが本人の為を思えば「師匠を探して縦に繋がるか」「そういう組織を探して縦に繋がる」べきであると助言をするに尽きます。

同世代が行うヨコのコミュニケーションは人口比で10%。同年齢ならば1%しかありません。これらは今現在の年齢構成を考えれば不利でしかなく、さっさと捨ててタテに繋がる方が合理的なんです。昔と比べて年配の方を取り合って師匠になって頂くという状況ではありません。容易く凄い人の指示を受けれるんです。

「良い事・悪い事」という判断の仕方に関しては危険であると思いましたので助言をいたしました。この危険と言うのは「その様なやり方をしていない」人達と比較して安全では無いという事です。

なので一つ一つ質問をするよりは「具体例を挙げて指導を受ける」「判断力を自分の物にする」「常に相談できる師匠を探す」という3つを意識してください。想定外の事が起きて困るなんて無限にあります。どんなにSNSで繋がっても対応できないと思います。

以上、ご参考になれば。
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ウソを言うことと正直に言うことは、どちらも本能に根差しており、大事なことは、生死が左右されるような重要な場面でウソを言えば助かるのか?それとも正直に言えば助かるのか?という判断を間違えないことだと思います。



全ての人はウソをつくのに、「ウソをついたら泥棒の始まり」・・・などとバカ丸出しの言葉を信じる連中が多すぎるのが問題です。

重要な場面でウソをつく時の大事なポイントは、他人のためであれ、自分のためであれ、絶対にバレないウソをつく自信がないのなら、ウソがばれた時にどのような問題が起きるか?ということを見極めることです。ウソがばれた時に、大きな問題になるのであれば、覚悟して正直に言うことです。

しかし、現実社会は、正直に言うべき時点でウソを言い、ウソを言うべき時点で本当の事を言って、後あと大惨事・・・というのが多すぎます。バカばっかり・・・と思います。

私はウソつきですが、小学3年生ぐらいの時に母親にしかけたドッキリで母親が腰を抜かすほど驚いた様子を見て、ついてはいけないウソがあることを知りました。
また、我が子の白血病闘病時に1か月以内の死が現実になるかもしれないという経験をした時に、ウソを言うことが善であり、正直に言うことが悪・・・という状況が存在することを知りました。

最後に、ウソをつかない連中はたちが悪くて最悪です。
彼らはどうするかというと、ウソをつかないために隠蔽することを平気でやります。これは、理性のなせる技だと思いますが、ウソをつくよりも立ち悪く最悪だと思います。
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この回答へのお礼

必死になれば判断がつくのだと分かりました。ご自身の体験を踏まえてご回答くださり、ありがとうございました。

お礼日時:2024/01/22 20:56

行きたくない飲み会を断る時に、簡単な嘘(体調が悪い、用事が有る)を付くくらいは、自分を守る為、周りを傷付けない意味で有りかも。



レベルによります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。どの程度自分にとって重要なことなのか判別して考えるようにします。

お礼日時:2024/01/22 20:57

自分に嘘はつけません。


ただ、人に自分をよく見せようなどの嘘はろくな事ありません。経験より。
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この回答へのお礼

本当ですね。自分に嘘をついてみましたが、後悔というより、非常に疲れ、何にもなりませんでした。

お礼日時:2024/01/22 20:57

嘘をついて何の罪もない他人を犠牲にして自分が助かるなど生きている意味がない、そんな事する位なら自決するが世のためだと思う

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この回答へのお礼

その通りですね。さっさと自決したいです

お礼日時:2024/01/22 21:04

自分を守る為の嘘は結局自分の為にならない事が多いです。


嘘に嘘を重ねてキツくなるのはあなたです。
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この回答へのお礼

そうですね。きつくなりました。

お礼日時:2024/01/22 21:04

自分他人に対して虚言


程度も有りますけど
基本何も問題有りません自己責任でご自由に
お使い下さい
只しいくら自分の為でも詐欺や闇バイトはいけませんよ
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この回答へのお礼

詐欺や闇バイト(?)には手を出したことがありません苦笑

お礼日時:2024/01/22 21:05

聞いたことのない名前の宗教勧誘が自宅に来たら、



「うちは真言宗なので」

と断るために嘘をついてもいいと思います。


仕事のミスを人になすりつけるような嘘は、
ほとんどの場合でつくべきではありません。
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私は嘘をつかないようにしています。

この考えは子供の頃よりも大きくなっていると思います。
子供の頃は、親や先生に怒られたくないので嘘をつくケースが多かったような気がします。

でも、社会人になると、嘘をつくことでその嘘が窮地に追い込まれる可能性があるからです。
例えばニュースで問題になっているダイハツの検査不正などですね。もし自分が始めた事で、あんな問題に発展すると思うとゾッとしますね。

でも、仕事上、何らかの嘘をつかないといけない事も少なからず出てきます。
その場合、下記を心掛けています。
・絶対にバレないようにする。
・問答時のシミュレーションを繰り返し、完璧に嘘を理論武装する。

結局、嘘を一つつくと、それがバレないように嘘を積み重ね、結局全体的に見た場合、何が嘘で、何が本当だったかがわからなくなるので、小さな嘘もつかないように今はしています。
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この回答へのお礼

嘘を吐かないのってかっこいいですね。怖がりさえしなければ、できるかも。
虚言が癖になり掛けていたので危ない所でした。ご回答ありがとうございました

お礼日時:2024/01/22 21:06

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