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岐阜県大垣市観光したときに西濃運輸の企業城下町だったので田口社長の記念館見学しましたが、西濃運輸以外の陸運会社もたくさんありました。大垣市が陸運が盛んになった理由ってなんでしょうか?
地理的な要因ですかね?

A 回答 (2件)

もともと揖斐川の水運と中山道の陸運の結節点だったこと。


石灰石、大理石の産地であること。
水力発電を利用した化学工業が発展したこと。
等でしょう。
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大垣は、日本のど真ん中に位置し、古代から揖斐川など多くの河川が入り組む水運の拠点だった。

局地的にも畿内と東海を結ぶ物流の拠点として発展を遂げている。水が多いので戦術的にも防衛しやすく、攻撃が難しい地勢だった。
小牧長久手など秀吉vs家康の戦いでも、特に秀吉側の物流拠点として大垣城は膨大な武具兵糧の集積所にされていた。秀吉は最後の物量大作戦で家康にとどめを刺す直前まで来ており、家康側の秀吉との折衝窓口を務めていた石川数正が秀吉に寝返ったのもその頃だった。寝返った理由は定かではないが、数正は戦いに全く利が無いことから家康に恭順を強く勧めており、それを受け入れられずに家臣団の中で孤立を深めていた。その状況に絶望していたことだけは間違いない。
※そこで天正大地震が発生して畿内が大打撃を受けたが、大垣城も崩壊し、貯め込んだ武具兵糧が無に帰した。さすがの秀吉も、攻撃を諦めて講和に転じたのはご存じの通り。

現在は高速道路網や空港網も整備され、日本のど真ん中という地理的条件が物流拠点としての価値をますます高めている。
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