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小生の質問で、
伊には神を呼び寄せる聖職者、都はみやこ、という意味がある。
かつ「常に伊都国で治めていた」という表記も魏志倭人伝に見られる。
伊都国は倭人がそういう地名で読んでいたのではなく、神主や巫女が政治をつかさどる都を
一般名詞的に「伊都国」と読んでいたのではないかという疑問があります。

その疑問がもっと深くなる情報を見つけました。
魏志韓伝にも「不彌国」というのが出てきます。

彌には「続いていく様」という意味があり、不彌で終わり。
日本の不彌国は「倭国の終わりの国」と解することができると思います。
韓国の不彌国も、馬韓・弁韓・辰韓などの終わりを意味するのでは?
ここはどうお考えなのでしょうか?

また、速盧不斯國、狗盧國、牟盧卑離國、莫盧國と、末盧國の盧も多く出てきます。
先の疑問の通り、倭国の末盧国というのは、盧氏朝鮮の血が尽きるところであって、
ここまでは朝鮮人は比較的多いが、これから先は朝鮮人がいなくなる。
そういう国を全部末盧国と言ったのではないでしょうか?
(コリアンタウンがある最後の都市国家みたいな)

後年、東京に対する国際港が横浜に、大阪に対する国際港が神戸港になったが如く
伊都国に対する国際港(入国審査があるところ)を末盧国と呼んだ。
こういう可能性はないのでしょうか。

不彌国が二つあったので、魏志倭人伝の国名も倭人の発音を漢字で書いたのではなく
意味を持って書かれたものではないのでしょうか?
それは末盧国も。
という疑問です。

質問者からの補足コメント

  • 魏志倭人伝の南至邪馬壱国とは別の個所に「因詣臺」「(倭国の太夫(使者)が)臺に詣でた」
    という記載があります。
    この臺とは魏の都の洛陽の中央官庁の事だそうです。

    邪馬台国だったら「邪馬(意味不明)の中央官庁がある国」という可能性が出てきました。
    例えて言うと、今の米国はアメリカ合衆国です。アメリカは固有名詞、合衆は国の様子を示します。

    No.6様から「国名に意味がある場合、音写の場合、と専門家でも意見が割れている」ということで
    これに「邪馬台国=耶馬の中央官庁がある国、という複合名称もあったかも?」と解し、
    「よくわかりません。議論が分かれています」というお答えをもって納得しましたので、
    No.6様をベストアンサーにして終了します。

      補足日時:2024/02/28 13:26

A 回答 (6件)

漢字地名を音で解釈するか意味で解釈するかは学者でも意見が分かれています。

特に半島の古代語は現在とは違いますし記録も少ないので同系である古代日本語や日本の文献を頼りに復元が試みられています。
 言語学はプロの世界で表音文字として解釈されると「そうなんですか」としか言えなくなってしまいます。古代をお扱う言語学系の動画をご覧になるのも良いかもしれません。でも表意文字としての漢字は説文解字や古代の漢文の用例を検索したりできますから素人でも思いつく事はあると思います。
 不彌国が半島と九州にあるからといって古代の発音が共通である場合、それを漢人が音写したかもしれないので漢字の意味で解釈する事が必ず正しいと言えない事になります。素人の私としては末盧の盧は葦原と伊都国の都はキャピタルではなく軍府を不彌国の彌は朱蒙の卵生神話と関係があると思います。
 ところで馬の字が入る国名もいくつかあります。意外と近い所にあるのではないかと思っています。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
「言語学者の中でも意見が割れている部分」と解しました。
馬も、仰る通り魏志倭人伝(倭国)にも多く出てきます。
投馬国はツマ国と読み今の薩摩である、という説もありますが、
これは音写かもですね。
対馬(魏志には対海)国も、釜山から見たら2頭の馬のように見えるから
ということで対馬と名前がついたようです。これは国の様子ですね。

奴も多いですが、奴についてはWikipediaに注釈があります。
「古代朝鮮の高句麗は那、奴といった地縁的政治集団から成り立っており、殉死の文化があり、248年まで東川王がいた。魏が240年代に高句麗を攻撃したときは、引き分けたものの国都は陥落し、王は沃沮(東海・日本海側)に身を隠している。邪馬台国地域の国名にしばしば現われる奴の文字は、同じように(あるいは高句麗渡来の)地縁部族を示している可能性がある。」
Wikipedia 魏志倭人伝 2023年11月1日版より
(2023年11月以降頻繁に変更あります。2024年2月27日現在みられる記事には記載ありません。
編集合戦というもののようです。)
であれば、奴国や〇奴国は「そういう政治形態の国」という「国の様子」から
名前を表記した可能性があると思います。
であれば、末盧国や伊都国や不彌国もそうじゃないの、という疑問でした。

末盧の盧(魏志韓伝には多くの国が盧を使っている)伊都の都、不彌の彌に
ついては、見解を肯定否定できるだけの知識はありませんが、
もしそういうことなら「国の様子」の可能性がある、と思います。

お礼日時:2024/02/27 22:33

訂正 江南→江南沿岸 夫余王→その夫は扶余王尉仇台 



 何故(尉)仇台なのか⋯尉は秦・漢で軍事・警察の担当官を意味し、朝鮮王朝では国王の婿も意味する(この場合自称王の公孫度)らしいですが、いつの時代かは未だ知らないです。彼が鉄刀銘の上祖意富比垝オホヒキだとすれば大率オオヒキとちょっと近いようにも思います。夫余後の発音は謎ですが、ソツと読めば師ソチの方に繋がるんでしょう。同時に上表文の祖禰だとすれば四方で戦う海北等のエリアに問題がなくなります。つい伊都イトと繋げてしまいますが尉(ウィ)の都(軍府)の国が伊(イ)に変化したと考えるとユニークだと思います。伊に鬼道を結びつけても面白いかもしれません。
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この回答へのお礼

真実に迫りたいと考えています。面白いか否かは二の次です。
結局、国や国民の様子から名付けたのか否か?回答者様はどう考えているのか?
回答するなら、それをはっきりと明示ください。

お礼日時:2024/02/27 18:49

倭人伝中で都は倭国王が置く邪馬台国と伊都国ですね。

都は説文解字ですと周王が都を置いた豊邑のような場合、禄采地の意味、又は魏志春秋の劉備が公安に都を置いたのような場合は軍府置いたような意味、都督府や都護府を置いたとも解釈可能です。伊都国は末盧国を糸島前原とすると方角も距離の面で吉野ヶ里遺跡となります。                    大率が諸国を監察する軍事施設であり卑彌弓の時代は人口も少ないので戸数の面でも整合性があります。恐らく尊大な大率は当時勢力を持っていた公孫軍、その傘下の扶余族等の指揮官で伊都国は在日米軍基地のような物だと思います。
 私は倭人と倭地と倭国とを区別しています。倭地とは帯方東南大海中この海中は朝鮮在海中のように中国支配の範囲を示すかもしれませんが海南島に対しても大海中とありますので海を渡った北九州や詳細にできないその東、合計30カ国を意味すると思います。                   倭人は刺青をして海に潜り海産物を採取する文化を持つ人々、江南から江南を出自とする甕棺墓制を持つような人達はまず倭人と漢人は認識するのではないでしょうか?                          山海経では蓋馬山脈の南は倭です。漢書では楽浪海中です。倭国は高句麗に隣接していると考えた方が魏軍との相攻撃できるロケーションとして相応しいように思います。高句麗の兄弟国の狗奴国はソウルの伯斎国であり倭国の南に位置します。倭国女王卑弥呼は公孫度の宗女だとすれば扶余王尉仇台となり百済王統の祖となります。宗女壱与の頃には中国は東や東南に興味が薄れていきます。倭国王であれば中国が倭地の王と認める事になりますので実態がどうであれ名乗る価値があります。広開土王碑文からすると渡海した倭人の兵(誰が率いたのでしょう?)を利用して百済は高句麗と戦います。その後百済王が倭国王を騙り宋に朝貢しますが、倭国王武の称号は倭地に軍権、都督府を持つ倭地の王という事だと思います。宗書では倭国はもう東南大海中に位置するとなっていますが混乱もあるのかもしれません。
 百済が人質を倭に送るような状況になると倭人=倭国人になっていきます。唐も畿内に優れた文化国家が存在する事を認識します。隋に使節を送ったアワケミはどんな運命を辿ったのでしょう。現代では倭人は日本人、倭国は日本の旧称になってしまいました。
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この回答へのお礼

で、伊都国や不彌国、末盧国は「国や国民の様子から名付けたのか否か、どうお考えですか?」という私の疑問に対するお答えは?

お礼日時:2024/02/27 18:46

> 伊都国の伊ですが、由来は下記サイトです。


> https://ichigoichina.jp/kanji/6/%E4%BC%8A

聖職者との意味があるとの説明はありますが、都・みやこの意味らしきものはないです。
伊都をこれに結びつけるのならば、聖職者のいる都には読めます。
魏志倭人伝では、伊都には官・爾支、副官・泄謨肌が任務に就いていて、女王国に統属すると書かれているので、巫女のようなのもこの伊都にいたと解してもいいのかもしれませんが、魏志倭人伝で巫女・巫覡・聖職者っぽいのは南の邪馬壱・邪馬台国に都しているので、ちょっと、むりのように思います。
伊はここに・ここへという基本の接頭と思った方がいいのではないでしょうか。

> 彌/弥に「続く」という意味がある、というのは下記サイトです。
> https://okjiten.jp/kanji2192.html  これの①のウです。

①のアウエクをみると、これで一意を絞るのは難しそうです。
『末盧国』『伊都国』『奴国』『不弥国』この中で、不弥国だけを行き止まりのように解するのがわからないです。 奴国も不弥国も百里です。規模人口もこの中では小さい方です。 女王国が統属する東方の境界のようにいうのならば、その先は海で、山で、あるいは、別の男王国があってのような何かの記載があった方が、記述として自然です。
不弥は、単に現地での発音を漢字表記で中国語使用者が書き印した。
末盧、伊都も、同様に単に現地での発音を漢字表記で中国語使用者が書き印した。と見た方が自然だと思います。

日本人が、外国語の都市名や国名を表記するとき、今ならカタカナでしょうが、欧羅巴、露西亜、紐育、羅馬と書くようなものと思った方が、いいでしょう。 

また一海を渡る千余里、末盧国に至る。四千余戸あり。山海に浜うて居る。草木茂盛し、行くに前人を見ず。好んで魚鰒を捕え、水深浅となく、皆沈没してこれを取る。東南陸行五百里にして、伊都国に到る。官を爾支といい、副を泄謨肌・柄渠肌という。千余戸あり。世々王あるも、皆女王国に統属す。郡使の往来常に駐まる所なり。東南奴国に至る百里。官を兇(字が違う)馬肌といい、副を卑奴母離という。二万余戸あり。東行不弥国に至る百里。官を多模といい、副奴母離という。千余家あり。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます
>女王国が統属する東方の境界のようにいうのならば、その先は海で、山で、あるいは、別の男王国

末盧(唐津)→伊都(佐賀か小城?)→奴国(佐賀平野、福岡平野一帯)→不彌国(有明海北端)で女王の統べる範囲が終わる。
(不彌国から)南に水行20日で(女王の範囲ではない)投馬国に至る。
行程が日数表記になってる上に、人口も「可五萬餘戸」と推測伝聞です。
つまり、投馬国には魏の使者は行っていないと読みます。
不彌国の先とはこう言うことではないか、と思っています。

不彌国は例えば有明海北端、そこから南に狗奴国(熊襲・熊本)があり
その先に投馬国(ツマと読み今の薩摩という説もある)がある。
こういうことではないのかな、と思います。

そういうことを考えた時、漢字の意味そのものを探してみたら、不彌の彌には
他の意味に混じって「続く」という意味がありました。
それで「不彌国=(倭国とか女王の範囲の)終わりの国」と解すると
辻褄があう、と考えた次第です。

「國國有市交易有無使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國
 諸國畏憚之
 常治伊都國     ← 伊都国にて治めていたと書いてある           
 於國中有如刺史」
女王は伊都国にいたことは文献上間違いと思いますし、末盧の次に伊都国が
出てくる場面には「郡使往來常所駐」とあります。
「郡使が往来したときは常に足を止めるところである」と読みます。
この部分は上記の記載を裏付けています。

じゃ、水行10日陸行1月で至るのは何なんだ、となります。
「南至邪馬壹國女王之所都」を「南にて至る。邪馬壱国の女王の都となる所
(意訳で女王母国)」と読みます。
卑弥呼は水行10日陸行1月かかる母国からはるばる伊都国に来ている。
南にて至るのは邪馬壱国(邪馬台国)そのものではない、という解釈です。
「都」ですが「先祖からの墓がある場所」という意味を採用し
「女王母国」と意訳しました。
「都」は元々は先祖からの墓がある場所であり、後に国の首都のような意味にもなった、とあります。
https://baike.baidu.com/item/%E9%83%BD/80969

尚末盧=宗像、伊都=みやこ町、奴国=大分平野一帯、不彌国=国東半島
(クニサキと読み国の終わりにふさわしい)という説も考えています。

お礼日時:2024/02/26 19:09

黄銀さんの質問に『伊には神を呼び寄せる聖職者、都はみやこ、という意味がある。

』という記述があったことを知りませんが、【伊には神を呼び寄せる聖職者、都はみやこ、という意味がある】とは思いません。辞書にも、そのようなことを想像できる説明、記述を見つけることもできません。

> 彌には「続いていく様」という意味があり、不彌で終わり。

「彌には『終わる、終える』という意味があり」【不彌で終わらない】
「魏志によると、倭人伝にも韓伝にも「不彌国」の回答画像2
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この回答へのお礼

出典画像添付までしていただきありがとうございます。

伊都国の伊ですが、由来は下記サイトです。
https://ichigoichina.jp/kanji/6/%E4%BC%8A

彌/弥に「続く」という意味がある、というのは下記サイトです。
https://okjiten.jp/kanji2192.html
これの①のウです。

お礼日時:2024/02/26 13:39

地名を当時の漢字の意味で漢文の文法で読んで都合が良い場合と現地の言葉を当時の漢字の音で(上古音とか中古音とかあるようです)写した場合があるように思います。

盧は葦と関係がありそうです。彌は卵生神話との関係が指摘されています。都は漢字では本来首都の意味はないようで色々意味があります。ただ伊都で検索したところ漢籍では伊都国の外は用例がないようです。
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この回答へのお礼

検索までしていただき、ありがとうございます。
邪馬台国も、邪馬がある台地の国だろうか、と「邪馬」で中国語で
検索したりしたことも有りますが、邪馬という語は無かったりします。

伊都は、下記のように成句としては一応あるようです。
https://baike.baidu.com/item/%E4%BC%8A%E9%83%BD/ …
ただ満州語の音訳であって、通常の成句ではないようです。

伊都国や末盧国は、意味があるのか音訳なのか、断言はできないのですが、
魏志倭人伝に書かれている国名であれば、少なくとも侏儒国・裸国・黒歯国は
国や国民の様子からつけたものであろう(意味)と考えられます。
壱岐の一大国だって、他の文献では一支国です。
一大卒をおいていたから一大国と表記したのかな?とも勘繰っています。

そういうことを突き詰めていくと、伊都国と末盧国も「意味的な名前」
なのかな?という疑問が生じた次第です。

一方、投馬国ですが「馬を投げる」という意味にできそうな国の様子は
私は見つけることができませんでした。
投馬はツマと読み今の薩摩の事である、という説があります。
であれば、投馬国は音写かも知れません。

両方ありそうだ、というご意見は参考になりました。

お礼日時:2024/02/26 13:56

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