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手がかかる、手がかかっている、とはどういう意味でしょうか?

友人と、工場のオートメーション化について話をしていました。
とある製造品を作ることに際して、多数の工程が必要になることについて
私が「この製品は完成までに手がかかっているね」
と言いました。
すると友人は
「今時、こういうものは原材料の数量計測、材料の投入、加工、パッケージ材料の用意、パッケージの印刷、パッケージ詰め、検品、袋詰め詰め作業、段ボールへの梱包作業まで一気にオートメーションでやってしまうんだ。
だから全然手はかからないよ」
と言いました。

私は
「だから、FA化されているからといっても、そのFA化した中では多くの工程に分けられているじゃないか、だから手がかかっている、と言ったんだよ」
と言いました。
すると友人は
「だからFA化で手がかからないようにしてるんじゃないか、もし途中でエラーが発生してもそのエラーの分析やエラー原因の除去、回復までもが全部オートメ化されているんだ。
だから何も手はかからないよ、何言ってんの?」
と言いました。
私は
「だから、そういったものも含めても多数の工程がかかっているじゃないか。”手がかかる”を国語辞典には”多くの工程を必要とする”という意味が載ってるよ」
と言いました。
友人は
「そういうのは辞書バカ、知識バカっていうんだ、
 文系の人の辞書にはそう書いてあるかもしれないが、工学部ではオートメ化したものは”手がかからないもの”に変わるんだ。だから工場はどんどん手がかからないようにどんどんFA化するんだ。
 お前の辞書と俺の辞書は違うんだよ、お前の辞書だけが世界で唯一正しい辞書だと思うな!」
と言われました。

果たして、
理系の人の言う「手がかかる、手がかからない」と
文系の人が言う「手がかかる、手がかからない」は
意味が違うのでしょうか?

理系文系、どちらにも精通した方、お願いします。

A 回答 (7件)

メーカーのソフトウェア開発部門で生産技術に関わる立場から。



生産現場での「手がかかる」の「手」は「人の手」です。
人間が関わる工程に要する手間・手数のこと。一般に「工数」で表します。
ソフトウェア開発は人手=工数がかかる仕事です。

機械が分担する作業(CAD・CAM・CATなど)について「手がかかる」とはふつう言いません。

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JIS Z 8141「生産管理用語」

●仕事(job) 
  人及び機械・設備に割り当てられた作業の集合

●作業(operation)
  対象物の物的,情報的な特性の人為的な変化,観察,評価,処理など

●仕事量(work load)
  仕事を遂行するために必要な仕事の密度と時間との積

●工数(man-hour)
  仕事量の全体を表す尺度で,仕事を一人の作業者で遂行するのに要する時間
  工数は人・時間,人・日などの単位で示される

●負荷(load)
  人又は機械・設備に課せられる仕事量
  負荷は時間,重量,工数などの単位で示される

●工程(process)
  入力を出力に変換する,相互に関連する経営資源及び活動のまとまり
  経営資源には,要員,財源,施設,設備,技法及び方法が含まれる
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/29 18:15

意味は、文系理系に関わらず同じで、手間暇がかかっている。

人手が多く尽くされている。そういうことだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/29 18:16

てがかかる=



人の手間が多く必要、
人の世話が多く必要、
扱いがめんどくさい
日々面倒を見るのが大変

ということ。人がどう感じるかということです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/29 18:16

「手がかかる」はこれから興る事、「手がかかっている」は過去の事、


「手がかからない」は否定。
日本語なのだから、文系も理系も関係が無い思いますが。
使う人により意味が違っては会話が成立しないのでは。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/26 09:45

国語辞典に”手がかかる”を”多くの工程を必要とする”という意味が載っていても、それは古い時代の解釈です。



いまでは「手がかかる」工程は可能な限りFA化や合理化を進めているため、多数の工程があっても「手がかかる」とは言わなくなっています。

そういう実情を知らない人が、国語辞典を頼りに時代錯誤的な考えをするわけ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/26 09:45

理系文系、関係ないと思います。


『精選版日本国語大辞典』なら、[三]の②に挙げられている、「② 仕事をする力。労力。また、仕事をする人。人手。「手があく」「手を貸す」「手が足らぬ」「手がかかる」」(以下略)に該当するでしょう。
『デジタル大辞泉』なら、「6 人が1を使ってすること。また、人の行為を漠然という。㋐仕事。作業。「裁縫の手を休める」㋑手数。手間。「手のこんだ細工」「手のかかる部下」」(以下略)に該当するでしょう。
https://kotobank.jp/word/%E6%89%8B-171189#goog_r …

どちらも、「手がかかる」の「手」は、人の行為・人による労力を指しています。その意味で取れば、ご友人の「機械でオートメーション化されているので、(人の)手がかからない」は正しい表現ということになります。
一方で、質問者さんは、機械による労力も「手」として扱っています。確かに「手」=「行程」と考えれば意味が通らなくもないですが、「手」という表現に「人の行為」という意味合いが強いのだとすれば、その行程は機械によるものではなく人による行程を意味することが一般的であり、行程の多いオートメーション化を「手がかかる」というのはやや違和感を覚えるかと思います。そこでご友人の認識とのズレが生じたのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/26 09:45

ご友人は、手がかかる、と、人手がかかる、を混同されているように思います。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/02/26 09:45

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