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天正5年(1536)に天文法華の乱が起きました。比叡延歴寺の僧が、京都の法華宗寺院とその信者の家を襲撃したのですね。このとき京都の市街は大半が焼失し、3000人とも4000人ともいわれる法華僧や市民が虐殺されたそうです。
家を失った町人たちは天皇の御所に次々逃げ込み、数千人に達したそうです。
当時は、町民が御所に逃げ込むことは、切羽詰まったとはいえできたのですね。

質問は。天皇については歴史により変遷がありましたが、この当時の天皇はどういうものだったのでしょうか?

A 回答 (1件)

京の町民にとって、「天子様」と「公方様」と二重権威です。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/04/29 16:18

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